T湖 【負傷】

『いラない……ア、どぉコ?』


 僕たちを見失って探している様子の女の霊の様子を、僕は隠れていた茂みの陰からコソッと見た。


 もう身代わりはないのだ。

 失敗したら終わり。

 緊張しない訳がない。


 それでも……。


「防御は任せて。もう失敗しない」


 隣に環ちゃんがいるから。

 僕は迷わず頷いた。


 霊に【名付け】する為に必要なのは、自分の声を相手に届けて納得してもらう事。

 悪霊となった霊は基本的に、自分の考え以外をほとんど受け付けないらしい。

 その相手に、なんとか僕の声を聞いてもらわないといけない。


 ……上等だ。

 僕がブラックな職場で、話を聞かないクソ上司に自分の話を聞いてもらえるよう、どれだけ工夫したと思ってる……!!


「行くね」


「了解」


 短い言葉をかけ、それに返事が返ってきたのを確認してから……僕は飛び出した。


『みぃツけタァ……ヲトこハ、いらナいノよぉオ』


 出た瞬間、霊の叫びと共に腐蝕の呪いの糸が僕に向かってくる。

 二十年と少しの人生で聞いた「みぃつけた」の中で一番怖いなと思いながらも、僕はただ静かに笑った。


 僕に向かって糸は真っ直ぐに伸びてきて……。


「二度目はない」


 そのまま全てが地面に落ちた。

 環ちゃんが、愛用の日本刀を使って全ての糸を斬ったのだ。


 あの日本刀、なんでも特殊な武器らしく……環ちゃんが持ち手に力を込めたら刃が無限に再生するように出来ているので、環ちゃんの手元から離れなければ何度溶かされても大丈夫らしい。

 なにそのぶっ壊れ性能怖い。


 まぁ、そのおかげでこうして命が繋がれているから良いのだが。


 そうやって考えている間にも、女の霊から呪いの糸は僕に向かって伸ばされ続けていて……その全てが環ちゃんによって断ち切られている。


 環ちゃんの活躍に感謝しながら、僕は言葉を紡いだ。

 それが僕の役割だから。

 Sトンネルで見た環ちゃんの【名付け】も参考にしながら……言葉を尽くす。


「T湖の霊さん、貴方の記憶を見た!!」


 正直、僕がこの霊の記憶に呑まれるのが早かったのには理由がある。

 少し、似ていると感じてしまったのだ。

 彼女は、もしもの僕なんじゃないかと思った。


「ねぇ、いつまでもあんな奴らに囚われているなんて……悔しくない!? ここで誰かを傷つけても、アイツらには痛くも痒くもないんだよ!!」


 もしも、僕が女の子だったら。

 もしも、父がお金を払ってくれなかったら。

 もしも、母が男を家に連れ込んでいたら。

 もしも、……。

 もしも、……。

 もしも、


 少しでも……たった一つでもはまるピースが違っていたら、僕と彼女は反対の立ち位置だったかもしれない。

 彼女が母親に蹴られた時、僕はそう思ってしまった。


「それよりも……アイツらに無理やり背負わされた傷を癒して、幸せになるのが一番の復讐だよ」


 だから、話す。

 

 いつしか、攻撃は止んでいた。

 環ちゃんも、刀を持ってはいるが僕の右隣に立っているだけ。


 攻撃するような様子がないことがわかって安心した僕は……女の霊の正面に立ってそっと手を伸ばした。

 数歩分の距離を空けたのは、男の僕が女の霊にあまり近づくと……彼女が、過去のことを思い出してしまうかもしれないと思ったからだ。


「僕に、貴方が傷を癒す手伝いをさせて欲しい」


 僕は、そう言って女の霊の目……があったと思われる場所を真っ直ぐと見た。

 僕の視線に応えるかのように、女の霊が一歩踏み出し……。


『キレいゴと』


 女から、糸ではなく液体が僕に向かって放たれた。


「ぁ……」


『おまエのィウコとはきレイごトでしカない』


 女の声が、まるで囁かれているかのように耳と脳を刺激するのを他人事のように感じながら……僕は迫り来る青い液体を眺めた。


 ああ、これはダメだ。

 コレは糸よりももっとだ。

 直感的に悟って避けようとするも、数歩の距離はあまりにも短かった。


 僕の目には、全てがゆっくりと動いているように映る。

 後ろに下がろうとして、足がもつれて、目の前に迫った液体に絶望して……僕の前に、ふと影が差した。


「ぁ……あ、ああ!!」


 顔を上げた僕は、思わず目を見開いて首を横に何度も振る。

 嫌だ、嫌だ!!

 そんな、こと……認めたく、ない。


「無事……みたぃかな?」


 僕の隣にいたはずの環ちゃんが、今目の前にいる。

 ジュウッ。と音を立てる、環ちゃんの左半身を見たらわかる。

 環ちゃんは、僕を庇って……今、腐蝕の呪いを受けたのだ。

 僕の、代わりに。


「ぐ、ぅ……っあぅ……盾くんっ……」


 溶けて落ちるパーカーの下の皮膚が、紫に変色して爛れているのがわかる。

 霊に吹き飛ばされても、飲み込まれてもケロッとしていた環ちゃんが……苦悶の表情で、それでも僕を心配そうに見ていた。


「環ちゃん!?」


 僕は崩れ落ちた環ちゃんに駆け寄って、傷の具合を確認する。

 霊がずっと騒いでいてうるさいが、そんなものは環ちゃんが怪我している今些事でしかない。

 気にしない僕の代わりに……環ちゃんが右手に持っていた刀は無事だったようで、いつの間にかペンダントから出て来ていた仁平さんが、それを使って無言で霊からの攻撃を捌いてくれていた。


「あぁぁあああ……ごめん、ごめん、ごめん!!」


『しかも、上級相手くらいなら呪いすら使わずに祓うとか……』


 混乱の中、意味のない謝罪を繰り返しながら……ふと、脳裏に支部で誰かが言っていた言葉がよぎる。

 僕がいなければ、環ちゃんはきっと怪我をしなかった。

 僕が、油断したせいだ。


「い、ぃから……大丈夫ダか、ふ、ゥ……そのマま、ナづけヲ続けて。わたし、の……相棒、ナんでしょう」


 環ちゃんは、僕の濡れた頬を右手で拭い……そのまま、僕の腕の中で猫の姿に変わって目を閉じてしまう。

 服越しに微かに感じられる心音だけが、白い顔で眠る環ちゃんがまだ……霊として存在し続けていることを示していた。


『悪いが、もう刀がもたないぞっ……』


『いィぃぃィイい……キれイゴとォ』


「……」


 僕は仁平さんの声を聞いて、俯いたままジャケットを脱いだ。

 その上に環ちゃんを横たえ、そっと頬を撫でてから霊の方を向いて口を開く。


「綺麗事ばっか繰り返しやがって、うっせぇんだよお前!! 大体、そんなこと言うってことは、こっちの言うこと理解してるし、ちゃんと喋れんじゃねぇかよ!!」


 霊、呪いの糸、そして仁平さん。

 全ての動きが、止まった。

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