Sトンネル 【本命】

「盾くん……本当にやめてくれない? 勝手に近づくなと、ここに入る前に何度も言っておいたでしょうに……」


 あきれたように……というか、実際呆れているのだろう。

 半眼でにらんでくる環ちゃんに構わず、僕はほとんど無意識に……ふらぁっとした足取りで霊に向かって歩いていた。


たまきちゃん!! これすごいねぇ!! 最っ高の気持ち悪さだ!!」


 こちらに向かって、ゆっくりと……だが確実に近づいて来る霊との距離は、僕からも歩み寄る事でより早く縮まる。


「え……ちょっ、頼むから本当にそれ以上近寄らないでくれないかな!?」


 環ちゃんは手を掴んでくるが、十五歳くらいの体格の環ちゃんと一般的な成人男性の体格の僕であれば、当然僕の方が力が強い。


「ねぇ環ちゃん、コイツ気持ち悪いから【キモ男くん】って名付けよう? ほらほらキモ男くん、頑張れ!!」


『く、く、くぅびいをぉ……』


 振り下ろされる草刈り鎌をサラッと避けて「なんて言ってんのぉ? 聞こえねぇ」などと言ってあおりつつ、近くで観察しながら応援する。


 どうやら……持っている首の一つである女性の人の長い髪が邪魔で、素早い動きができないようだ。


「ネーミングセンスゼロじゃねぇかよ、小学生のイジメ並だよ!?

 相手怒ってるし……一緒に来るなら、もう少し大人しくして。

 盾くんが何かしたら危ないのは、私も一緒なんだから」


 環ちゃんが、更に僕を男から引き離そうと力を強くした。

 その姿は、さっきよりも明らかに焦っているように見えて……。


「環ちゃん、どうしたの? なんでそんな焦ってるのさ? というかさ、この霊って本当に上級?」


 全然危険じゃなさそうだけど?


 そう訊くと環ちゃんは、僕の手首をつかんだまま目線を僕から霊の方へと移して––––口を開く。


「ここは元々中級だと言われていたんだけど……最近、派遣はけんされた獄卒が殺された。上から特級、上級、中級、下級と獄卒の位がある内、中級の獄卒の中でもうでが立つと言われていた奴がだ。普通、中級の獄卒は中級の霊に勝てる。

 ……そうじゃないという事で、急遽きゅうきょ等級が引き上げられたんだ」


 そう淡々たんたんと告げた環ちゃんの目は、真っ直ぐと霊を見つめていた。


「更に言えば、ここに来る途中に言ったでしょう? 悪霊は、生きたモノやをエネルギー供給の為におそうと。

 ……盾さんのように死んですぐでエネルギー量が多くて、未練があってもまだ死因によって使えるようになるの扱い方がわかっていない霊は、彼らにとって最高に上質な食糧しょくりょう––––––––えさなんだよ」


 だから、この距離だと私だけならともかく……盾くんの安全が保証出来ない。


 環ちゃんがそう言って僕の手を後ろに引くと同時に、僕は目の前に広がった光景を見て肺から空気を吐き出した。


「ぇ……?」


「早く下がって。これはあくまで【前兆】––––【前触れ】だから、


 固まったように動かない僕にしびれを切らしたのか、そんな風に語る環ちゃんの言葉も頭に入らない。


『クビ……オれノ、かワリ––––クレ』


 男の霊が、その言葉を最後に急に固まったかと思えば……男を髪で邪魔していた女の霊が、目を見開いて僕のことを見たのだ。


 手に持った懐中電灯が––––そしてトンネルの電灯が、落ちる。

 辺りが真っ暗になったのに、暗闇に慣れた目は見たくもない光景を見てしまう。


『ァ––––タすケ、テ』


 男が、草刈り鎌を落として何かへと懇願こんがんしていた。

 それすらむなしく、抵抗を許されずに暗闇よりも黒いナニカに呑まれて消えていく。


 ナニカ……これは––––。


「か、み……?」


 女の長髪だ。

 男を呑み込んだ女の生首は、髪をとぐろに巻いて暗闇に浮かんでいる。

 一筋の赤い涙を流して––––真っ直ぐに僕を、ぽっかりと空いた眼窩がんかで見つめていた。


「……ぁ」


 背筋を冷たい何かでなぞられるような、初めて覚える感覚。

 男とは違って猛スピードで眼前まで迫り来る髪の束に、馬鹿みたいに反応できないでいる僕を、横からものすごい衝撃が襲った。


「ごめん」


 という言葉と共に。


 カタッ、カランカラン……。と音を立てて転がっていく僕が持っていた懐中電灯とは真逆に飛ばされた僕が床に擦った頬を押さえて立ち上がると、そこには……。


「環ちゃんっ……!!」


 今まさに環ちゃんを呑み込んだ女が––––まるで何事もなかったように、さっきと変わらず僕を見つめてくうに浮かんでいた。

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