初秋と晩秋の儀式

「でも、あのさ、陸王りくおう?」

「ん?」

 雷韋らいは半分呆けたような顔をしていたが、瞳の奥には困惑の光があった。

「天災や疫病は光竜こうりゅうが世界の均衡を取るために起こすって、知ってるよな?」

「聞いたことはある。お前もこれまで何度かそんな事を言っていただろう」

「うん、言った」

 こくんと頷いてから、更に続ける。

「日ノ本だって、一緒じゃないのかな? だって、日ノ本だってアルカレディアの一つの島国なんだ。大地の精霊が人の魂を迎えに行ってるはずだよ」

 そこで紫雲しうんが不思議そうに尋ねた。

「と言う事は、怨霊はいないという事ですか?」

「いるのかいないのかは知んね。だけど日ノ本だって世界アルカレディアの一部なんだから、そこでいつまでも人の魂が彷徨さまよってるなんて事はないと思う」

 少しずつ雷韋は自分を取り戻し、精霊使いエレメンタラーの顔になっていった。

 それを見て、陸王は小さく笑う。

「流石に精霊使いは騙せんか」

「陸王さん?」

 紫雲は陸王が笑ったのに、怪訝な顔をする。

「日ノ本には『御霊みたま信仰』ってのがある。怨霊の話はそのせいだ」

「みたま、しんこう?」

 雷韋が確認でもするかのように、言葉を句切って問う。

 御霊信仰とは、怨念を抱いて死んでいった者などの魂が祟りを成し、それを鎮めるために鎮魂の儀を行うなどの行為、思想一連を言う。これは日ノ本特有の考え方だった。大陸にはそう言った思想はない。

 何故なら、精霊使いがいるからだ。

 死した者の魂は大地の精霊に促され、大地と同化している光竜の懐に還る。それを知っているからこそ大陸の者達は、例えそれが精霊魔法エレメントアをほとんど使えない人間族であろうとも、死人の祟りがあるなどと考えることはほぼない。全くないわけではないが、精霊に促されて魂は大地に還ることが当たり前とされている。短期間なら呪われるようなこともあるかも知れないが、精霊が光竜のもとへ魂を送り、光竜がその懐の中で人の恨みも憎しみも浄化してくれるのだ。

 つまり、日ノ本もその中の一環に入っていると言う事だ。

 御霊信仰は飽くまでも、日ノ本の民が信じているだけに過ぎない。御霊信仰があると言うだけで、実際は祟りも怨霊もないに等しいのだ。

 そもそも都で疫病が発生するのは、死者の葬儀を出してやることが出来ない貧しい民が起こりやすくしていると言ってもいい。遺体の火葬をしてやる金が用意出来ない貧しい民が、屍体を河原辺に捨ててくるために起こりやすくなる。それは都だけに限らなかった。どの地方に行っても、ある程度、屍体は放置される。大陸での攻城戦などはその最たるものだろう。死んだ者の遺体をそのまま放置すれば、三日ほどで疫病が発生し、結果、全滅に至る。それと同じ原理だ。違うのは、城塞都市か、そうではないかだけだ。どうしても城塞都市の方が場所が限られてくるため、疫病が広がると悲惨な目に遭う。逆に日ノ本には城塞都市はない。疫病が流行っても、逃げ出すことが出来るのだ。

 災害も、都だけとは限らない。日ノ本中で、大小かかわらず年中起こっている。日照りや洪水もよく起こる。それは小さな島国だけに、人口が増えやすいせいだろうと陸王は踏んでいた。災害や疫病は、雷韋が言ったように日ノ本の均衡を保つために、光竜の命を受けた精霊によって起こされているのだろうから。

 怨霊がいようがいまいが、起こるべくして起こっているのだ。怨霊に祟られて死んだ者達も、偶然が重なって死んでいるに過ぎない。祟りが起きたと言われる期間に、全く関係のない者にも死が降りかかっているのがそのいい証拠だ。

 祟りは偶然の事故や災害であって、怨霊の仕業ではないと陸王にははっきり言える。日ノ本の者が祟りだと信じ込んでいるだけの、単なる出来事だ。

 大陸から日ノ本に渡った陸王だから尚のこと、祟りはないと言える。

 それを聞き終えた雷韋と紫雲は半ばほっとし、半ば鼻白んだ様子だった。

「なんだよ。それって思い込みじゃんか」

 ネタばらしをされて、どこか面白くなさげに雷韋は言った。

「ま、結局はそう言うことだな」

「日ノ本は特殊な土地だから、もっと大陸と違うことがあんのかって思ってドキドキしたのにさ。ちぇっ」

「蓋ぁ開けてみりゃあ、なんてことない。だが、日ノ本じゃ人々は怨霊を信じている。祟りもな。光竜という絶対の神がいても、日ノ本は光竜が創った世界じゃねぇ。高天原の神々に命じられた男女二柱の神が創った世界だ。大陸と同じ価値観じゃ見られねぇ」

 雷韋も陸王の言葉に黙ってしまう。

 逆に紫雲は興味を持ったようだった。

「ですが、ちょっと面白いですよね。大陸では春と秋に精霊が混乱して、人の魂を光竜のもとへ送りにくくなる。日ノ本では夏から秋にかけて怨霊の祟りを鎮めようと努める。偶然かも知れませんが、大陸でも日ノ本でも『秋』なんですよね。何かが起こるのは」

「まぁ、何が起きると言っても、日ノ本じゃ秋までに起こりやすいってだけだがな」

 そこで陸王はふと気付いたように瞬きをした。

「そう言や、『霊迎たまむかえ』と『霊送たまおくり』があったな」

「なんです? それは」

 紫雲が問うと、雷韋も聞き慣れない言葉に目を丸くして陸王を見る。

「『霊迎え』は、迎え火を焚いてあの世から先祖の霊を迎える儀式だ。逆に『霊送り』ってのは、迎えた霊を送り火を焚いてあの世に送り返す儀式だ。こいつは秋に入った七の月に行われる。宮中行事にもあるし、民間の間でも行うな。実際には何を迎えているやら分からんが。人の魂は光竜の元に還って、戻るのは生まれてくるときだろう。ま、気分の問題なのかも知れんがな」

「それでは一応、大陸と日ノ本では初秋と晩秋の違いだけになりますね。ですがどちらも秋です。それに両方共に、儀式でもある」

 紫雲の言葉に、陸王は吹き出すように小さく笑った。

「本当に人間族ってのは、どこでも似たようなことを考えやがるな」

 紫雲は穏やかに「そうかも知れません」と返してから、雷韋に顔を向けた。

「獣の眷属は、その辺りのことはどうなんです?」

「え? 突然そんな事言われてもなぁ。俺、人間族の中で育ってきたし。う~ん」

 雷韋は唸り声を発しながら目を瞑る。少しばかり唸ってから、雷韋は目を開けた。

「魔術の師匠のところにいたときはさ、人の魂の事なんて考えたこともなかったよ。いや、一応、春と秋って季節は特別だったけどさ。そんでも、人の魂云々より、精霊に祈りを捧げてたな。言ったろ? 春と秋に大地の精霊の調子が悪くなるって。活発すぎても不活発でも、循環が悪くなるから精霊が上手く流れるようにって、春と秋は光の妖精族ライト・エルフ達と一緒に祈った。精霊だけじゃなく、人や動物も健やかに過ごせるようにってのも付け加えて」

「なら、今は何も祈ってないってことか」

 陸王が言うのに、雷韋はばつの悪い顔をしてみせる。

「師匠のところ出てからは、祈りを捧げるってより、願うことの方が多くなったな。『お願いだから、上手く循環してくれよ』ってさ」

 祈ろうが祈るまいが、なんだかんだで精霊は流れるのだからと雷韋は言う。

 確かにそうかも知れない。精霊の流れが本当に滞ってしまえば、雷韋はただ憂鬱な顔をしている場合じゃなくなるだろう。慌てて滞った原因を突き止めるために動くはずだ。精霊使いなればこそ。陸王にはそれは容易に想像がついた。

「だからさぁ、さっきもそれ考えてた。早く流れが正常になればって」

「では、今夜にでもお祈りしておきますか?」

 何を思ったか、紫雲が人差し指を立てて、突拍子もないことを言い出した。

 陸王の顔は怪訝に曇るし、雷韋もきょとんとした顔をする。

「祈るってさ、どうすんだよ? 何を祈る? 精霊に対してか?」

 雷韋が言うのに紫雲は苦笑じみた笑みを零す。

「精霊達が万全な状態じゃないのなら、精霊に対して。同時に、流れに乗れずに漂っている魂に対しても『健やかであれ』と」

「そりゃ……いっけど、どんな風に祈る?」

「そうですねぇ。ランプの灯りでは鎮魂の雰囲気が出ないでしょうから、蝋燭に火を点けて、世界に対して静かに祈る、というのはどうです?」

 紫雲が雷韋に問うように語りかけると、一緒に聞いていた陸王はあからさまに鬱陶しげな顔をしてみせた。

「また面倒なことを」

 心底、嫌そうな顔で渋る陸王に紫雲は笑ってみせる。

「こんな事があったっていいじゃありませんか。今夜一度きりですよ」

「陸王がやだっつっても、俺は賛成! やろうぜ、紫雲」

 さっきまでのきょとんとしていた顔から、一気に乗り気になった雷韋は顔を輝かせていた。

「ったく、どうしようもねぇな。なら、今夜限りだ。それ一度きり付き合ってやる。あとはお前らの好きにしろ」

 陸王が言うと、雷韋は紫雲に目を遣って指を鳴らしてみせた。本当に、「やった!」と大喜びの態で。

 紫雲もそんな雷韋の様子に、小さく頷いて返す。

 中で面白くない顔をしているのは陸王ただ一人だけだった。

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