死にゆく季節と怨霊

 秋が深くなり、あちこちに紅葉が覗えるようになった。

 秋晴れの元、雷韋らいは宿の窓を開けっぱなしにして、窓際に椅子を持ってきて座り、窓の桟に両肘で頬杖をついている。

 昨日の夜は酷く冷えたが、朝になると日向では軽く汗が浮く程度には暖かくなっていた。

 まさに小春日和だ。

 それでも枯れ草特有の匂いを夏のように、太陽の匂いで消すことは出来ないようだった。香ばしくも、どこか饐えたような臭いがする。

 村の中心部分とは言え、宿の二階からは遠くの山が色を変えているのがはっきりと見て取れた。窓の外に立っている木々の葉も色を変えている。その木から、ひらり、はらりと枯れ葉が落ちて、風に吹かれて流れていく。その際、葉が地面で擦られる乾いた音が小さく立った。

 枝から零れ落ちた葉の音を聞きながら、雷韋はどうにも遣る瀬ないといった顔をしている。実に憂鬱そうな表情かおなのだ。

 雷韋が物憂げな顔で頬杖をついているところに、陸王りくおう紫雲しうんがやってきた。彼等はそれぞれ保存食を手にしている。一階の食堂で買ってきたのだ。

 村の宿は基本的に大部屋だ。ここも例に洩れず一〇の寝台が置かれている大部屋だった。今のところ、この宿の泊まり客は陸王、雷韋、紫雲の三人だけだ。昼はとうに越えているが、これから人が増えないという保証はない。大部屋だと人の荷物を探る者も現れる。雷韋を一人残して、短時間とは言え二人で買い物をしてきたのもその為だ。三人揃って部屋を空けているところに宿の客が増えることを憂慮したのだ。

 結局、何事もなかったわけだが、雷韋の様子があからさまにおかしい。陸王達が下へ行く前はいつもののほほんとした調子だったが、戻ってみれば浮かない顔もいいところだ。

 陸王はそんな雷韋の様子に溜息をつきつつ、干し肉の束と果物の瓶詰めを押しつけた。

 膝の上に押しつけるようにして置かれた保存食に、雷韋は手を伸ばす。

「果物の砂糖漬けまで買ってきてくれたのか?」

「お前、甘いもんは好きだろう」

「そうだけど……。……うん、あんがと」

 陸王を見遣って何かを噛み締めるように礼を言うそんな言い口も、らしくない。

「何かあったか? 随分と元気がねぇな」

 陸王は荷物袋の中に干し肉の束をしまいながら、特に興味もなさげに声をかける。

「うん。季節がさ」

 陸王から窓の外へ視線を戻して、雷韋はぽつりと言った。

「季節がどうした」

 陸王の言葉に、うんと返事を返したものの、それ以上口を開く様子がない。

「雷韋君?」

 怪訝な表情をして、紫雲が声を掛け直す。

「もしかして、調子でも崩しましたか? 季節の変わり目には調子を崩す人も少なくありませんから。体調だけではなく、心もね」

「うん、そういう人がいるのは知ってる。でも、俺のはそれとは違うんだ。春と秋、特に秋はいつも思うことがあるんだ」

「何をです?」

 困ったような笑みを浮かべて、紫雲は言葉を投げかける。

「春は蘇りの季節だけど、秋は死にゆく季節だなって。だから、上手く光竜のところに導かれればいいって」

 紫雲の顔は困惑げになり、陸王の顔には不機嫌さに似た怪訝さが浮かび上がる。

「何を言っているんだ、お前は。意味が少しも分からんぞ」

「だからさぁ!」

 雷韋は大声を出して、陸王と紫雲を見遣った。

「春は兎も角、秋は大地の精霊が上手く機能しないってことなんだよ」

「『死にゆく季節』だからか」

 陸王はさっきの雷韋の言葉をそのまま返した。

「そうだよ。大地も、それに連なる植物も、半分は眠りに就く。世界から活気が失せるんだよ。それがなんか、遣る瀬ないし……」

「ですが雷韋君、秋は実りの秋とも言うじゃありませんか。死にゆくばかりじゃないと思うのですが」

 紫雲が言うも、雷韋の顔は明るくならない。

「そりゃそうだけどさ。でも自然界の実りってのは次の世代に命を託すから実るわけで、人が言う実りの秋とは全然違うよ」

 陸王はおもむろに腕を組んで、

「で、何が導かれればいいと? 本題はそいつだろうが」

 呆れ果てたように雷韋を睨め付けて言う。

「……ん。魂だよ。人や動物の魂」

 曰く、春は精霊が活発になるが、大地から活力が地上に溢れるせいで大地の精霊が手一杯になり、光竜のところまで魂を導くことが難しくなるのだという。秋は大地の精霊の半分ほどが春までに活力を溜めるために眠りに就き、大地の精霊の手が足りなくなって上手く光竜のもとまで導けなくなるらしい。

 ただ、それは飽くまでも一時的なことだと言う。大地の精霊が一時いっときに様々な動きをするので、その間に死んだものの魂が光竜のところへ導かれにくくなる。混乱が落ち着けば、なんの障害もなく光竜のもとへ導かれると。

 少なくとも雷韋は、魔術の師からそう聞いている。だから混乱する精霊の気配に気付くと、つい早く元に戻って欲しく思えるのだと語った。

 それらを聞いていた陸王は、呆れ果てた溜息をついた。

「そんなもん、お前が落ち込んでどうにかなるわけじゃあるまい。自然のことなんざ、放っておけ。一時的なもんだというなら尚更な」

「でも見えないだけで、漂ってる魂は少なくないと思うんだ。大地の精霊、早く落ち着かないかな」

 遣る瀬ない溜息と共に、雷韋が言う。

 紫雲が雷韋を元気づけるように、一つ案を出したのはその時だ。

「では、鎮魂の祈りを捧げてみてはどうでしょうか」

「鎮魂の祈り?」

 雷韋が不可思議そうに鸚鵡返した。

「えぇ。教会では九の月、晩秋に魂を慰めるために祈りを捧げるんです。大聖堂があるような大きな都市だと、民衆も教会に集まってきますね。祈りを捧げに。鎮魂祭、とでも言えばいいんでしょうか」

「鎮魂祭かぁ。知らなかったな、そんなの。俺の生まれた島でもそんな事しなかったし、魔術の師匠のところじゃ尚更だ」

 感心したように口にする雷韋を見て、陸王は「はっ」と小さく吹き出した。

「ん? 何?」

 雷韋がきょとんとして陸王に目を遣ると、陸王も雷韋の琥珀色の瞳に己の黒い瞳を合わせる。

「どこも似たようなことをやるもんだと思ってな」

 陸王の言葉に返したのは紫雲だった。

「もしかして、日ノ本でも鎮魂祭が?」

「まぁ、祭りになっている場合もあれば、儀式を催すだけって事もあるな」

 曰く、日ノ本では鎮魂祭を御霊会ごりょうえと呼び、夏から秋にかけて何度も催されるとのことだった。その中には民衆も参加出来る、祭りの様態になっているものも当然ある。御霊会と呼ばれるのは、宮中儀式のものだけだ。

 日ノ本では災害や疫病などは全て怨霊の祟りと考えられているため、荒魂を鎮めるために祭りや御霊会を催すのだ。霊鎮たましずめされるのは、不本意な死に方をした者の御霊だ。死が不本意、且つ、想いを強く残すような死に方をした者の魂であればあるほど祟りを引き起こしやすくなる。

 歴代の帝の血に連なる者の中にも、不本意な死を迎えた者はある。太子ひつぎのみこや妃達の中で誤解で殺されたり、策謀によって殺されたりした場合など恨みは深く、その怨霊は地上で猛威を振るう。人々は、数知れない災害と疫病に襲われるのだ。個人個人を見ても、宮中で雷が当たって死んだり、高官の一族が疫病で死に絶えるという事もあった。

 また、それらの不審な死を遂げた者は、悉く怨霊に祟られるだけの理由を持っていた。だから祟りだと言えるのだ。

 死が間近に直面したときなど、時の帝の中には退位して難を逃れた者もいたくらいだ。

 日ノ本では怨霊はそれほどまでに恐れられている。畏怖されているのだ。

 畏怖されるが故に、陰謀に巻き込まれた太子の墓も、帝の墓と同じようにみささぎとして造り替えて慰撫することもあった。中には帝の一人として、諡号しごうが送られることも。妃でも剥奪された位を取り戻し、それどころか、名誉を回復するために贈位されて慰撫されることもある。

 だが、祟りを起こすのは貴人の魂だけではない。貴族よりも下に見られている武士もいれば、民もいる。

 日ノ本は怨霊が跋扈しているのだ。その為に夏から秋にかけて、何度も宮中では御霊会が催され、寺社では鎮魂祭が催される。

 こんな話を聞いて、雷韋は驚きに目を見開き、心ここにあらずと言った態だった。頭がついていかなかったのかも知れない。

 紫雲は怨霊の恐ろしさに、真剣な眼差しで陸王を見ていた。

 なんと言っても、大陸では怨霊というものはほとんど見聞きしないからだ。場所によって亡霊が出るという事はあっても、日ノ本のように祟ってくるわけではない。例え亡霊が出たとしても、いつの間にか光竜のもとへ送られてしまうからだ。

 つまり、悪さをしている暇がないわけだ。

 それに比べて日ノ本では、祟りを鎮めるために鎮魂祭が幾度も営まれている。

 雷韋にも紫雲にも、驚くなとは言えない。彼等の知る魂とは、あまりにもあり方が違いすぎるからだ。

 説明する陸王は、どこまでも淡々とした風に話している。ありのままを語っているだけで、特に驚かすようなつもりはないようだった。

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