2. -夜を飛ぶ鳥 2

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 「何で俺の家、知ってたの……?」

 居留守を決め込んでいたらいつまでも居座りそうな翠天の勢いに、正吾は仕方なくドアを開けた。翠天すいてんは話があると、部屋に上がりこもうとしたが、正吾はそれを止め、服を着替えて、家を出た。翠天と部屋で二人きりになる事を警戒してだったが、翠天はどちらでも構わなそうに、正吾に従い、後について歩いた。

 学校を抜け出してきたのか、翠天はセーラー服のままだったので、正吾は志丹北高校から離れるように、西へ向かった。

 目的地は無かったが、志丹川の河川敷に突き当たった後は、河川敷沿いの土手を歩いた。正吾の生活圏は、山の手からカーブして東へ続くこの川に区切られている。川の向こうはすぐ市外で、正吾が二日連続で連れていかれた警察署や、駅、それから健斗とめあの通う喜宗館きそうかん高校があった。

 河川敷を見下ろすと、土手沿いの桜並木のシーズンはとうに過ぎて、一面が背の高い藪に覆われていた。次に除草がされるのは、夏の盛りのBBQシーズンになってからだ。

 翠天の足は相変わらず早く、後ろを歩いていたはずの翠天は、いつの間にか正吾のすぐ隣を歩いていた。

 「きみも、わたしの家を知っているだろ」

 強い口調で非難され、どきりとした。目尻の尖った翠天の瞳が、軽蔑するように正吾を睨め上げていた。

 正吾は狼狽えて、翠天を睨み返した。

 昨日、翠天の後をつけたことが、気づかれている様子はなかった。もし気づいていたなら、黙っているようなタイプにも見えない。必ず、今のようにその場で、食って掛かってきただろう。

 「それは、……質問の答えになってない」

 「わたしの後をつけて、さぞ楽しかっただろうな。もしや、きみが首切り魔なんじゃないのか?あの日、きみは人を殺し、その生首を持って逃げる途中、わたしとぶつかったんだ。その場では、つまらない言い訳をして、後からわたしを襲った」

 「目撃されたから、羽生さんを殺そうとしたってこと?それなら、羽生さんがまだ生きてるのはおかしいじゃないか。俺が首切り魔なら、羽生さんをあの場で確実に殺してる」

 「きみが間抜けだからだ。わたしを殺し損ねたんだ。それで、後から殺す機会を伺おうと、わたしの後をつけた」

 後をつけた事がそんなに翠天の逆鱗に触れたのか、ひどい暴論だった。

 「羽生さん、わざわざそんなこと言うために俺に会いに来たの?俺、結構、羽生さんの事、庇ってるんだけど。まだ、警察には羽生さんの事、話してないよ。今から洗いざらい話しに行ってもいい。羽生さん、警察に知られたら困る事でもあるんじゃないの?」頭に来て、捲し立てていた。実際に正吾が翠天の事をまだ話していないのは、ただの成り行きで、今更言い出せなくなってしまっただけだ。

 視線の強さは変わらなかったが、翠天は黙り込んでいた。

 「……それに、俺が羽生さんの後をつけたのは、首切り魔だからじゃない。その逆で、俺も羽生さんを疑ってるからだ。俺からしたら、妙な所で羽生さんと出くわして、なぜか生首を持って、殺人現場に走っていっちゃった。心配になって後を追ったら、羽生さんが倒れてて、生首も死体も消えていた。羽生さんが何をしたいのか、さっぱりわからないよ。犯人じゃないにしても、生首と死体を隠して、襲われたふりをしていたのかもしれない」

 「何のために……、わたしがそんなことをしなくちゃいけないんだ」

 「俺だって、人の首を切るような理由はないよ」

 今度は二人して黙り込むことになった。

 川向いに渡る橋に差し掛かるまで、お互いそっぽを向き、正吾はその間、なぜ翠天が後をつけられていた事を知っているのかを考えていた。

 すぐに思いついたのは、小春から話が漏れたのではないか、だった。

 小春と翠天に直接の接点は無い。わざわざ、小春が昨日の事を翠天に知らせにいった訳ではないだろう。小春は親しい人間を独特の調子で下の名前を使って呼ぶ。正吾や健斗がお互いに下の名前で呼び合う習慣ができたのも、小春の影響だった。昨日の小春の感じでは、正吾の知らないところで、翠天と親しくなっていたというのは考えにくい。

 あるとすれば、いつもの如く、小春がクラスメイトに話すなどして、噂になり、翠天の耳に入った可能性だった。翠天は悪い意味で、クラス外からも注目度の高い人物なので、半日もすれば、学年中に話は広まるだろう。それを耳にした翠天が、激怒して正吾の元を尋ねてきたのだ。これは、昨日正吾が想定した最悪のパターンだった。

 考えている間、正吾の頭の中で、小春のウィンクと、涙を堪えた顔が交互に浮かんでは消えていった。

 小春のウィンクは信用に値しなかったが、あの感情の張りつめた顔を思い出してしまったがために、正吾は自分の考えをあまり信じる気になれなかった。

 多分、あの時、小春は自分が受けたショックを中学生たちに受けさせたくなかったのだろう。

 「……がう」

 「え?何?」隣で翠天が呟いたのを聞き逃し、正吾は聞き返した。まだ翠天に苛立っていたのか、思いの外、不機嫌な声が出て、正吾は自分でも驚いた。「あ、ごめん。……考え事してて」これ以上、翠天を怒らせる気はなかったので、正吾は慌てて取り繕った。

 「違うんだ。……こんな話をしにきたんじゃない。……すまない」そう言いながらも、翠天は自分自身の言葉に不満げだった。

 「いや、……俺も、後つけたりして、ごめん」

 「それについては、謝らなくていい。わたしはまだ、きみを疑っている。お互い様だ」

 「……あ、そう」

 正吾も別に本心から謝った訳ではなく、つい口にしていただけだった。翠天の、律儀と言うか生真面目過ぎる返答に呆れ、疑っていた事が馬鹿らしく感じられた。

 「昨日、首無し死体が見つかった事件でも、きみはその場にいたらしいな」

 それが今回の本題のようだった。馬鹿らしい、と思った矢先だが、翠天が首切り事件に妙に熱心なのは確かなようだった。

 「もしかして、また噂になってたの?」

 やはり自分が翠天の後をつけていた事も、噂になっていたのだろうか?頭の中で、小春がウィンクする。

 ああ、と翠天が短く答えた。

 「羽生さん、友達もいないのに、よくそんな話拾ってくるね……」

 「聞きたくなくても聞こえてくるだけだ。わたしは耳がいい」

 「それ、角じゃなくて、もしかして耳だったの?」

 「……何を言っている?」

 「いや、何でもない。……それで?」

 「何があったのか、詳しく聞かせてほしい」そう言えば正吾が素直に話すと、翠天は信じて疑わないようだった。

 拒否すれば、どんな問答になるか考え、溜息が漏れた。「わかった。話すよ。長くなるかもしれないけど、いい?」

 翠天が、ああ、と言って頷いた。

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