1. -クビナシ密室 5

 5

 「確かに、そこに座ってました」健斗が戸口から、教室の中央付近に立つ警官に向かって説明した。正確に言うならば、座らされていた、だろうが、口を挟まず、黙って正吾も頷く。

 竹下に請われ、再び3階の高校クラスの教室の前に正吾と健斗が行くと、竹下の言う通り、死体はそこから何の痕跡も残さず、消えてしまっていた。

 「他にどなたか、遺体を見た方は?」

 「……小春ってやつと、……塾長」

 警官からの質問に答えた健斗に向かって、正吾は「めあもだ」と補足する。

 健斗が小刻みに頷く。「……あと、めあも見てるから、……えっと、5人、見てます」

 「それから、ここはそのままですか?」

 「はい。塾長が、中に入って、近くで死体を確認しただけで、そのままです」

 警官が、困ったように、教室を見渡す。教室は首無し死体が無くなり、いつもと変わり映えがなくなっている。むしろ、制服姿の警官が中をうろついている事の方が、異常だった。

 警官への受け答えを健斗に任せ、正吾は高校クラスの教室を離れた。

 死体を発見してから、まだ1時間も経っていないはずなのに、まるで目の錯覚だったように思えてくる。あるいは、映画のワンシーンや、CGだったように。

 中学クラスの教室は、両方の戸が開いたままになっていて、中にまだ中学生たちの荷物が一部残り、椅子や机の上が雑然としていた。ひっそりとして、物音ひとつしないのが、やけに寂しげに見える。

 廊下の角、階段前の窓から、通りを見下ろした。人だかりはそのままで、むしろ増えているようにも見える。車道に横づけされたパトカーの隣に、もう一台、セダン車が止まっている。その前で、黒い背広姿の男と小春が何か話をしていた。更にサイレンの音が、どこかから聞こえてくる。

 「正吾!危ないから、あまり離れるんじゃない!」

 「はーい!」

 事務所から、もう一人の警官と共に出てきた竹下に言われ、正吾は高校クラスの教室の方へ戻った。

 死体が無くなった。正吾たちがビルを出てから、死体を動かした人物がいる。まだ誰も口に出していなかったが、正吾や健斗、竹下も、警戒し、また気が張りつめていた。


 「どうも、お世話になってます。広島県警の伊藤です」と、九門と共に階段を上がってきた黒い背広の男が言った。背広の下はネクタイもせず、よれたワイシャツの襟を開いている。

 「はぁ」と、竹下が軽く会釈し、伊藤の後ろに立った九門に声をかけた。「……下は、もう大丈夫なんですか?」

 「ん。ああ、後から来たのは帰らせて、他はるみさんが見てくれてる。親御さんへの連絡は、警察でしてくれるそうだ」

 親という言葉が出て、九門と竹下の表情が暗くなったように見えた。ここ数年、図南学習塾の経営が思わしくないことは、正吾にもわかっていた。去年、小学生クラスが無くなったのは、他にも問題はあったが、主には採算が合わなくなったためだろう。二人は、死体が教室内で発見された事で、経営に悪影響が出るのではないかと不安になっているようだった。

 「君とは、昨日も会っているね」気づくと、伊藤が、正吾を睨むように見ていた。

 「あの、……はい」

 伊藤は、正吾の父とほぼ同年代に見えた。階段を上がって来たときから、気づいていたが、伊藤は昨日の件で正吾を事情聴取した刑事だった。昨日どころか、未明まで顔を突き合わせていた相手だ。

 また別の背広姿の男が、何人かの警官を従えて、階段を上がってくる。「伊藤さん、昨日からどちらにいたんですか?勝手に行動されては困ります」男が、廊下の先から、きつい口調で言った。

 伊藤が「は、申し訳ありません」と、軽く頭を下げる。

 新しく来たその男は、島と名乗った。島は伊藤より若く見え、背広の下に茶色いタートルネックのシャツを着込み、細い眼鏡をかけている。刑事というよりは神経質な画家のようだった。男なのに化粧をしているようで、濃い香水の臭いがする。

 島が、最初にいた二人の警官を集め、状況を聞き、教室に入っていく。

 正吾たちは、エレベーターの前や、廊下で立ちんぼになり、手持無沙汰になった。

 正吾の目の前で、静かにエレベーターの扉が開く。

 顔を出しためあが、教室の方を伺いながら、「……どうなりました?」と、小声で尋ねた。

 正吾は、まだ何も進んでいないと、首を横に振って答えた。

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