T湖 【噂】

 支部だというタワーマンションの一階にある、用途がわからない謎の小部屋の中で新しいスーツに着替えた僕は、環ちゃんと決めた待ち合わせ場所であるエントランスのソファーに大人しく座っていた。


「午前二時……丑三うしみつ時か。微塵みじんも眠くないな……霊だからか?」


 やる事もなく、さっき神羅さんが用意してくれたものだと受付のお兄さんにスーツと共に渡された真っ黒いスマホを取り出し、機能を確認して時間を潰す事にする。


「ふっふっふっ。心霊マニアの元社畜SE……システムエンジニアの身としては、地獄で使われているスマホというものに大変心おどりますなぁ」


 などと小さく独り言を言い、たまに駅にいたお酒に飲まれたヤバい奴ごっこをしながらスマホを起動させ……慣れた動作でスマホに内蔵ないぞうされた機能を確認すると。


 え、ゲームない。

 電話とメール、そして写真だけってマジ?

 今時、幼稚園ようちえん児が親から持たされているデバイスでももう少し機能あるでしょ。


 まさかの、えげつないほどに低スペックなスマホだと発覚。

 オーノー……唯一良いところといえば、環ちゃんと神羅さんの連絡先は既に入れられているところだな。


 クッソ……死後唯一生前をうらやむ事になるのがまさかのスマホとは!!

 現代人って感じがするぜ……。

 と意味深に心の中で呟いてみる事で、僕が何とかひまする事なく環ちゃんを待っていると……急にエントランスがさわがしくなる。


「……環ちゃん、めっちゃ囲まれてる」


 見ると……環ちゃんの周りに獄卒の人達が集まっているようだ。

 こうしていると、さっき環ちゃんが何気なく言っていた一番位が上の特級とか……そういうのは、獄卒の人たちにとって憧れの存在なんだなというのがよく分かった。


第肆席だいよんせきだ。久々に見たなぁ」


「環様っ……!! 相変わらずかわいいっ……!!」


「私、この前書類持ってて転びかけた時に支えてもらった事ある……!!

 環様、猫の姿だったのに私を支える為に人の姿に戻って支えてくれたのよ……。

 性格イケメンすぎてれそうになった」


「あんな小柄なのに、俺よりも強い【七特獄しちとくごく】の一人なんだぜ?

 しかも、上級相手くらいなら呪いすら使わずに祓うとか……あり得ないだろ」


「なんでも、第壱席だいいっせきの方と普通にお話しできるのだとか……」


「僕らなんかには、全く縁遠い世界の話だよなぁ」


 環ちゃんの周りに集まってる人達の声は聞こえないけど、近くで話す数人の声は聞こえる。

 ……出てくる言葉が、一つもわからない。


 環ちゃんの相棒は、僕なのに。


 今まで感じた事の無いモヤモヤとした感情のまま、僕は環ちゃんを取り巻く人混みを割って環ちゃんに声をかけた。


「……環ちゃん、行こう」


 僕の気安い呼びかけに周りが静かになるのがわかったが、気にせずに環ちゃんの手を取って支部を出る。背中に感じるザワザワとしたささやきも無視だ。


 僕が知らない環ちゃんの話を、他の誰かから聞くのがどうにも嫌だった。

 今日……正確には十二時をまたいでいるから昨日だが、知り合ったばかりの僕が知らない環ちゃんの情報がたくさんあるのは仕方ない。


 ……でも、どうにも嫌だったのだ。


 支部から離れた暗い道でそこまで考えて、手に伝わる少しの温もりにハッとする。


「ごめん、環ちゃん……」


 環ちゃんの手を握ったままだったのだ。

 というか、霊って暖かいんだな……。

 こんな時にする事じゃないが、心霊スポットでは恐怖でわからなかったその事実に少し感動した。


「……盾くん、その謝罪は何に対する謝罪?」


 静かに問う環ちゃんのその声が、ほんの少し居心地悪い。

 いい歳した大人になって、女の子相手に感情のまま動いたとか……かっこわりぃ。


「勝手に手を握った事、と……感情のまま支部を連れ出しちゃった事……かな?」


 この少しの時間でも、頭を冷やせば簡単にわかるのだ。

 自分の行動原理が、ただ環ちゃんの相棒であるはずの自分が知らない事を知っている人達に嫉妬しっとしただけで、ねただけだということくらい。


 それでも……相棒として、少しは環ちゃんにとっての特別でありたいと思うのだ。


「はぁ……まぁ、私がしたかった準備は出来たし。盾くんが大丈夫なら、今から予定していた心霊スポット––––T湖に行こうか。

 それまでの間に、また色々質問には答えるから」


 そう言った環ちゃんは……なんだか少し久しぶりに見る気がする三毛猫姿に体を変えて、ゆっくりと歩き出した。


 環ちゃんの方が大人な対応をしているという事実への謎の敗北感と……新たな心霊スポットへのワクワク感を抱え、僕は環ちゃんに並んで再度歩き始めた。

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