第4話 同室の男を心配する
入学してからはあまりにも忙しくて、気が付けばあっという間に一か月が経っていた。
予想はしていたけれど、勉強も武術も仙術も、全てが桁違いのハイレベルな授業だった。
きっと誰もが授業が忙しくて、誰も私のことなんて気にしないだろうとは思っていたけれど、本当にその通りで、自分でも女だと隠していることを忘れてしまいそうな忙しさだった。
風呂だけは困ったけれど、相部屋の
恐ろしいことに、風呂に入る時間すら惜しい生徒が他にも結構いるようで、部屋で体を拭いて済ますことも珍しくないらしい。
最初の頃は蒼蘭がいない時間を見計らうのが難しくって、中々体を拭うチャンスがなかった。
でも入学から一週間もしないうちに、蒼蘭が授業が終わった後、なぜか半刻ほど時間をおいてから帰ってくるようになったため、その時間にゆっくりと身支度をできるようになった。
きっとどこかで自習でもしているのだろう。助かった。
毎日心身ともにへとへとで、とても他人のことを気にしている余裕なんてない。
だけどさすがに同室の人のことくらいは気になった。
ガチャリ
ちょうど体を拭き終わって、木桶やらなにやらを片づけ終わった頃、蒼蘭が帰ってくる。
いつも通り無言だ。この一か月の間、ほとんど会話をしたことはない。
「おかえりー」
「……」
こりずに挨拶はしているけれど、やはり返事はない。
無言で帰ってきた蒼蘭は、無言のまま、自分の寝台の布団に座り込んだ。
そのまま辛そうに、横になってしまう。
「え、ちょっと蒼蘭、大丈夫?」
授業についていくのが大変からと言っても、この様子はさすがに異常だろう。
疲れているを通り越して、まるで病気のようだ。
しかし蒼蘭がこれほどまでに消耗してしまう原因が、同室の私にはなんとなく分かっていた。
蒼蘭は入学以来毎晩、なにかにうなされてろくに眠れていない。
私も疲れているのですぐに寝てしまうのだけど、たまに蒼蘭の呻き声に目が覚めてしまうことがあった。
そんな時、いつも蒼蘭は黒い影に覆われている。
「あのさ、おせっかいかもしれないけど、あなたなにかに呪われてない? 自覚あるでしょう。そのままだったら、死んじゃうかもよ。人って寝なかったら死ぬんだよ」
「……」
相変わらず、返事はない。
「医務室へ行ったら? 仙医さんがなんとかしてくれるんじゃない?」
「……」
「授業に遅れるのを気にしているのかもしれないけどさ、そのままにしている方が、絶対よくないって。スッキリ眠れるようにしたほうが、絶対いいよ」
「ウルサイ」
まあ、余計なお世話だろうとは思っていた。
だけどさすがに同室でこれほど体調が悪そうにされていると、気になって仕方がない。
しかも夜中にたまに起こされてしまうのだから、口出しする権利もあるはずだ。
私はひそかに計画していたことを、今夜決行することにした。
*****
夜中に、蒼蘭のうなされる声に目が覚める。
危ない。今日は寝ないでいるつもりだったけれど、疲れすぎていつの間にか寝てしまっていたようだ。
目が覚めてよかった。
蒼蘭を見ると、やはり体全体が黒い
「……ぐうっぅ……」
その影は、まるで蒼蘭を抑えつけているように、纏わりついていた。
私は入学祝にと村の仙人の一人から贈られてきた、
怪異を払う、翠の石でできた短刀だ。
仙術を使う時に、エネルギーを伝えやすくしてくれる道具でもあるし、武器としても使用できる優れモノだ。
しかも実際に仙人が現役時代に使っていたのだから、品質はお墨付き。
私が小さな頃、鮮やかな綺麗な緑石でできた短刀を欲しがっていたことを覚えてくれていたらしい。
そんなありがたい匕首を握り締めて、黒い
ザクリ
素手ではさわれない靄は、仙具の匕首で見事に切れた。
ギャー――――!!!
どこかで悲鳴のような声が聞こえた気がする。
もしかしたら、この呪いの主の声なのかもしれない。
深々と、靄に突き刺した匕首に、自分のエネルギーを注ぎ込む。
「呪いよ、去れ!」
ギーーーガーーーギャーーーーー!!!
呪いはしばらくの間粘っていたけれど、誰かの苦しそうな声と一緒に、去っていった。
「うまくいった……」
授業でならって何千回も練習したけれど、反呪を実際にやってみたのは、これが初めてだった。
もしも相手の方が力量が上すぎたら、呪いを跳ね返すどころか、私まで呪われることになっただろうけれど、実際の仙人様の使っていた匕首の効果もあって、なんとかなったようだ。
「見たか。これが努力の天才の力よ!」
先ほどまで苦しそうに呻いていた蒼蘭は、今はホッとしたように、穏やかな表情をしている。
連日の呪いに疲れていただろうし、このまま寝かせておいてあげよう。
そう考えていたら、蒼蘭の目がパチリと開いた。
「あ、ゴメン目が覚めちゃった? 安心して、呪いは払えたよ。だから朝までそのまま寝ちゃって大丈夫」
「何だって!? 呪いを払っただと」
私がそう言うと、蒼蘭は安心するどころか真っ青な顔になってしまった。
「あ、うん。ダメだった?」
ダメと言われても、放っておいたら本気で蒼蘭は死にそうだったし、それになによりうめき声がうるさかった。
第一呪いを払って何が悪いのか。
お礼を言われこそすれ、文句を言われる覚えはない。
「ダメに決まっているだろう! 俺のことはいないものと思えと言っていたのに……くぅ、抑えられない」
「え? え? なに?」
蒼蘭は必死になって胸のあたりの服を掴み、何かを抑えるような仕草をしている。
先ほどまで、呪いの黒い靄がなにかを抑えようとしていたように。
――え、まさかあの呪いって、何かを抑えつけるためのものだったの?
「ううう……グルルルゥゥ」
蒼蘭の声が、徐々になにか動物の鳴き声のように変化していった。
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