第3話 拝啓、魔女より
エリアスティール・ノクト。18歳、独身。
王都の学術アカデミーの最終学年生であり常に総合成績で5位以内に入り続けている才女であり、名門貴族・ノクト侯爵家の末っ子長女。
ちょっとウェーブしているクセのある黒髪は父譲りで、赤い瞳は母譲り。
上に兄が二人居て、兄は勉強の出来る妹をとても自慢に思っていて、「体調が悪い」とベッドに寝込んでいる妹を心配そうに看病してくれているのが長男のアレンシール・ノクト。
母譲りの美しい銀髪と赤い目をした長男は身体があまり強くなく、その影響か侯爵家を継ぐのは次男のジークレイン・ノクトとなる事が決まっているとかなんとか……
そこまで必死に脳内から捻り出して、オレは美しい兄が見守るベッドの中で狸寝入りをしながらモソモソと寝返りを打った。
狸寝入りは、得意だ。寝たふりでもしないと無理矢理にテキストをやらされたりプールに連れて行かれたりしそうになる状況は実家でいくらでもあったから、無駄に得意になってしまっただけなんだが。
「……眠ったようで御座いますね」
「うん。このまま休ませてあげよう……きっと昨日の事が、ショックだったんだと思う」
「はい……アレンシール様はお部屋にお戻りになられますか?」
「父上にエリスの様子を報告しに行ってくるよ。君も、エリスの寝具を整えたら少し一人にしてあげてくれるかい?」
「……かしこまりました」
ヒソヒソと小さな声で喋っているのは、そのアレンシール兄上とさっき部屋にやってきた侍女のフラウだろう。
どうやらいわゆる「お嬢様付き」の侍女であるらしいフラウは、オレがしどろもどろに「今日はちょっと具合が悪いみたいなの」と言うと驚くほど即座オレをベッドに戻すと、侍医と家族を呼んできてくれた。
多分、何の事かは知らんけどオレ……というかこのエリスお嬢様には昨日なにかショックを受けるような事があって、その影響で体調を崩したと思ったんじゃないだろうか。
まぁ、夢見が悪くて汗だくだったし、オレがベッドでもちゃもちゃやってたから髪もぐしゃぐしゃだったから勘違いされても仕方がない。
そんなこんなで、一先ず侍医に具合を確認してもらったエリスお嬢様はフラウに身体を拭いてもらってからこうしてベッドに横になっているワケだ。
その「そんなこんな」のおかげで、オレはさらに今が「現実なんだ」という思いを強める事になったし、彼女――エリスもまた現実に存在しているのだという事が、わかった。
正直、何とも言えない気分だ。
現実なんだけど、現実味がない。
美しい顔の兄がオレの額にキスをしてから部屋を去っていき、侍女のフラウはそれを見送ってからオレの寝具を整えて静かに静かに部屋を出ていく。
枕元にベルが置かれているのは、目覚めた時にこれで誰かを呼ぶためだろう。
オレはそれを知らないはずなのに、自然と受け入れる事が出来ていた。
まるで、知っていた事だとでもいうかのように、だ。
「あー……マジでなんだこれ……」
十分に誰も居ない事を確認してから目を開けて、ゴロリと大の字になりつつ声を出してみる。
当然ながら元々のしょんぼり声とは明らかに違う、アニメから聞こえてきそうな綺麗な声だ。
流石、お嬢様というだけある。
現実味がないのに、オレが動くとその「現実味のない部分」がちゃんと動く。まるでゲームみたいだけれどゲームではないその状況に、オレは両手で目元を覆っていた。
さっきの、オレに優しくキスをしてくれた6つ年上のアレンシール兄上。
彼が、夢の中でエリスお嬢様の名前を叫びながら首を落とされた、まさにその人だ。
間違いない。あんなにお綺麗な顔と髪が血に汚れていても、あんなに悲痛な声を間違えるわけがない。
アレは悪意のある夢、だとか思っていたけれど、現実に彼がここに生きているのを見てしまうとあの夢が予知夢の類なんじゃないかと疑い始めてしまう。
炎で真っ赤になった空
血で真っ赤に染まった地面
傷つけられ、真っ赤な血に伏す人々
あんなのが予知夢なんだとしたら、とんでもない状況じゃないか。しかも、エリスとアレンシールは侯爵家の人間なんだぞ?
お貴族様の爵位やなんかは日本人のオレはあまり詳しくないけれど、この身体の主であるエリスの知識のおかげかノクト家が決してあんな風に処刑されるような家ではないということはハッキリとわかってしまう。
侯爵家と言えば、王族を外した貴族の中では一番地位の高い爵位だ。その中でもノクト家は相当古い家門で、過去には王妃を排出した事もある王家にさえも影響力を与える家だと、頭の中の記憶が言っている。
でも、じゃあなんで、その家の長男がギロチンで首を落とされるなんて事になるんだ?
あれは、本当に起こることなのか?
またザワザワし始める腕を擦りながらゴロリと寝転び直すと、ふと、枕の下になにかがあるという違和感に気が付いた。
何のことはない。本一冊分くらいの固い何かがあって、今までそこに頭を乗せていたから転がった時に柔らかさの違いに気付いただけのこと、なのだけれど、18歳という年頃の女の子が枕の下に本を隠す状況なんて1個しかないんじゃないかと思って飛び起きる。
案の定そこには、何か石みたいなものがハマっている滅茶苦茶豪華っぽい装丁の本が隠されていた。
隠されていたというか、表紙に名前が印字されているから多分日記かなんかなんだろうと思う。
いや、日記だ。これはエリスがオレに残しておいた、エリスの知識が詰まった本。
本を封じるように革の帯を圧えている石に触れるとほのかにそれが青く光り、パチリと革の帯が外れて本の締め付けが開放される。
ほのかにインクの匂いがする紙の匂いはどこか図書館を思わせて、オレはドキドキとしながら1ページずつ紙をめくった。
『拝啓、魔女より。未来の私へ』
文字は、当然オレの知っている日本語ではない。
英語の筆記体を更に難解にしたような文字はハッキリと見覚えのないものだったけれど、エリスの知識が詰まっている脳みそのおかげで読むのには少しも苦労しそうにはなかった。
『手紙の書き出しはこれでいいのかしら。わたくしたちの日常では使わないから分からないのだけれど、多少違っていても許してくれると嬉しいわ』
「……エリス、なのかな」
『わたくしは、エリアスティール・ノクト。このノクト侯爵家の末娘であり、魔女よ』
「は? 魔女?」
書いてある事にいちいちツッコミを入れていたら、まるで文字と会話をしているみたいな心地になってちょっと笑ってしまった。
いかんいかん。起きている事がバレたら、またあのお兄様が来てしまうかもしれない。
それより、エリスお嬢様がこの本を誰かに向けて……「未来の私」と書いている誰かのために書いている事はハッキリした。
それがオレなのかそうじゃないのかは分からないけど、これは、読み進めなければいけないヤツだっていうのは、馬鹿でもわかる。
『わたくしがこの日記を残すのは、未来から来た貴方に、あなたの過去を修正してもらうためよ。簡単に言えば、わたくしはあなたの前世なの』
「……は?」
『ナオ・ホクジョウ。わたくしは、やがて貴方に転生する。けれど、貴方も、わたくしも、目的半ばで非業の死を遂げることは確定してしまったわ。だから、その死を、その終末を、なんとか回避してほしいの』
反射的に、エリスの日記を手放してベッドの端まで叩き飛ばしてしまう。
今、オレの名前が、書かれていた。
つまりはこの本は、オレに向けて書かれたもので、間違いがない。
彼女がなんで来世だとか現世だとかを知っているのかは分からないけれど、とにかくそういうワケで、それで、何故か、オレの死を知っている。
オレが目をそらしてきた、あの胸の痛みのその後を、知っている。
何度か深呼吸をして、ドキドキとしている胸が痛まないのを確認してから恐る恐るに日記を手に取り、今度は動揺しないぞと覚悟を決めて、もう一度彼女の書いた読みやすい文字を追い始めた。
彼女――エリアスティールは、魔女という存在であるらしい。
今エリスの住んでいる大陸はエドーラという大陸で、他にも海を渡ればいくつかの大陸が存在しているがまだ長期航海の技術はそこまで進歩していないと、地図と共に世界の説明から日記は始まった。
魔女とは、魔術を使う女性たちのこと。
このエドーラ大陸では魔術はほとんど発展していなくて、少しでも素養の有りそうな人間は別の大陸から来た魔術師が勧誘していってしまったり、それこそ魔女と呼ばれて迫害されたりする、らしい。
そうやって魔術を使える人間を迫害してきた結果、魔女と呼ばれる僅かな魔術師だけがエドーラに残り、彼女たちがこの大陸を守ってきたと、エリスは記す。
魔女の正確な人数は最早把握出来ていないけれど、魔女たちは代々エドーラに蔓延る【疫病】【戦争】【飢餓】【死亡】から人々を守って来たが、そうやって迫害されて数が減るにつれて今やその中の【死亡】から人々を守る力しか残っていないのだとか。
死亡から人々を守るというのも、寿命や何かを無くすわけではなく、いわゆる治癒の魔術の事を言う場合が多いという。
でも今や、魔女にはそこまでの力はない。
『わたくしは5歳で覚醒し、初めて使った魔術を目撃したアレンシール兄様だけが私が魔女であるという事を知っているの』
『貴方も見たわね。あの夢を。赤い月の赤い惨劇を。わたくしは何度も見たわ。でも、それを止める事は出来なかった。魔女の首魁と呼ばれているわたくしですら、どうしようもなかったのよ』
『だからわたくしは、未来のわたくしに希望を託す事にしたわ。貴方の死も、わたくしの死も避けられないけれど、でも、わたくしの残った魔力を使えばまだ死んでいない未来のわたくしと今のわたくしを入れ替える事は出来る』
『貴方にとっては寝耳に水だと思うわ。でもわたくしに残された最後の希望は、これしかなかったの。どうか許して、許して頂戴』
『この本には、貴方に必要になるだろう知識を書き残しておくわ。わたくしの術式が発動する日まで、夜を徹して書き続ける』
『だからお願い、どうかアレンシールお兄様とこのエドーラを、どうか貴方の知識で助けて頂戴』
どうか、お願いします。
エリスの日記は、貴族の娘が書いたものとは思えない切実な懇願の言葉で締めくくられていて――オレは日記のページに染み込んだ水滴の痕跡を、無言で撫で続ける事しか、出来なかった。
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