T湖 【怒り】
『頑張れ!! もう少しっ!!』
仁平さんが、ペンダントの中で声を張り上げる。
糸が何度も自分に当たり、それが自分に何の影響も与えず消える度にポケットの中の紙が振動を激しくするのがわかった。
「はっ……ふ、ぅ……っ」
長年のデスクワークで体力は落ちていて、随分息が切れる。
苦しい。
しんどい。
休みたい。
止まれたら……。
そんな考えが何度も頭をよぎる。
それでも……僕は止まる訳にはいかない。
あと少し、もう少し。
そう自分を鼓舞して……進む。
『いらないイラないいらないいらないいらないいらナいいらないいラナイいらないイらないいらないいらナイいらないイらないいラないいらナイイらないいらなイイらないいらナイイラないいらナイいらないイラナイイラナいいらないイラナいいラナイイらナい』
「盾くんっ……」
環ちゃんの焦ったような声を、耳をつんざくような女の声でまた駄目になりかけている耳でどこか遠くに聞きながら……ポケットから人型の紙を引っ張り出すと、もう首から下が残っていなかった。
最悪だ。
あと少し……ほんの少しなのにっ!!
それでも、そんなことは関係ないとでも言うように女の霊は無慈悲に僕の頭と右肩に向かって糸を伸ばす。
環ちゃんの手までの距離は、数センチだ。
「ぐ、ぅ……っ。……弾けっ!!」
意図が自分に到達するまでのコンマ数秒で、僕は判断した。
まだ身代わりが残っている頭への攻撃をそのまま受け、右肩への攻撃を全力でもって防ぐ。
パキッ。と音がして、籠手が外れるが……それでも、僕には十分だった。
「っ……掴んだ!! 今だ、仁平さんっ……」
環ちゃんの手に、僕の手が届いたのだ。
右からの攻撃を弾いた反動で体は左によろめくが、必死で押し留めて僕は頼もしい先輩を呼ぶ。
『任せろっ!! 環様、失礼する……ふんっ!!』
ペンダントの中にいた仁平さんが現れ、環ちゃんから女の霊を強引に腕力で引き剥がしてまたペンダントに戻る。
環ちゃんが自由になった瞬間を見計らって、僕は彼女の手を引っ張ってすぐさま女の霊から距離を取った。
「はっ……はっ……はぅ……ふっ……ふぅ……」
完全な時間と体力勝負な作業に、女の霊から十分距離を取った安全な場所で自然と息を整える僕の隣で……環ちゃんは、何故か唖然としていた。
信じられないというように。
夢かと疑うように。
「……なんで、逃げなかった? 逃げろと言ったでしょう?」
僕が仁平さんに女の霊を注意するようにお願いしていると、環ちゃんがそう呟いたのが聞こえた。
その言葉を聞いて、僕は思わず歯軋りしてしまう。
僕が姿を現した時も、環ちゃんは驚いたように『何故……』と呟いた。
僕は……信頼も、期待もされていないのだ。
「環ちゃんを置いて逃げられる訳がない!! 助けるに決まってるだろう!?
だって……相棒じゃないか。バディだって、環ちゃんが言ったんじゃないか……。
僕は君の相棒だ、バディだ。もう少しくらい、頼ってよ……信頼、してくれ。
君の負担を、少しくらいは一緒に背負わせてくれよ……」
環ちゃんへの怒り、そして自分への情けなさ……悲しみ。
色んな感情が入り混じって、霊の前だというのに声を荒げて俯いた僕を……環ちゃんは、ただ黙って見ていた。
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