第20話 レガノス
ブリードはさらにレガノスについて語る。
「レガノスは前から外の世界に興味を持っておった。襲撃以降、その関心は強まり、ルーシェは幻楼郷で力を求めたのに対し、彼奴は外にそれを求めたのだ……」
ブリードたちの制止も聞かずに、幻楼郷を飛び出したレガノス。
しばらくして一度幻楼郷に戻ってきた時にはもうバオウ率いる魔国軍の兵士になっていたという。
「もはや外への興味は力の執着へと変わった。今の彼奴は力を求めるだけの存在になってしまった」
そして今。
レガノスは幻楼郷を魔国軍の傘下に収めようと圧力をかけてきているらしい。
「幻楼郷は戦うためのものではない。それすら見失い、自らの故郷を戦火に巻き込もうとするとは捨て置けん。彼奴は誰かが止めなければならんのだ」
その言葉からはブリードの並々ならぬ決意が感じられた。
歩き始めて数十分。
里らしき、建物の集まりが見えてきた。
家屋と思わしき建物の中央には少し趣が違うものが一棟。
他と比べ、規模も少し大きく高貴な趣をしている。
「あれが我らの里だ。あの中央にあるのが、私の住まいでな。まずはそこで腰を落ち着けるとしよう」
僕たちはブリードに連れられ、里の中へと入る。
「ここが、里……?」
入ってからの違和感。
里の中は異様な静けさに満ちていた。
ブリードの話では幻楼郷の魔族のほとんどがこの里に住んでいるとの話だったが……。
それにしては気配がなさすぎる。
「こちらだ。皆、入ってくれ」
違和感を抱いたまま、僕たちはブリードの住まいへと案内された。
高貴な趣の外観とは裏腹に質素な内装。
ほのかに感じられる生活感が少しだけ緊張を和らげてくれる。
「何のもてなしもできないが、楽にしてくれ」
ブリードの合図で数人のエルフが椅子を運んでくる。
各々が一息ついたところで、
「さて、道中の話で幻楼郷の状態は理解してもらえたと思う。後はヴァレットについてだが……ディノ、貴殿から話すか?」
「いえ、大方の説明はお任せしてもいいですか。僕は出会ってからのことを少し補足する形で」
「分かった。なら私から話をさせてもらう」
ブリードの口からヴァレットについて語られる。
ヴァレットは初めて魔族を統べた魔族であること。
ブリードにとっては戦場を共にした仲間であること。
そして戦いの末に封印されたこと。
要点を絞りながら、大体の説明が終わった後。
ヴァレットが僕と出会い、奏者としての知識と技術を教えた時のことを僕から話した。
自分の口からヴァレットのことを話す時、少し心臓の鼓動が早くなった。
何せ一緒にいるゴルドーは連合軍人だ。
魔族、それもかつての魔王と関わっていたとなると何を言われるかわからない。
とはいえ今、話しているのも魔族なのだが。
「とりあえずはわかりました。このことについて僕の中で留めておきましょう」
「ゴルドーさん……ありがとうございます」
「ゴルドーでいい。この際、堅苦しいのは抜きにしよう。一度とはいえ、死線を潜り抜けた間柄じゃないか」
「はい......!」
ゴルドーから向けられる笑顔。
その表情と言葉から感じる信頼に少し心が軽くなる。
「私からも伏して礼を言う。我が友ヴァレットの弟子ともあれば、私にとっても大切な存在。その計らいに深く感謝を」
ブリードは深く頭を下げる。
「頭を上げてください。それに今回の一件、そのまま見過ごすのも居心地が悪い。出来ることがあるなら協力させてもらえますか」
「なんと……そこまで……」
「という風に考えているのだけれど……どうする?」
ゴルドーの視線は僕、そしてランを捉える。
僕としては考えるまでもない。
「是非、僕も協力させてください」
「えっと、みんながそういうなら……私も」
僕の即答に続いて、ランがおずおずと手を挙げる。
ランは少しおどおどした雰囲気だ。
断りたくとも断れない、といった感じだろうか。
「良いのかい? 協力は義務じゃない。ここで断ったとしても僕たちは責めないよ」
「無論、我らもです。これは元より幻楼郷の問題。ラン殿が気に病まれるものではないのですから」
ゴルドーとブリード、2人の言葉に少し考えるラン。
しばしの沈黙の後。
やや俯いた顔が上がる。
「私も、協力します。させてください」
声が少しだけ震えている。
きっと恐怖を飲み込んで、この場に立っている。
だが、その眼はしっかりとブリードを真っ直ぐに捉えていた。
「ラン殿、ありがとう。ゴルドー殿にディノも」
「それで、ブリード殿。今魔国軍はどうなっているのですか?」
「ええ、それが――――」
そうブリードが口を開きかけたとき。
バタンッと勢いよく玄関の扉が開いた。
「ブリード様!」
倒れるように駆け込んできたのは1人のエルフ。
息を切らせ、その表情は緊迫感を孕んでいるように見える。
「どうした。何があった?」
ブリードが駆け寄り、問いかける。
「はぁ……かっ……すぐ……そこ、に……」
荒い呼吸が発声を妨げる。
言葉にならぬ声を何とか発しながら、扉の方を必死に指差している。
「向こう……? まさか……」
何かに思い至ったようなブリード。
その視線の先に現れる人影が一つ。
「いつまで待たせるつもりだ、ブリード」
周囲の視線が人影に集まる。
「っ……!」
そこにいた者を認識した瞬間。
電撃が身体を駆け巡るかのように緊張が走った。
それは身体を刺すような敵意。
それは場を圧倒するような力。
強者を前にした時の感覚。
自然と身体が身構える。
「レガノス……里に入ることを許可した覚えはないが」
ブリードの鋭い視線が向く。
それと同時に魔力の高まりを感じる。
「ここは俺の故郷だ。里帰りに許可など必要か?」
「貴様は今や魔国、魔王の犬であろうが。よく故郷などと言えたものだ」
側から見れば、ただの睨み合い。
しかしその実、凄まじい魔力の圧がぶつかり合っている。
お互いの魔力は互角。いや少しだけブリードが優っているだろうか。
ただ、ここで勝ち負けを左右したのは魔力の多寡ではなく。
殺意の有無であった。
「え……」
ルーシェが声を漏らした時には既に遅く。
「く……レガ、ノス」
レガノスの目の前でブリードが崩れ落ちる。
その身体は徐々に流れ出る血液に浸されていく。
この時、僕たちは誰一人として事態が飲み込めずにいた。
それはまるでこの場の時間が止まってしまったようで。
ブリードが倒れた。
その目の前の事実に立ち尽くすことしかできなかった。
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