とあるフロム脳による考察




 やあ。私は自他共に認めるフロム脳だ。フロム脳が何かというとその話は長くなる。できるだけ簡潔にまとめるとしたらとあるゲーム開発企業のつくったゲームのせいでほんの些細なことでも深読みしすぎてしまう人間のことを指す用語だ。さてじゃあ、これからこのたったの二行しかない詩とも言えない何かについて考察しよう。



 さて、ではまず冒頭の『神は死んだ』から考察していこう。これはかの有名なフリードリヒ・ニーチェの言葉の引用である。皆様も何度か耳にしたことがあるのではないのだろうか。

 しかしこの言葉、聞いたことはあるけれど実際どういう意味であるかはご存知ない方が多いと思う。実際私もこれについての考察材料として調べるまで詳しくは知らなかった。どういう経緯でニーチェはこの言葉を発したのだろうか。


 簡単に解説していこう。

 時は約140年前、ヨーロッパではキリスト教が広く信仰されていた。そこでニーチェはこう考えた。「人間は神を信仰することで、神さえ自分を慰めてくれれば良いと考え自堕落になってはいないか。」と。そうして考えを深めていったニーチェは「『神は死んだ!』もう神はいないのだから人間が頑張らねばならない。」と神を信仰する人間に警句を発した。と言った経緯になる。


 ご理解いただけただろうか。そもそも『神は死んだ』の文言は嘆きではなくなのだ。そのことを念頭に置いて次に行こう。

 


 次に、二行目の『俺が殺した』を見ていこう。

 ここから分かるのは「俺」という人物が「神」を殺したということだ。ここであなたに問おう。「神」とはなんだろうか。同じ作者の書いた文に似たようなのがあるが、今は別の世界だと考えよう。

 私が思うに基本的には自分、「俺」と比較して圧倒的上位者である存在のことを「神」であると呼ぶだろう。つまりこの二行目の文で為されたことは「俺」による「神」への下剋上ということになるだろう。



 次に紹介文を見てみよう。

 紹介文を抜粋すると「俺はそうした。君は?」と、ある。ここでは「君は?」と聞いているため「君」にも絶対的な「神」がいることが分かる。重要なのは「神」が複数いることであり、ニーチェの発した警句の先のキリスト教ではないということだ。言わずと知れるキリスト教は一神教である。つまり一行目の『神は死んだ』はまた別の意味であると捉えられる。


 では、『神は死んだ』がどういう意味になるのかというと、紹介文の「君」への警句であると考えられる。そう、最初の方に出てきたである。理由としては、この二行の文は紹介文の「君」への問いかけであるということ。神は死んだだけでなく、また殺せるものであるという重大な事実を見せつけているということが挙げられる。



 さて、最後のまとめだ。全体を通して見てみよう。そうすると朧げにストーリーが浮かび上がってこないだろうか。「俺」が圧倒的上位者である「神」に下剋上を果たし、未だ「神」に従わされている「君」に問いかけとともに警句を発している。

 どうだろう、あなたにも分かってきただろうか。「君」は嫌々上位者に従う必要はない。神を殺す、つまり不服従の意を示すことで下剋上を果たせ。という内容になるんだ。


 どうだい、ちゃんと考えればここまで作者の意図に近づけるんだ。面白いとは思わないかね。






















 作者「思いついた時そんな考えてないっす。」

 考察者「なにっ⁉️」

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