鎮魂の祈り

 その日の夜、一階の酒場も店終いした頃、しんと静まった中で陸王りくおう雷韋らい紫雲しうんの三人は、一つの卓に寄り集まっていた。各々、目の前には蝋燭が立てられた燭台が置かれている。ランプの灯りは消してしまったため、光源となるのは火のともされた三本の蝋燭の明かりだけだ。そのせいで、広い部屋にはあちこちに闇溜まりが蹲っていた。半分ほど欠けた月の明かりが、ささやかながら室内を照らしてくれている。それらのほかに明かりはない。

「雷韋君、精霊の様子はどうですか?」

 紫雲が雷韋に問うと、雷韋は難しげな顔をして答えた。

「この時期独特の、元気がなくて、滞った感じのままだ。昼間と変わんないよ」

 それを聞いて、紫雲は小さく頷いた。

 陸王は終始つまらなげな顔をして紫雲を見る。

「おい、一体何を祈れってんだ。こんなところでたかが三人が何かを祈ったところで、何が変わるとも思えんのだがな」

 紫雲は仕方なさげな顔を陸王に向け、言う。

「ですから、『健やかであれ』と祈るわけですよ。滞ってしまっている精霊達に対し、光竜のもとへ導かれないままに漂っている魂に対して。つまり、鎮魂ですよ」

「鎮魂ねぇ。だったら余計この人数じゃ、意味がないとは思わんのか。御霊会ごりょうえだって、何十、何百の人間が寄り集まって鎮魂の儀を執り行って、尚、魂は鎮まらねぇってのに。ま、ほとんど形だけの鎮魂だがな」

 紫雲は少し顔を傾けつつ、陸王に返した。

「ですから、こう言うものは人数じゃないと思いますよ。そこにある心だと私は考えています」

 陸王は両腕を組んで、面白くない顔のまま舌打ちをした。

「坊主が説教臭ぇ事を言い出しやがったかよ」

 それまで二人の遣り取りを見ていた雷韋が、横から嘴を突っ込んできた。

「願いとか、祈りとかには心が重要だ。何を願うのか、何を祈るのかってさ。紫雲の言う事は少しも間違っちゃいないよ」

 雷韋の言葉を受けて、陸王は溜息をつき、「へぇへぇ」と零した。

「なら、さっさと始めるぞ。こんな薄暗い中に縛り付けられてんじゃ、眠気が兆してくる」

「真面目にやれよ、陸王。今夜は付き合ってくれるって言ってたじゃんか」

「だったら早く始めろってんだ」

 雷韋は不服げに鼻を鳴らしたが、紫雲を見て、

「俺の合図で初めっから」

そう言って両手を組んで、そのまま肘をつく。顎は組んだ両手の上に載せた。それに合わせるように紫雲は卓の上で手を組み、俯く。陸王は両腕を組んだままだった。それでも二人はほぼ同時に目を瞑った。雷韋も陸王達の様子を確認して、自らも目を瞑る。

「んじゃ、これからな」

 雷韋は真剣な声で言って、続けた。

「三、二、一。今!」

 奇妙なかけ声だったが、それに対しては敢えて何も言わず、陸王も紫雲もそれぞれ心の中で祈りの言葉を発した。陸王は半ば投げやりな祈りではあったが。

 心の中の声が聞こえるわけでもなし、形だけ合わせたような感じだった。だからか、陸王はすぐに片目を開けて雷韋を見た。

 雷韋は組んだ両手の上に顎を載せた、一見いい加減な態度ではあったが、祈りを捧げる表情は誰よりも真剣だった。目の前に置いてある燭台の火にちらちらと照らされて、光と影の躍る表情は聖的な感慨さえある。触れたら、簡単に崩れてしまいそうな儚ささえ漂わせて。

 雷韋はそれだけ真剣なのだと感じさせられた。

 陸王はそれから紫雲の方をちらと見たが、彼は何やら難しそうな顔だった。元は修行モンク僧ではなく、普通の聖職者だったのだ。祈りを捧げるとなれば、それだけ真剣なものになるのだろう。だからこその表情だ。

 とは言え、そんな事は陸王にはどうでもいいことだったが。

 祈り始めて間もないことなので、雷韋も紫雲も祈りの言葉を心の中で唱えているに違いなかった。陸王の祈りは灯った蝋燭に風が当たって、簡単に吹き消えるように終わってしまっていたが。いつまで続くのかは知らないが、下手に声をかければ紫雲は兎も角、雷韋が怒ると判じて、陸王は再び目を瞑って少年の祈りが終わるのを待つことにした。

 それからどのくらい経った頃か、ふと紫雲が口を開いた。同時に陸王も目を開ける。

「雷韋君、お祈りは終わりましたか?」

 目を瞑ったままの雷韋の顔がくしゃっと潰れる。

「んっと、えっと、伝えたいことがいっぱいあってさ、まだ半分も終わってない~」

 それを聞いて、陸王は雷韋の頭を引っ叩いた。

「何をそんなに伝えることがある」

はたくなよ~。俺には精霊に伝えたいことが沢山あるんだからさぁ」

 不服げに唇を尖らせて文句を言う。

「んなもん、長々と続けても意味なんざねぇだろうが。精霊使いエレメンタラーなら、普段から言葉を交わしあってんじゃねぇのか。それをだらだらと。いい加減にしろ」

 雷韋の不服面に対して、陸王はうんざりして返した。そうじゃなくとも陸王は待たされた口なのだ。これ以上は付き合っていられなかった。

「なんだよ! 陸王のけち、けち、け~ちっ!」

「煩ぇ」

 陸王は渋面を作ると、目の前で明かりを放っている蝋燭を消して立ち上がった。それから自分の寝台へと移って上着を脱ぐと、寝台の足下に放る。

 その態度は完全に寝る時のていだった。

 雷韋は紫雲に顔を向けると問いかけた。

「紫雲もお祈り終わったのか?」

「まぁ、そうですね。教会で鎮魂の言葉を唱えますが、それを心の中で唱え終わったので」

「ちぇっ。俺だけかよ、終わんないの」

「何事にも限度と言うものがありますから」

 紫雲は困り顔で雷韋を見る。そんな顔で見られて、雷韋は蝋燭からランプに明かりを移し換えると、椅子とランプを持って窓辺に行った。紫雲が明かりの灯ったランプを見て蝋燭の火を消すと、雷韋は窓を開けて桟に腕を乗せてからその上に顎を乗せる。

 完全にふてくされた態度だった。

 紫雲は小さく溜息をつくと、

「雷韋君、今時分の夜の風は冷えます。今夜はもう休みましょう」

 声をかけるが、雷韋は振り向きも返事を返しもしない。

「風邪を引きますよ?」

 実際、窓から吹き込んでくる風はやけに冷たかった。もう晩秋なのだ。太陽が沈んだあとの空気が冷え込まないわけがない。

 既に寝台に潜り込んでしまった陸王の元まで、冷たい空気が流れてきていた。その空気の流れに、陸王はまたしてもうんざりする。特段、寒いのが苦手なわけではないが、このまま雷韋を放っておけば、雷韋の方が風邪を引いてしまう可能性があるからだ。だからうんざりする。

「雷韋、窓を閉めろ。風邪引くぞ」

 陸王の言葉に、小さく鼻を鳴らす音が聞こえてきた。素直に従うつもりはないらしい。ならば放っておけと思った。風邪を引くのは雷韋であって、自分ではないのだから。好きでやっていることなのだから、そのままにしておけばいいと判断したのだ。

 窓を開けて不貞腐れるのも、雷韋の勝手なのだから。

 そのあと、紫雲もなんとか雷韋に窓を閉めさせようと努めていたようだが、少年は紫雲の言葉さえ無視していた。

 陸王はもうそれに興味を持つこともなく、無理矢理眠りに就こうと努めた。

 紫雲が最後に、雷韋に毛布を掛けてやっているところまでは耳に聞いていたが、そのあとのことはもう眠りの淵に立っていて、よく分からなくなってしまった。

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