第5話 満月の囁き

 ディフェンス・コーディネーター(※1 参照)に付き添われて帰宅した星恋せいれんは、家族に最低限の挨拶を済ませると、自室に閉じこもった。以前の彼女にあった穏やかな微笑みも、一族を支えていた凛とした雰囲気も、そこにはなかった。硬い表情と、どこか怯えた影を背負う姿に、宙太ちゅうたは胸を締め付けられる思いだった。


「姉さん…一体何があったんだ?」


宙太の疑問は誰にも届かず、家族全体に重い沈黙が漂っていた。母・星愛せいあは何も言わず、ただ静かに見守るだけ。一方で、父・宇太うたは星恋の変化に疑念を抱きつつも、声をかけることなく、自室の扉越しに星恋の動向を伺うように見つめていた。


それから数日、星恋はほとんど部屋から出てこなかった。食事もわずかに取るだけで、家族と顔を合わせることを避けているようだった。その様子に、宙太はますます姉の抱える秘密に迫りたいという思いを募らせていた。



そんな中、満月の夜が訪れた。宙太は自室の窓から月光に照らされた庭をぼんやりと眺めていたが、静まり返った家の中で微かな物音に気づく。耳を澄ますと、それは星恋の部屋から漏れる声だった。


人との約束のために…行かなきゃ」


 掠れた声は途切れ途切れで、その内容を完全に理解することはできなかったが、宙太の胸に奇妙なざわめきが広がった。「あの人」とは誰なのか?「約束」とは何を意味するのか?考えれば考えるほど、不安と疑念が膨らんでいった。


その夜、宙太は眠れずにいた。すると、階下でそっと扉が開く音が聞こえた。窓から外を覗くと、月明かりの下を歩く星恋の姿が目に入った。彼女は静かに家を抜け出し、どこかへ向かおうとしている。


(姉さん、一体どこに行くんだ…?)


宙太は咄嗟にベッドから飛び起き、愛犬のシエルを連れて彼女の後を追った。庭を抜け、銀河の森へと続く小道に足を踏み入れる。満月の光が木々の間を照らし、森全体が神秘的な雰囲気に包まれている中、星恋は迷うことなく奥へと進んでいく。その足取りには目的地への確信が感じられた。


やがて星恋は銀河の森の結界の前で立ち止まり、手をかざして呪文のような言葉を呟き始めた。彼女の手には鋭いナイフが握られており、その姿に宙太は息を呑んだ。


(何をしようとしているんだ…?)


星恋が|量子境界(※2 参照)を解き、祠の方へ足を踏み入れる直前、宙太は意を決して声を張り上げた。


「姉さん!」


その声に、星恋は驚いて振り返る。月光に照らされた彼女の顔には、普段の落ち着きや優しさはなく、代わりに深い悲壮感と焦りが滲んでいた。


「宙太…どうしてここに…?」


星恋の声は震えていた。その問いかけに、宙太は何も答えられず、ただ彼女の目を真っ直ぐに見つめた。祠を囲む静かな森の中、月光だけが二人を照らしていた。



*****************


(注釈)

※1:ディフェンス・コーディネーター(Defense Coordinator)

→保安の管理・調整を行う役職。

※2:量子境界 (Quantum Perimeter)

→空間の量子構造を歪ませることで、侵入者を拒む不可視の境界。森の「祠」に繋がるエネルギー場を安定化する役割も果たす。

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