贄首魁・終 【選択】

 僕に声をかけてからトンネルを引き返した環ちゃんは、夜空の下で大きく背伸びをしてから僕を振り返った。


「さて……盾くん、これがこの世界の現実。わかったでしょう? 霊は人と違うものではなく、むしろ人のみにくさ、脆弱ぜいじゃくさ、ゆがみ、恨み、苦しみ、かなしみ……そういうものの塊だ。もし君がこのまま観測係にいるのならば、寿命のない私達は数百、数千年とその歪みを見続ける事になる––––この恐怖を、味わい続ける事になる」


 今ならまだ……辞められるよ?

 人ならざるものに夢を見続けたいなら、何も見なかった事にして引き返せば良い。


 そう言って僕に微笑んだ環ちゃんは、とても優しい顔をしていた。

 ずっと浮かべていた無表情とは違う彼女のその変化に驚いている僕に、彼女は続ける。


「私は……観測係と同じような仕事をしている生者––––はらい屋の一族の生まれだ。

 そこでずっと、自身の身に霊を宿らせる術……いわゆる霊媒れいばいと言うやつだね。それ以外をまともに使えない落第者として育てられた。生きてる内から人の––––そして霊の醜さをずっと見てきたよ。霊という存在の怖さを、嫌というほど体験してきたよ。そんな私だからこそ、言う。盾さんみたいにまだ人や霊の優しさを信じられる人間は、こんな仕事に就くべきじゃない」


 おそらく……環ちゃんの言葉は、完全な善意だ。

 そう気付いたからこそ、僕は泣きそうになった。


「なんで、そんな顔で笑うの?」


 何故、君みたいな少女が……まだ子供と言える年齢の子が、そんな疲れ切ったような表情で笑っているんだ?


「……さぁ? 何でだろうね。……それで、返事は?」


 過去を誤魔化された事が、今の僕と環ちゃんの距離を表しているようだ。

 いや、会ってから数時間でここまで明かしてくれるだけ僥倖ぎょうこうと思え。

 これから、信頼を勝ち取れば良いだけの話だろう!?


 社畜時代に、環ちゃんが浮かべている笑みは散々見てきた。

 疲れ切った人間特有の、諦めたような……せめて、何か良い事をしてから死のうとしている人間が浮かべていた笑みだ。

 そんな笑みを、君みたいな少女にさせるなんて……そんな事、僕は絶対に許さない!!


 エゴ? 自分勝手? なんとでも言え!!

 これはただ、人生に絶望して浪費ろうひしたろくでもない大人の––––僕の我儘わがままなんだから。


「環ちゃん、僕は……それでも、信じるよ」


 少しの沈黙の末に、僕が言った言葉に環ちゃんが目を見張る。

 環ちゃんは、モノをはっきりと言う無表情さんだと思っていたけれど……なんだ。

 ちゃんと少女してるところもあるじゃないか。


「確かに霊は怖かったけど……環ちゃんが救おうと思えるくらいに良い霊がいると、僕は知ってるから。だから僕は、これからも霊を信じる観測係で––––君の相棒であり続ける。いつか環ちゃんに、霊の素晴らしさを教えてあげるからっ……!!」


 最後、女の霊は環ちゃんに救われていたように見えた。

 祓うのと何が違ったのかはわからないけれど……それでも、確かに環ちゃんはあの霊を見捨てる事をしなかった。


 環ちゃんがそうしたいと思える存在は、確かに存在しているのだ。

 だから僕は、これからも霊に夢を見る観測係であり続ける。

 そして、環ちゃんに怪異の良さを伝えるのだ。


「そう……怪異に良さなんてのはないから、それは諦めて欲しいけどね」


 とか言いながら、ほんの少し口元が緩んでますよ? 環さん。

 と、環ちゃんの返しに思わず僕はニヤニヤとしてしまう。


「この仕事を続けるなら、少しだけ教えてあげる。

 私が女の霊にしたのは【名付け】というもので、霊の持つ想いや呪いに沿った名前をつける事で、この世界に霊の存在をそういうものだと定義すると同時に……名付けをした者の支配下に置けるもの」


 これだと、霊を祓わずに生者を害すことを出来なくすることができるんだ。


 一瞬で無表情さんに戻ってしまった環ちゃんは、そう話した。

 え? 何それ。

 そんな便利なものがあるなら、そもそも祓わずに最初からそうすれば良いじゃん。


「ただ……【名付ける側】が【名付けられる側】よりも圧倒的に強くないと出来ないとか、名付けられる側となる霊が拒めば成功しない事とか……とにかく沢山の欠点があるんだよ。だから、私以外はあまりやらない。まぁ、霊を祓いたくないなら名付け出来るくらいに力をつけるんだね」


 環ちゃんの言い方は分かりづらいけれど……それは僕が環ちゃんの近くで学んでも良いという事だよね!?

 何も言われていないので、そう解釈かいしゃくします!!


 そう思って強く握った僕のこぶしに、環ちゃんは目を移して……それから、何かを注意深く見るようにスッとその目を細めてから訊いた。


「……盾さん、ずっと震えが止まっていないけど大丈夫?」


「ぇ? ……あぁ」


 その言葉で、初めて自分の震えが止まっていない事に気がついた僕は……「やっぱり辞める?」と訊きたそうにする環ちゃんに首を縦に振る。

 大丈夫だと、そう言うように。


「正直、初めて行った心霊スポットは怖かった。何回も死ぬかと思ったしね」


 時間が経つごとに、恐怖はやわらぐどころか増していっている。


 こわかった。こわかった。

 こわかった、こわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかったこわかった……でも。


「でも、何でだろうね? ゾクゾクが、止まらないんだ……!! 

 もう一度、あの感覚を味わいたい……!! 

 生きるか死ぬかの、ギリギリのふちを歩くあの感覚をっ……!!」


 多分、自分が恍惚こうこつとした表情をしているであろうことがわかる。


 とらわれてしまったんだ。

 怪異の、魅力みりょくに。

 ひとらざる者達の、その魅力に。


「……イカれてるよ」


 わかってるよ。

 自分でも、イカれてると思う。


 それでも……。


「それくらいの方が、霊と向き合う者としては……相応ふさわしいんじゃない?」


 そう言って笑えば、呆れたようなかすかな笑みを返してくれるから。


御上みかみじゅんくん……観測係の新人獄卒として、盛大に歓迎かんげいしよう」


 そう言って、僕に道を示してくれるから。


 いつか、君に怪異の良さを伝えられる日まで。

 いつか、君の過去を教えてもらえる日まで。


「さぁ……環ちゃん。次はどこに行く?」


 僕は、環ちゃんの隣に並んで歩くんだ。

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