#16 餞〜日向の回想〜
お姉ちゃんお手製の洋服を着た僕は、鏡の前に立って、くるりと回って見せる。
「
「ほんとう?」
「うん。本当によく似合ってる。だけど、ここの丈は、もうちょっと調節した方がいいかも。後で直しとくね」
「ありがとう。お姉ちゃん」
床を這い蹲るような姿勢で待ち針で仮止めすると、お姉ちゃんはニコッと笑った。
彼女はファッションデザイナーを目指していて、毎日のように僕を着せ替え人形にして、手作りの洋服を着せていた。最初は言われるがままに着ていた僕は、小学生になった頃には自然とファッションに興味を持って、オシャレをすることが大好きになった。
オシャレに年齢も性別も関係無いと誰かが言っていたように、時にはスカートを履いて出掛けることもあった。どんな服でも着てみたいし、着こなしたいと思っていた僕にとって、中性的な見た目はカッコいいも可愛いも自由自在にした。
しかし、僕の性別が男だと言えば、周りからは稀有な視線で見られ、冷たい態度を取られてしまうことを知った。だけど、幼い僕はそんな反応も気にならないくらいに純粋にオシャレを楽しんでいたんだと思う。
好きな服を身に纏えば、そんなことが気にならないくらいに毎日がもっと楽しくなる。そう知ってしまったから。
僕は中学1年生になった。
制服は校則に則り、男性用を着用していたけど、持っている小物や言動で、女の子から可愛いと言ってもらうことが増えた。僕もその言葉が嬉しくて、積極的に交流をしていた。
一方、その様子を見ていた男の子からは女々しいと揶揄われた。それでも仲良しのクラスメイトの子が直ぐに反論して守ってくれて、これ以上、虐められることは無かった。
僕は中学2年生になった。
進級にあたってクラス替えが行われて、中でも、とある1人の女の子が同じクラスとなったことをきっかけに、僕を取り巻く環境は大きく変化することになる。彼女の両親は有名人で、学力もトップクラス。学校内でカースト上位のその子を中心に、僕は虐められた。
更に負の連鎖は広がり、遊んでくれていた子は「用事があるから無理」という返答から単純な無視へと変化していった。
僕は堪らず、担任の先生に相談したけど、真剣に取り合ってもらえることは無く、挙げ句の果てには「そんなだから、お前は駄目なんだ。もっと男らしくしてろ」と言われる始末だった。
そして、次々に突き刺さる言葉の刃。
「女々しい奴だな」
「この浮気症」
「気持ち悪いんだよ」
「消えろ」
僕はその言葉で、ぴんと張り詰めた糸が切れてしまって、教室に入れなくなった。
進級に必要な単位は満たしていた。そのこともあって、担任は然程気にしていなかったみたいだけど、形式として、家庭訪問には訪れていた。
終わり際、先生が僕に会いたいと言っているとお母さんが伝えてくれた。もう会っても無駄だし、嫌だったけど、せめて顔だけでも見せたらと言われて階段を降りた。玄関で母親の側にぴたっと寄り添い、会釈をする僕を見て、「元気そうだな。また春からでもいいから、来いよ」と言われた時には、何も見えていないのだと、すっかり心が折れてしまった。
僕は中学3年生になった。
初日は両親の付き添いの元、登校した。しかし、いざ1人で自分の学年がある階に向かおうとして階段を登っていくと、吐き気や頭痛、動悸が止まらなくなった。
結果、僕は教室のドアを開けることは出来ず、2度と学校に足を踏み入れることは無かった。
あれから家に引き篭もり、あんなに楽しかったお出掛けも、周りの目が怖くて出来なくなった。
また、小学校に入学する前に友達に誘われて始めたダンスも自信が徐々に無くなっていき、辞めてしまった。
(僕が憧れてた可愛いって、カッコいいって何だったんだろう。僕は皆んなにとって、どんな風に映っていたんだろう……僕は、どうして生きているの)
自室にあるベッドで寝転がって、泣く日々。目尻を擦る手で自らの命を終わらせなかったのは、お姉ちゃんがずっと声を掛けてくれていたからだ。
「日向。いつでも話聞くからね。愚痴でも嬉しかったことでも、何でもね」
お姉ちゃんは優しい。
「日向〜。友達にあげる用にクッキー焼いてみたんだ。美味しく出来てるか、試しに食べてみてよ。大丈夫、沢山作ったから」
お姉ちゃんは何でも出来る。
「日向、見て。この前あったコンテストで優秀賞取ったんだよ。凄いでしょ〜」
お姉ちゃんは……すごく、眩しい。
時は経ち、僕は誰かと一緒であれば外出が出来るようになって、家族が勧めてくれた高校のオープンキャンパスに行った。
そこは今まで見てきた学校とは違い、自由な校風が特徴で、服飾を学べる授業があった。専門学校と比べると簡易的なものかもしれないが、内心ではもっとファッションのことを勉強したいと思っていた僕にとって、これ以上のものは無く、無事に入学試験に合格した時は家族総出で喜んだ。
寮に入ることも考えたけど、まだ家族と離れることが怖くて、実家から電車で通うことにした。でも、数時間かかる通学は、ちっとも苦しくは無かった。
そこには、僕を
あの頃の僕に教えてあげたい。好きなことを好きだと言える。そんな世界は存在しないのだと思っていた。しかし、ここにはある。僕がずっと夢見ていた世界がここに存在するのだと。
そして、今まで見ていた世界とは余りにも、ちっぽけだったと知ることになるとは、この時、考えてもいなかった。
それは高校卒業を控えた年のこと。
無事、ファッションデザイナーになるという夢を叶えたお姉ちゃんが久しぶりに実家に帰ってきたと思ったら、僕にいきなりスマホを見せてきた。そこには『Project étoile 追加メンバーオーディション開催中』と書かれていた。
「SNSで流れてきたのを見たんだけど、これ応募してみたら、どうかな。コンセプトもピッタリだし、ここなら日向が好きなこと思いっきり出来るんじゃない?
とは言っても、応募するかは日向に任せるよ。けど、挑戦するなら、お姉ちゃん精一杯応援するからね」
お姉ちゃんが言うなら……と流されそうになる気持ちを抑えて、僕は「ありがとう」と言って、その場の会話を終わらせた。部屋に戻った僕はベッドに横になりながら、そのオーディションについて詳しく調べてみる。
すると、主催者は声優事務所で、所属者の欄には知ってる名前も多く書かれていた。中には、先日友達に誘われて行ったアニメイベントに出ていた人もいた。
このアニメを見たことが無かった僕は話についていけないかもしれないと、事前に作品を視聴しておいたけど、そんな心配は吹き飛んだ。声優さん自身のパーソナルな話や巧みな話術によって、充分楽しむことが出来たのだ。
恐らく、そこから声優を1つの将来の選択肢として意識するようになったと思う。
(──もしかしたら、これは運命なのかも)
言わば、その場のノリと勢いで応募フォームを埋めて送信ボタンを押す。応募したこと自体、次の日には忘れていたし、まさか1ヶ月後にはデビューが決定するとは思っていなかった。
このオーディションを見つけてくれたお姉ちゃんに1番に報告すれば、自分のことのように喜んでくれた。
「おめでとう。これで日向の魅力が更に広まっちゃうね。楽しみだな〜」
大好きな人からの激励を受けて、両親からも無事に所属の許可を得た僕は、レッスンが始まる日を心待ちにしていた。
ある日、スマホから電話の着信音が響いた。耳に当てると、父から信じられない言葉が聴こえて、僕は急いで病院に向かった。
病室では父が啜り泣き、母が号泣していた。そこに恐る恐る近付いていけば、彼女は真っ白なベッドに横たわり、血の気が無い傷だらけになった顔と周囲の空気で全てを察した。
「……お姉ちゃんが死んだ?」
父からの話によれば、友人と展示会を見に行った帰りに事故にあったそうで、病院に着いた時には既に手遅れだったらしい。
それから、棺の中で安らかな顔をする彼女に花を添えても、火葬されて骨になっても、実家に帰って一息ついても。現実味が無く、涙は出てこなかったが、実家に置いてある遺影には毎日、手を合わせた。
そうして、やっとお姉ちゃんがいないことを認識していったと思う。
レッスンの開始日を延期してもらった僕は、真っ暗な自室で毛布に包まっていた。そんな日々が1週間続いて、流石に体を動かさないと、と思って、大して散らかっていない部屋の片付けを始めることにした。
その時、ふと学習机のデスクマットに挟めてあった手紙が目に入った。手に取って見てみると、それは高校生になって再び始めたダンスの大会に出場した際に、お姉ちゃんから貰った手紙だった。
そういえば、不安になったら開けて欲しいと言われていたけど、結局、読む機会は無いまま飾って置いたんだっけ。
「……いっその事、これも燃やしてもらえば良かったかな」
僕は便箋から香る、ほのかな柑橘系の匂いを懐かしく思って、仕舞ってしまう前に手紙を読むことにした。
『日向へ。日向の好きな所は沢山あるけど、キリが無いから今は1つだけ言うね。
私は日向のきらきら笑顔が大好き。そんな日向は世界で1番可愛くてカッコいいオンリーワンの存在で、自慢の弟だよ。大好きなお姉ちゃんがこう言うんだから間違い無い!
いい? どんなに離れていても、お姉ちゃんは日向の味方だから! 皆に最強の春風日向を魅せてきて』
読み終えた瞬間、一筋の涙が頬を伝った。それを境に瞳から次々に溢れてくる涙を拭けずに震える手で便箋を強く掴む。
「……お姉ちゃん。どうして、どうして居なくなっちゃったの。ねぇ、お姉ちゃん」
お日様みたいに眩しい笑顔が脳裏に蘇ってきて、僕は、ただ滲んで見えなくなっていく文字を眺めていた。
* * * * *
今日はプロデューサーさんからの配慮で延期してもらっていた初めてのレッスン日。
少しだけ前向きになれた僕は、同じくオーディションを受けて合格した
発声練習に始まって、歌にダンス。演技などの説明を受けると、講師の先生からの提案で、試しに歌ってみることになった。
それも僕には即興でダンスしながら披露してみろ、と無茶振りしてきたのだから、びっくりした。ダンスはともかく、歌いながらなんて全然慣れていなくて、どっち付かずのパフォーマンスになってしまった。
一方、冬羽ちゃんはというと、歌もダンスも未経験者らしい初々しい物だった。だけど、それを見た先生は笑うこと無く、個人の課題を挙げて、早速、基礎練習に取り掛かった。
この時は、まだ余裕があった僕はレッスンが終わって先生が退室した後も、心地の良い疲労感を感じていた。これは翌日筋肉痛にならない為にも帰ったら即お風呂でマッサージコースだな、と考えつつ、持っていたタオルで汗を拭った。
ついでに壁際に置いてあったペットボトルを取りに行って、キャップを緩めていると、壁に身を委ねて肩を上下させていた冬羽ちゃんが目に入った。
「お疲れ様。流石に慣れてないことやると、疲れてくるよね」
「……そう、ですね」
彼女は固い表情のまま顔を横に向けて、汗を拭う。まだ出会ってから間も無いのも分かるが、折角の同期だし、もうちょっと距離を近付けたい……そう考えた僕は丁度良さそうな話題を見つけたので、振ってみた。
「そういえばさ、葵斗くんから聞いたんだけど、冬羽ちゃんって僕とそんなに歳、変わらないんだよね。確か、ひとつ年下」
「はい。そうですけど」
「なら、敬語じゃなくていいよ。だって、僕達これから同じユニットでやっていく訳でしょ。仲良くしよ」
そう言って、僕は手汗を軽くズボンで拭った後、握手しようと右手を差し出す。
少しだけ目を見開いた彼女は胸元で握っていたタオルをぎゅっとしてから、ゆっくりと離して左手を重ねた。
「分かりました。じゃなくて……分かった。春風さん」
「ん、別に呼び捨てでもいいのに。まぁ、いっか。無理に呼ぶものでは無いしね」
握ってくれた手をブンブンと上下に振ってみると、冬羽ちゃんは困った顔でこちらを見ていた。
笑いながら「ごめん」と謝ったこの日、僕は彼女と何か出来たら、きっと楽しいだろうな、と考え始めていた。
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