3. -オン・ザ・ボディ 6

 6

 正吾にとって父の在り方は永遠の謎だった。しかし、今日ほど謎だった事は今まで一度も無かった。

 風呂を出た後、下着姿にエプロンをつけた父は、風呂敷包みの中から鍋やら蒸し器を取り出してそのまま台所に立った。正吾は台所に立つ父を見る事さえ久しぶりだった。

 何が始まっているのか皆目わからないまま、狭い台所でてきぱきと動き回る父の背中を戸惑いながら眺めた。下着姿でさえなければ、それはまさに料理人としての父の姿そのものだった。気づけばテーブルの上には一匹の調理された鯛と、それを囲んで幾つもの副菜が所狭しと並べられている。

 手を布巾で拭い、エプロンを取った父が着席した。そして何も言わずに皿を眺めている。

 作業が終わったのだろう。

 何もわからなかった。不気味でしかない。父はそのまま動かなくなってしまった。仕方なく、何もわからないままに正吾も席に座る。正吾の席に向けて、きちんと箸の用意もしてあった。

 「何かあった……?」何も聞きたくはないが尋ねるしかない。

 突然父が顔を上げる。「誰か……」そして、言いかけてやめる。

 「……ど、どうしたの?」

 「今日は、風邪気味みたいだ」

 「は?」

 父が急にシンクの下の戸棚から一升瓶を取りだし、グラスに注いだ「酒は、まだ呑めないのか?」

 「呑めるわけないだろ……」

 正吾が言い終えないうちに、父はグラスを煽っている。顔が少し赤らむが、何を考えているかわからない厳しい顔つきは変わらないままだった。


 父を立派な大人の一人なんだと思っていた頃が正吾にもあった。そうではないと感づいたのは最近で、母がいなくなってからの事だ。

 父が料理に箸を伸ばし始めたので、正吾も恐る恐る店で炊いてきたのであろう炊き込みご飯に手をつける。たまに父が持ち帰ってくる通り、味は悪くない。

 どうしてここまで寡黙な父が一時は店まで持っていたのか不思議だが、この味で納得するしか無いのだろう。

 小鉢に入った料理はどれも手が込んでいて、一体何が何になっているのか正吾にはさっぱりわからなかったが、やはりどれを食べても美味い事は確かだった。

 いつのまにか黙り込んだままの父の存在を忘れて食事をしている。

 「魚は嫌いか」ようやく気まずさも無くなった頃に、また突然父は口を開く。テーブルの中央に置かれた丸々一匹蒸された鯛は、手つかずだった。

 再び気まずさが戻り、箸が止まった。「いや、……別に嫌いじゃ、ないけど」ただ存在感があり過ぎて手が出せないだけだった。

 父はしばらく鯛を睨んでいたと思うと、鯛の首の辺りに箸の先をねじ込んだ。カマを開き、指まで使い何かをほじくり出す。穴の開いた鏃のような小さな骨。「鯛の鯛だ」

 「お、親父……?」全く理解不能だった。

 また黙ったまま父は箸を鯛の身に突き立てる。少しずつ鯛の体が解体されていく。「魚を捌く時、たまに変な事を考える。いつもは綺麗にやろう、とか、上手くやろうって考えている。……いや、そんな事も思ってない。手が勝手にちゃんと動いている。だから、多分、変な事を考えるんだ。魚にも皮があって、肉があって、血があって、心臓があって、胃があって、腸があって、浮袋があって、肝があって……、全部動いていた。さっき殺したのもいる。何かそれがすごく気持ち悪く感じる。何か怖い事をしてる気分になる。やめときゃ良かったなって思う。……でも、捌き終わるとほっとする。当たり前の事なんだって思い出す。それでまた、次の魚を捌く」骨からすっかり剥がされた身を父は一口摘んで食べる。美味いともまずいとも言わない。それきりまた黙ってしまう。

 父が何が言いたかったのか、結局曖昧なままだった。しかし、ひとつ思い出した事があった。父は寡黙ではなく、ただ単に口下手だったという事。

 父は正吾が殺人の現場を見てショックを受けたと思ったのだろう。それで何かしなければいけないと今日の今日まで恐らく考えていたのだ。ずっと黙ったまま。

 正吾は笑いを堪えるのに必死だった。だから何も気の利いた返事ができずに、目の前にある物をただ食べ続けるしかなかった。

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夜を飛ぶ鳥 佐々木ロ円 @loro_satoharu

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