第16話 閑話―桃源郷

「そういえばさ。すいはどうして官吏かんりを目指しているんだ?」


 ある日いつもの食堂で、唐突に梓翔ししょうが聞いてきた。


「どうしたのさ、急に」

「いやふとさ、何で俺、こんなに苦労して勉強してるんだろうって、疑問に思っちゃって。俺の場合、子どもの頃は神童だったから、何も考えずにきょうの学校までいって。一度は挫折したけど、頑張ってる奴がいるから負けれらんねーって思ってまた勉強しはじめて、気が付いたら大学にいて。俺は一体何のために頑張っているんだろうって」


 梓翔は特に官吏になりたいとか、仙人になりたいとか目標があるわけではなく、勉強で上を目指していたら、いつの間にか大学まできていたということだろう。

 大した目標もなくここまでこれたなんて、そっちの方が逆にすごい気がする。


「で、翠はなんで官吏を目指しているんだ? こんなに必死に」


 大学の授業は厳しくて、免状を集めるどころか、ついていくだけで毎日が綱渡りだった。

 確かに何か理由でもないと、やっていられないだろう。

 私が官吏を目指す理由も、それほどしっかりとしたものではなくて、ところどころ漠然としたものだった。

だけど私には一応、官吏になりたい理由がある。


「僕たちの地方でさ、子どもの頃、すごく暑くて飢饉ききんになった年があったでしょう?」

「ああ。確か十年前ぐらいだったか。なかなか食べ物が手に入らなくなって、うちの下男げなんが闇市で、いつもの十倍の値段で食料を仕入れてきていたのを覚えているな」


 ……なんとなくそんな気はしていたけれど、梓翔の実家は結構なお金持ちらしい。


「僕の出身のムラは山の上の方にあったから、あまり暑さの影響を受けなかったんだ。作物も普通に採れたし、山の獲物も川の獲物も捕れた。だから自分達で食べる分と、少しはよその人に分けてあげられるぐらいの食べ物はあった」

「それはすごいな」


 なにせ記録に残るほどの歴史的な飢饉だった。

 その中で全く影響なく普段通りの収穫が得られていたあのムラは、奇跡だった。


「うん。それでその頃、僕は歩いて二時間かかるの学校に毎日通っていたんだけど、その学校で仲が良い友達が痩せていくのを見かねて、少しだけど食べ物を分けてあげていたんだ」

「……それは喜んだだろう」

「……うん」


 今にして思えば、子どもが背負って運べる食べ物なんて大した量じゃなかった。

 しかも毎日あげていたわけじゃない。二、三日に一度、一人につき林檎一個とか、その程度あげるのがせいぜいだった。

 だけど友人達は、「家族で分けて食べたよ」「小さな弟が助かったよ」などと言って、いつも喜んで受け取ってくれていた。


「でもある日、友達の一人が何者かに襲われて、僕があげた食べ物を奪われたんだって」

「……そうか」


 後から聞いた話によると、その何者かはきっと、友達を待ち伏せしていたんだろうとのことだった。

金目のものなど持っているはずのない子供を襲い、荷物から、外側からは見えないようにしっかりと隠していた食べ物を、迷うことなく探し出したと。

その子が食べ物を持っていると、知っているとしか思えない犯行だったらしい。


「幸いその友達は怪我だけで済んで、何週間かで治ったからよかったけど。だけどその日の帰り道、今度は僕がムラまでつけられたんだ」


どこかのムラから、毎回新鮮な食料を運んでくる子ども。

極限の状態の人たちが、そのムラを探し出そうと思うのは、当然のことだったのかもしれない。


「ムラまでついてきちゃった人たちは、ムラに住み着いている仙人たちに撃退されて、ムラの場所の記憶も消されたそうなんだけど」

「……うん? 仙人たち? ちょっと待て。……いや、その点は後で聞く。それで?」

「だけどその時、中央から来ていた偉い官吏の人に私、怒られちゃったんだ」

「……なんで中央の偉い官吏が、そんな僻地へきちのムラにくるんだ」

「ムラに住んでいる仙人たちの中に、昔偉かった人もいるみたいで。緊急時には中央の官吏の人から救援を求められたり、たまに休暇を楽しみにきたり、挨拶にきたりしていたの。その日は飢饉対策できていたって」

「……うん。話を進めてくれ」



 私も生まれた時から仙人がいることが普通で慣れていたけれど。里や郷の学校に通うようになってから、仙人なんて普通の人間からしたら、おとぎ話の神様みたいな存在なんだっていうことを知った。

 だけどまあ、大学には先生や仙医さんなど、仙人がゴロゴロといるので、今となっては別にそこまで珍しいとは思われないだろう。



「その偉い官吏さんに言われたの。『人を助けたいのなら、半端なことをしてはいけませんよ。一つの林檎を一人にあげるよりも、いつかくる飢饉のために食料の備蓄をしたり、体制を整えておく。川が氾濫しないように治水工事をして、何万人を救う。それが才能のある者の務めです』って」

「へえー……」

「ちょうどその頃から、ムラの仙人たちから翠れ……翠は仙人になれそうだなっておだてられるようになって。だったらなってやろうじゃないって。もしも本当に僕に仙人になる才能があるのなら、その能力で飢饉や、氾濫や、妖怪の襲撃から人々を……ううん。友達とか、家族を守りたいって思ったんだ」


 それから何度も何度も挫折して、才能なんてないって諦めかけたこともあったけど。

 ムラに泣きごとを言いに逃げかえる度に、『翠玲はすごい! 絶対才能ある~』と仙人たちに励まされて(おだてられて?)またやる気になるという単純な私。



「……めちゃくちゃ良い理由だな」

「そう?」

「うん。悪いけど、翠のその目標もらうことにするわ」


 気が付けば梓翔はふっきれたように、さっぱりとした表情をしていた。

 先ほどまでのダレたやる気のない表情が、嘘のように、強い目をしている。


「もらうって?」

「俺の目標、今すぐには出てこないけど。でも翠の話を聞いて、俺ももしも仙人になれる才能があるのなら、その能力を故郷の皆を守るために使うのも悪くないって思ったから。だからしばらくは、俺の目標もそれって思うことにする」

「うん! 梓翔は面倒見がいいから、きっと良い官吏になるよ」

「おう! 俺もそう思う」



 言いながらふと、蒼蘭はどうして大学に入学したんだろうって思った。

 今度機会があれば、聞いてみよう。




「ところで翠。桃源郷って知っているか?」

「そりゃ知っているよ。世俗から切り離された別世界のことでしょう? 争いがなくて、ゆったりとした時間が流れていて、仙人と人の区別もなく、皆ただ穏やかに平和に暮らしているという幻の場所」

「お前のムラって、それじゃないか?」

「え? そんなわけないじゃない。幻でもなんでもないよ。私が住んでたんだから。普通のムラだよ」



 本当に、どこにでもあるド田舎の普通のムラだった。

 でも話しながら急に、あれ? そういえば国境に妖怪が出没したり、何か緊急事態が起こる度に、仙人のうち何人かが駆り出されていたなと思いだしたりなどした。


 子どもの頃は「助けてって、昔の友達に頼まれたから助けてきた」っていう仙人たちの言葉をそのままの意味で捉えていたけど、もしかしたらあそこって、辺境警備の仙人の待機場所だったり……いや、それにしては皆、のんびり暮らしすぎだ。

 まあやはり、引退した仙人たちがのんびり暮らしているだけのムラってことでいいだろう。



「今度の休みに、翠のムラに一緒に行ってみて良いか?」

「いいけど。でもムラに入れるかどうかは、仙人たちの審査があるよ」

「……やっぱり桃源郷だろ」

「だから違うって! どこにでもある普通のムラだよ」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る