#4 手を伸ばして
「初めまして。株式会社ダイヤモンドダストの一ノ瀬
「あっ……頂戴いたします」
私は彼から差し出された名刺を緊張しながら、両手で受け取った。
それにしても、面接を受けるにあたって、インターネットで調べて見つけたネット記事『どんなマナーもこれでcomplete』を読んでおいた甲斐があった。
私は当然ながら返せる名刺は持っていないので、口頭で名乗る。
「兄がお世話になっております。妹の
頑張って目線を合わせようと顔を上げれば、やっと目が合いましたねと言わんばかりにニコリと微笑みかけられる。
「君が
「?」
疑問符を浮かべていると、追加の料理や飲み物が運ばれてくる。一ノ瀬さんは仕事終わりと聞いていたので、お酒でも飲むのかと思ったが、注文したのは烏龍茶だった。
兄もそのことが疑問に思ったようで、一ノ瀬さんを見る。
「マネさん。今日酒飲まないんですか」
「うん。ていうか、元マネージャーね。今週は特に忙しくてさ。それに明日は朝早いしね」
一ノ瀬さんは喉が渇いていたようで、あっという間にグラスの半分を飲み干して、テーブルに置く。
「ま、忙しいのは有り難いよ。これから楽しみなことが盛り沢山で、その日が待ち遠しいから今頑張れるって感じかな。って、さっきから僕の話ばっかりだね。
折角だし、ここからは妹さんの話が聞きたいな」
一ノ瀬さんは、そう言って兄の正面に座る私に視線を送るが、急に話を振られたことに困惑してしまう。
「私ですか。別に面白い話は無いですよ」
「いいんだ。寧ろ、君のありのままを聞かせてほしい。趣味とか好きなこととか、普段はどんなことをしているの?」
彼の爽やかな笑顔は、知らない内に緊張で固くなっていた心を優しく溶かしてくれて、私はポツポツと話し始めた。
イラストを描くのが好きなこと。ゲームをするのも好きなこと。普段はよくアニメ鑑賞をしていること。現在、不登校になっていること。
他にも自分はどんな性格だとか、兄の職業の話にもなって、その流れでオーディションのことについても話してしまった。それは、まるで2次審査のことを思い出させたが、先程と明らかに違ったのは視る人の距離感と眼差しだ。
オーディションではズラッと並ぶスーツ姿の大人達を目の前にして、才能を見抜く為の厳しい審査が行われる。そこで私は面接をし、落ちてたのだが、最終審査に進めば演技や歌唱審査があった筈だ。
果たして、最終審査まで残ったのは一体どのような人達だったのか。中には、きっと経験者もいるだろう。しかしながら、そのような人を選ぶことはプロジェクトの将来性を鑑みてのことだし、何も間違っていない。ただ、私にとっては、選ばれる人間になれなかったことがとても悔しかった。
「……なるほど」
ひと通り、話を聞いてくれた一ノ瀬さんは、悩むように腕組みをしながら、何か考えているようだった。
そして、1分も経たずに「そうだよね」と自身を肯定するような独り言を呟いた一ノ瀬さんは突如、立ち上がった。そのまま移動し、空席になっていた私の隣に座る。その行動に驚いて動けずにいると、一ノ瀬さんは熱意の籠った瞳で口にした。
「今の『Project étoile』には君、霜月冬羽が必要なんだ。だから、頼む。一緒にオンリーワンの輝きを目指さないか」
心に情熱的な矢が突き刺さってくるような真っ直ぐな視線とその言葉を聴いて、私は呆然とした。しかし、その動揺は次に出た言葉で自身が意外にも冷静でいられてることを示す。
「ありがとうございます。でも、私、一ノ瀬さんが求めているような輝きは持っていないと思います」
目を伏せながら、それでも明るく自分に言い聞かせるように一ノ瀬さんに告げた。そうしないと、声が震えてしまう気がしたからだ。
「そっか。どうして、そう思うのか聞かせてもらってもいいかな?」
聞こえた声色は優しかったが、ふと顔を上げて見てみると、彼の瞳が鋭く光っているように感じた。どうして、そんなことを言うのか真剣に問い質すように。
私は、その問いに答える為に小さく息を吸って、すっかり自信が無くなり、か細くなってしまった声を吐き出した。
「それは……私には輝きも、輝く資格すらも無い。そうオーディションで証明されたからです」
「じゃあ、君は後悔してる? このオーディションを受けたこと」
一ノ瀬さんからの再度の質問に対して、私は先程よりも強い口調で言い返した。
「後悔はありません。これで、やっと私は諦めることが出来て、次に進めますから。
それでも、我儘を言うなら、本当はオーディション合格したかったです。だって、夢を──『私自身の揺るがない輝きを見つける』ことを。この暗闇の中で見つけた光をひたすらに追いかけて見たかった」
それはオーディション2次審査で答えた夢。書類審査にも記載があったことから、当日まで面接でどう話そうか、ずっと悩んでいた質問であった。随分と大雑把に書いてしまった夢は、考え抜いた末に同じような回答になってしまって、審査員の眉を顰めた。
最初は軽い思い付きで応募した筈だったのに、いつの間にか見えない輝きに縋っているようで、この言葉は今思えば恥ずかしかった。
涙を滲ませて語った本音を静かに聞いていた一ノ瀬さんは、私の言葉や表情から確信したように畳み掛けてきた。
「だったら、幻にしないで一緒に叶えよう。その夢を現実にするんだ。僕なら、その手伝いが出来る。何故なら、僕は『Project étoile』のプロデューサーだから」
一ノ瀬さんは冗談抜きの真剣な面持ちで見つめていた。本当にプロジェクトのプロデューサーなのか……既出している情報だったかと思って記憶を辿るが、オーディションの公式サイトにプロデューサーの名前は書いていなかった筈。無論、兄からもそのような話は聞いたことが無かったので、まさか彼がマネージャーを辞めて、プロデューサーの立場にいるなんて予想外であった。
この事実によって、更に緊張感が増していく中、一ノ瀬さんは話を続けた。
「本来は面接官として参加予定だったんだけど、急用で参加が出来なくてね。
でも。ついさっき、最終審査の結果を聞いた」
ふぅ、とひと息置くと、一ノ瀬さんは「ここからはオフレコでね」と話し始めた。
「実は今回のオーディション、名目上『追加メンバーオーディション』になってるけど、色々あって『ユニットメンバーオーディション』になっててね。追加として、2名の採用を予定していたんだ。
だけど、採用担当者からは、既に決まっているメンバーに着いていけることを最低基準として考えた時、落選になる人達が多かったと聞いた。これに関しては、僕も実際にレッスンを見学していて妥協すべきでは無いと思ってる」
ここまで聞くと、一ノ瀬さんが認める現ユニットメンバーがどんな人物か気になるが、それよりも何故私なんかがと萎縮してしまう。
「そんなに凄い人なら余計、私じゃない方が」
「──違う。最後まで聞いて?」
一ノ瀬さんの凛とした声に対して、私の小さな謝罪が部屋に響く。怖がらせてしまったと思ったのか、彼は申し訳なさそうに言った。
「あー、別に怯えさせたくて言った訳じゃなくて、僕達が求めているものが違った、ってことなんだけど……どうかな。伝わってる?」
「なんとなく」
必死に言葉を紡ぐ一ノ瀬さんに、こちらも申し訳なく思いながら、話を続けてもらう。
「良かった。それでね、今回のユニットは今後、プロジェクトの
ただ、このまま活動していけば、ユニットとしてもプロジェクトとしても、大きな壁にぶつかるだろう。それを乗り越える為には、仲間と切磋琢磨して輝きをより磨くことが必要だと僕は考えている。
そして、
強気に語る一ノ瀬さんの言葉に、私は直ぐに返事を返せなかった。今回のオーディションがこんなにも重要な役目を担っていたなんて、思いもしなかったのだから。そして、やはりユニットメンバーに私をスカウトしているという現状も未だに理解出来ない。そんなエリート集団のユニットに入ったとて、凡人の私が本当に化学反応を起こせるのだろうか。
その一方、一ノ瀬さんが言ってくれた言葉を信じたくもある。心の中では、天使と悪魔が囁くように気持ちの天秤が絶え間無く、揺れ続ける。
そうして私が考えている間、ただただ部屋には沈黙が流れる。その空気を破るように、ぽつりと誰よりも落ち着いた声が聴こえた。
「俺はいいと思う」
それは兄、
そういえば、一ノ瀬さんが話し始めてからは兄は1度も口を挟むこと無く、食事を続けて、眺めているだけだった。
しかし、いつもと同じように陰から見守る姿は、この時に限っては少し違っていた。
「正直、さっきから言ってるソイツらがどれだけ凄いのか俺には知ったこっちゃないし、今は興味も無い。
けど、さっきからマネさん……葵斗さんが言ってるように、俺も冬羽には輝きを導く才能があると思ってる。だって、俺が声優を目指すきっかけは冬羽がくれたから」
* * * * *
とある休日。いつものようにお気に入りアニメの録画を再生していた冬羽は、今も友達と遊んでいる筈の兄をソファで出迎えた。
「ただいまー」
「おかえり。早かったね」
家より外で遊んでいたいTheアウトドア派の遥は、テレビ自体をあまり見ない。なので、冬羽は彼のことを気遣って、適当なチャンネルに変えようとした時。
「直ぐ部屋戻るから流していいよ」
冬羽は普段なら何にも言わないのに珍しいなー、と思いつつ、その言葉に甘えて、そのまま流した。
10分程経ち、エンドロールが流れてきて、自然と前屈みになっていた背筋を軽く伸ばす為に立ち上がるが、ふと背後に気配を感じて振り返った。
すると、そこには遥が静かに背後に立っていたのだ。彼はそのままテレビから目を離さず、ゆっくりと口を開く。
「このアニメ、なんてタイトル?」
今まで興味を示してこなかったアニメに対して聞いてくれた嬉しさと、突然の出来事に驚くが、それでも今見ていたアニメのタイトルを迷いなく告げる。「ありがと」と呟いた遥は、今度こそ自分の部屋に戻っていった。
それから、遥は今まで見向きもしなかった漫画やアニメを見て、声優養成所に通う為に上京を決意。
数年後には、遥は晴れて、現在も所属している声優事務所ダイヤモンドダストの所属オーディションに合格し、今は若手人気声優と言われるようになるのだ。
* * * * *
「──それに俺も葵斗さんに助けられたんだ。
事務所に所属して直ぐにレギュラーが決まって、先輩と芝居させてもらう機会が格段に増えた。だけど、その度に中々表現したいことに実力が追い付いつかないことを自覚して、悔しくてしょうがなかった。
それで台本を貰いに事務所に行った時、葵斗さんが居たから相談してみたんだ。そしたら、『霜月。次の収録は、お前が持つ200%の輝きをぶつけて、思いっきり砕けてこい。そしたら、また話聞いてやるから』って言われたんだ。
おかげで俺も知らない内に躊躇っていた部分を思い切って出すことが出来た。そうやって、いつだって葵斗さんは俺を信じて、背中を押してくれたから俺は今でも声優を続けられてると思う。
だから、これからも与えて貰ったチャンスは逃したくないし、プレッシャーとかを感じても200%以上で期待に応えられる声優、人間でいたいと思ってる。
つまりはさ。このチャンスを掴むにしろ放すにしろ、俺は冬羽の選択を尊重するし、応援する」
兄の表情は相変わらず感情を読み取れないが、目の前にいる私をジッと見つめながら声で気持ちを伝えてくれた。歴も経験も積んだ彼の声は耳にスッと入ってきて、言葉の咀嚼をより深めてくれる。
更に、一ノ瀬さんも言葉を重ねてきた。
「僕からも改めて言わせて欲しい。霜月冬羽が必要なんだ。そして、一緒に見つけに行こうよ。君だけの輝きを」
2人の声が脳内でこだまし、これまでの記憶が駆け巡る。
小さい頃から想像をはるかに超えて、ずっと先を行く兄。欠点など見つからず、何もかも完璧で期待以上の成果を上げる。そんな天才の隣に普通の妹である私がいる資格など無い。
この身を持って知った運命を変えることが出来るのなら。私は、まだ見えぬ輝きを手にしてみたい。少しでも兄の妹として相応しい存在として、自分に誇りを持てるようになって前に進みたい。そう本心が強く訴えていた。
(そっか。私は輝くことを諦めたくないんだ)
心の内で静かに燃える想いに気付くことが出来たなら、もう躊躇う理由など無かった。
「……お兄ちゃん。ありがとう」
小さな呟きに返された僅かな微笑みは、次に繋がる片道切符となって、隣の人物と向き合わせた。
「一ノ瀬さん。先程のお話、お引き受けします。私なんかで良ければ、是非とも力にならせてください」
望んでいた答えを聞けた一ノ瀬さんの表情は、一瞬で満面の笑みに変わった。
「私なんか、じゃないよ。冬羽ちゃんがいいんだ。あぁ。本当に良かった。それじゃ早速、契約のことだけど……」
一ノ瀬さんはこの流れで、すかさず契約の話をしようとしてきた。流石、兄の元マネージャーであり、プロデューサーだ。決断が揺らぐ前に、さっさと進めてしまいたいのだろう。
しかし、その前に1つ。どうしても気になっていることがあった。
「あの。とりあえず、ご飯食べませんか?」
テーブルの上を見れば、いつの間にか兄が追加で注文していた
一ノ瀬さんは飲もうとしていたグラスが空になっていることに気付いて、テーブルに戻しながら謝った。
「あっ、ごめん。折角、頼んでくれたのに冷めちゃったよね。ここは僕が責任持って奢るから、追加で食べたいものあったら何でも頼んで」
「「ありがとうございます」」
意図せず揃った声に兄妹で顔を見合わせて、口角を上げた。滅多に合わない私達がこういった場面では、無意識にでも揃ってしまうのが実に私達らしい。
私は嬉しくて目を細めて兄を見ると、彼も目線を合わせたまま、口を開いた。
「これからは同じ事務所ってことで。公私共々、宜しく」
「こちらこそ宜しく。けど、そんなに仕事が一緒になる機会は滅多に無いんじゃない?」
とは言え、同じ声を届ける仕事だし、いつかはそんな日が来るのだろうか、と私がまだ始まったばかりの未来に思いを馳せていると、一ノ瀬さんが追加で届いた烏龍茶を持ちながら会話に混ざってきた。
「来るよ。きっとね。このプロジェクトは元々、声優とVTuberを両方やっちゃおうで始めた企画だし。まぁ、詳しい活動方針は、これから決めていくから、一概にそうだとは言い切れないけど。期待はしてていいんじゃないかな。
ということで、2人共。追加の料理が来る前に、乾杯しない?」
一ノ瀬さんの提案にコクンと頷くと、兄妹はグラスを手に持った。それを見て、彼が音頭をとる。
「それでは。冬羽ちゃんの新たな出発と、事務所の更なる発展を祈念いたしまして、乾杯」
静かに3つのグラスが上に差し出され、私は口元にグラスを近付けた。口内に広がった林檎ジュースのさっぱりとした甘さに、心まで満たされていく。
きっと私はこの林檎ジュースの味も、やっと輝きに触れることが出来た、このひと時を一生忘れることが出来ないだろう。
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