第2話 魔女、起床す
「この赤い月の7日という記念すべき日に、魔女とその一派を公開処刑とする!!」
気がつけば、そんな言葉をぼんやりと聞いていた。
聞いたことがないような歪みきった声と身体中の痛みをほとんど意識のない状態で受け入れながら、なんでこんな事になっているのかという事だけ考える。
身体を十字架型の木の杭に括りつけられ、手のひらにそのまま太い杭を打たれているせいでほんの少しでも動こうものなら酷い痛みが脳を痺れさせるというのに、俯かないようにと額に巻きつけられた縄がキツくて痛くて、ただただ周囲の様子を見つめる事しか出来ない。
着ているのは、今日のためにと家族が仕立ててくれた新しく美しかった、赤いドレス。
けれど、「魔女にはこんなものは似合わない」とズタズタに切り裂かれ、綺麗なドレープの裾は千切れて傷だらけの状態で真っ直ぐに固定された足が丸見えで。
その足元に組まれているのは、きっと火をつけるために油をたっぷりと吸わせた薪だろう。知っている。見たことがある。アレは、火刑を実行する時用に特別に用意されているものだ。油を吸っているから火の勢いは強いが、数を少なく組むから痛みと熱気で意識が飛ぶまで火そのもので死ぬことはない、特別製。
これから自分はこの様子を見守っている群衆が投げる石で死ぬまで、この炎で炙られ続けるのだ。
「エリアスティール! エリス!!」
必死に、悲痛に、名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
断頭台に抑えつけられながらも必死に叫んでいるのは、こんな状況でも「逃げろ」と叫び続けているのは、兄だ。母親にそっくりな、優しくて穏やかだった実の兄は、「共謀罪」という名目で断頭台にかけられている。
同じような人間は他に何人か居たが。断頭台にかけられているのは彼一人だ。もしかしたら、続々と同じ断頭台にかけられるのかもしれないけれど、どうでもいい。
逃げろ、だなんて、こちらが言いたい言葉だった。いっそのこと、彼だけでも逃がしておけばよかったと、悔いが残る。
兄が、兵士に頭部を殴られ血を流している兄が、断頭台に頭と両手を固定されて項垂れる。そんな状態でもまだ「逃げろ」と言い続けているのだから、本当に、どうしようもない。
やめて。
お願いだから、やめて。
そう叫びたくても声は出ない。呪文を唱えられないように、仲間を呼べないようにと潰された喉からはか細い呼吸が漏れるだけで兄の名を呼ぶ事も、制止を求める事も出来ない。
ゴトン、と音を立てて断頭台の刃が戒めから解放される。
やめて、やめて。
心の中では叫んでいるのに声にはならなくて、瞬きの間に兄の首と両手が身体から切り離される。
眼の前の、首を動かさずにも見える位置。わざわざ調整されたとしか思えないその位置で、兄が死んだ光景を見詰めさせられた。
いや、兄、だけではない。
何人も、何人も、眼の前で、見える所で、死んでいく。
泣き叫び、許しを請う声も無視されて火刑に処される女に、雑に石を投げられて大人しくなっていく男たち。兄以外にはみな知らない顔だった。みんなみんな知らない人だった。
それでも、
それでも、
憎かった。
全ての悪意を見せつけられた後に笑いながら己の足元に火をつけられ、その業火と共に心の中で憎しみの炎が燃え上がる。
ユルサナイ。
ユルサナイ。
この恨みは絶対に忘れない。
絶対に、絶対に――
復讐してやる……!
「ハッ!」
思い切り息を吐き出すようにして、目を覚ました。
全身がじっとりと濡れていて、酷い寝汗をかいているのが嫌でもわかる。
なんつー夢を見たんだ……
息を思いっきり吐き出しながら起きたせいで心臓がドキドキしていて、無意味に天井を見詰めたまま何も出来ずにしばらく呼吸が整うのを待ってしまう。
酷い夢だった。
誰か女の目線だったようだが、中世っぽい雰囲気だったから何かのドラマのワンシーンだったのだろうか。
ゲームは親の方針で手を出させてもらえなかったが、海外ドラマや洋画なんかは英語のリスニングという名目で見せてもらう事は出来ていたから、ファンタジーを何も知らないわけじゃない。
大学で文芸部に入ってからは自分の海洋恐怖症をなんとかしようと思って色々な本を読み漁ったし、その中にはファンタジー本も多少はあったからなんだか懐かしい気持ちさえした。
でも流石に、自分の目の前で誰かの首が落とされるシーンなんてものは、夢の中でだって見たくはない。
はぁー、と長い溜息を吐き出してから徐々に呼吸が整っていくと、やっと部屋の中はいつの間にかうっすら明るく、朝がやってきているのだという事に気付く余裕が出来た。
でも、そうなると「朝だ」という事実にまた呼吸がおかしくなる。
しまった、寝坊した。
大して酒に強くもないのに発泡酒なんか飲んだものだから変な風に寝てしまったのか、いつ眠りに落ちたのかも全然気付かなかった。
慌てて飛び起きていつも枕元においてあるスマホを探すと、ふわりと何か黒いものが視界の端に落ちてきてまたびっくりしてしまう。
髪だ。
一瞬オカルトな事を考えかけたオレは、しかしそれが自分の頭にくっついている髪なのだと気が付いてまた混乱する。
オレは今まで勉強一辺倒で生きてきたので、当然だが髪を長くしたことなんかない。それも、多分胸元より下くらいの長さだなんて一晩で伸ばすのは絶対無理だ。
じゃあ、酔っ払ってなんかカツラでも遊びでかぶってしまったかとアホな事を考えたオレは、そこでようやく自分の周囲の様子に視線を向け始めた。
「なんだぁ……こりゃ……」
そこにあったのは、大学を出てからなんとか滑り込めた保証人の要らない安くてボロいアパートなんかじゃなくて、まるでファンタジー漫画にでも出てきそうなお貴族様の部屋、だったのだ。
さっきまで見詰めていた天井はよく見れば天蓋付きのベッドだし、スマホを探していた枕元の枕にはふわっとしたフリルがついている。
大人しめのベルベットっぽいシックな赤をベースにまとめられたドレッサー? だとかぶ厚めだけどいい生地なんだって分かるカーテンだとかはまるで目にしたことがないはずのもので、ベッドから降りようと足を出すとオットマンみたいな段差をカバーするベンチみたいな台があってちょっと驚く。
つまりこのベッドは、それだけ大きいベッドだったって事だ。
いや、確かに広いなとは思っていたけど、まさか高さまであるとは。
恐る恐るベンチを使って床に降りたオレは、そこにあったルームシューズみたいなのに足を突っ込むと慌ててドレッサーっぽい家具の方へ急いだ。
今は扉は閉じられているけれど、あれは間違いなく鏡だろう。
化粧品みたいな小瓶とか、ヘアブラシとか、そういうのが置いてあるんだから間違いないはずだ。
今の自分はどうなっているのか。
ベッドを降りた瞬間にフラついた足元に少しばかり嫌な予感がしつつドレッサーの扉に手をかけると、思い切り力を込めて両開きのそれを開け放った。
「……はぁ?」
そこに居たのは、24歳になったばかりなのに目の下には色濃い隈が染み付いたくたびれきったブラック企業のサラリーマンではなく、ブラックはブラックだがサラサラピカピカした黒髪の美女だった。
サラサラの黒い髪はちょっと赤みがあるように見えて、びっくりして丸くなっている目は宝石のように赤い。
化粧でもしているのかと思うくらいに綺麗な肌と唇は、明らかに寝落ちする前のオレとは違ったものだった。
胸だってこう、そこそこ、ある。
少なくとも、男のオレよりは、って事だけど、女性のソコを見るのはちょっとマナー違反だろう……ってそうじゃない!
思わず無言で髪を引っ張ってみると、鏡の向こうの美女も同じように髪を引っ張ったし思いっきりやったので痛みもあって……まぁつまり、夢ではなさそう、なわけで。
どういう事だ?
反射的に己の股間を掴んだのは、もう本能と言ってもいいかもしれない。
正直、痛い。
思いっきり指を立てたから柔らかな肌に爪が食い込んだ上に何もなかったから、自分で自分のブツを思いっきり掴むよりも地味な痛みがあった。
いや、なんでだ。
冷や汗が復活して、じわじわと顔に汗が浮かんでくる。
でもそれも、鏡でちらっと見てみれば美しい女性の艶姿にしか見えなかったのでオレは無意味に恥ずかしくなってソロソロと股間から手を離した。
冷静に整理しよう。
今日は、オレの誕生日だったはずだ。
だからオレは発泡酒を二本とティラミスをコンビニで買って夕飯代わりのちょっと贅沢をして、でも流石にちょっと酷い誕生日すぎねーかと己を儚んで泣いてしまった……までの記憶はある。
胸が痛くて、泣きながら胸を抑えて「ちくしょう」とか「なんで」とか言った記憶はあるが、多分そのまま寝落ちしてしまったのだろうとも思っていた。
でも、そんな状況でこんな事になるだろうか?
全くわけが分からない。これが夢だったのなら「そっか、オレってこんな美人に生まれたかったのか~」なんて薄ら寒い事だって考えられるけれど、もう一度髪を引っ張って一度、股間を掴んで二度目の痛みを思い出すとこれはやっぱり夢じゃない。
オレは、北条直じゃなくなっている。
一体なんで?
何が起きてこんな事になった?
「エリアスティール様、ご起床ですか?」
鏡の中の自分を見ながら混乱してジタバタしていたオレは、トントンと扉を叩きながらかけられた声にまた飛び上がりそうなほどに驚いていた。
エリアスティール?
オレは北条直ですが?
そう言いたいけれど、鏡の中のオレは明らかに北条直ではないし、扉の向こうから呼ばれた名前に聞き覚えがありすぎた。
エリアスティール。エリス。夢の中で、誰かがオレに向けて叫んでいた名前。
あれは兄だと、夢の中のオレがハッキリと認識していた人物が呼んでいた名前、だ。
オレは二度三度と繰り返されるノックとこちらの様子を伺う声女性の声に応じる事も出来ずに、しばらくの間呆然とその場に立ち尽くす事しか出来なかった。
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