1. -クビナシ密室 3

 3

 「第一さー、男らしくないと思うんだよねー」小春は完全にストーカー説を気に入ってしまったようだった。「アタシ、協力するからさー!」

 「いい!放っておいてくれ!」

 確かに翠天の後をつけていたから、当たらずも遠からずで、正吾は否定も肯定もできなかった。もちろん、進んで肯定する気はなかったが、否定しても、更なる追及が待っているだけだ。翠天が、なぜあんな所にいたのか、正吾には納得がいかなかったように、正吾も、小春を納得させられる答えを持っていなかった。

 「頼むから、今日の事は黙っててくれよ……」

 「もーう、わっかってるってー!ストってたなんて羽生さんに知られちゃったら印象最悪だもーん!」

 小春に誤解されたままなのは、正直、いい気はしなかったが、小春の性格を考えると、この通り、ストーカー説は最も穏便に話が済みそうだった。頭を抱えたくなるが、受け入れるしかなかった。

 「とりあえずさー、見た目もうちょっと明るくしようよー。寝癖もちゃんと直してさー……、って、ちょっとちょっと、どこ行くの!」

 図南となん学習塾のあるビルまで来て、行き過ぎようとした正吾の腕をひっぱり、小春が引き止めた。この調子で今日絡まれ続けると思うとうんざりする。「体調が良くない。今日は休むって塾長に伝えてくれ」

 「まったまたー。羽生さんの後つけるぐらい、お元気だったくっせにー」

 「うっざ……」

 「お?そういう口の利き方は良くないぞ!そういうとこも直してこ?」そのまま腕を組まれてぐいぐいとビルの奥に連れ込まれてしまう。

 図南学習塾のあるビルは小さな5階建ての雑居ビルで、1階は自動販売機とトイレの照明以外に明かりがなく、入口から先は薄暗い。二人はいつも通り、フロアの奥にあるエレベーターに乗り、3階へ向かった。本当に小春が黙っていられるか、不安に思い顔を覗くと、音がしそうな程の勢いのウィンクが返ってくる。

 3階につき、エレベーターを降りる。目の前に図南学習塾のステッカーが貼られた事務所のガラス戸があり、中の受付デスクの奥で事務員の龍前りゅうぜんるみがPCモニタを覗いていた。そのすぐ脇、90度左を向くと高校クラスの教室がある。一瞬、何か妙に感じる。

 「あっれ?開いてない?」首を傾げて小春が言う。

 ああ、と正吾も納得した。いつもならこの時間、教室の引き違い戸は開いたままになっている。細い廊下の先を見ると、隣の中学クラスの教室はいつも通り開いているようで、既に中学生たちの話声が喧しく聞こえていた。

 扉の引き手に手をかけて横に引いた小春が「閉まってる」と言う。教室の引き違い戸は二つあるので、正吾も中学クラス側の扉まで行き試してみた。引き手に力をかけるが、がちゃっと音がするだけで開かない。「こっちもだ」

 「えー?何でー?」そう言って小春が中に向かっておーいと叫ぶ。

 「馬鹿。開け忘れたんだろ」

 「うっそー?そんなことあるー?」と、小春が扉に耳を当てた。「中で声してるよ?」

 「え?」事務所に向かって既に歩きだしていた正吾も、小春が扉の前から退いた後、同じように耳を当ててみた。何か物音がしている気はするが、中学クラスからの喧噪でよくは聞こえない。「いや、外の音だろ?」

 「えー?誰か中にいるよぉ」

 また扉に耳をあてる小春を横目に、正吾は事務所のドアを開けた。

 丸顔のるみが、正吾に気づき、PCモニタから目を離す。「あら、こんにちわ」

 「こんにちわ」と挨拶を返し、左側に広がる事務所の奥に、塾長の九門と講師の竹下を探した。九門は応接用のソファに腰掛け、煙草を吸っていて、竹下は講師用のデスクで授業の準備をしているようだった。二人は距離を取りながら、楽し気に談笑している。図南学習塾は九門が個人で経営している塾で、竹下は元々、ここの塾生だった。古い付き合いの二人は仲が良かった。

 「塾長、教室のドアが開いてないんだけど」二人の会話に割って入って、正吾は声をかけた。声をかける相手は九門でも竹下でも構わなかったが、九門の方が比較的暇そうに見える。

 「えぇ?ドアって、高校クラスの?」首まで肉がついた大きな顔が、不思議そうに目を丸くする。

 「そう」と正吾は首を縦に振った。

 「え?俺、ちゃんと開けといたぞ?」

 「いや、閉まってる」

 不思議そうにしたまま、九門が、煙草を灰皿に置き、丸い体をソファから起こした。

 「ぼくも、開いてるの見ましたけどね……?」と竹下が、歩き出した九門に声をかけた。


 事務所から出てきた九門が、正吾や小春と同じように引き違い戸を開けようと試したが、扉は開かなかった。「うーん?おかしいなぁ」心底、怪訝そうな声を出す。

 「中から誰かが閉めたんだってー」小春が言う。教室の扉は、中からサムターンで閉められるようになっていたが、滅多に使われる事はない。悪戯でそんな事をするような高校クラスの塾生も正吾は思い浮かばなかった。中学クラスもほとんど顔見知りだが、今も、隣の教室で変わらず騒いでいる。

 「誰かの声がしたんだって!」

 「えぇ?」と九門も正吾と同様に小春の言う事には半信半疑のようだった。教室の扉は、明り取り用の小さな型板ガラスが上の方にはめ込まれているだけなので、中の様子は照明が点いている事ぐらいしか分からない。「おーい、誰か馬鹿やってんのかー?開けろー」と呆れた調子で九門が教室の中に声をかける。反応は無い。無い首を傾げ、開けたんだけどなぁ、とぼやいて、九門は事務所に戻っていった。

 「おう、どした?」と九門と入れ違いになるように、廊下の先から声がかかる。

 見ると、階段から上がってきた東健斗あずまけんとが手すりに手をかけ立っていた。そのすぐ後ろに佐々木愛空ささきめあも立っている。

 二人とも市外の喜宗館高校に通っていたが、別に一緒に来た訳ではないようで、後ろにいためあに気づいた健斗が、うおっと驚いて声をあげた。

 健斗はいつも学校から直行してくるのでブレザーのままだったが、珍しくめあも制服のブラウス姿だった。そもそも、めあが塾に来ること自体久しぶりだ。

 めあは正吾や小春、健斗とは違い成績も良い。図南学習塾は補習を目的とした所謂補習塾で、受験前までには余所の進学塾や予備校に移る塾生が多かった。めあもそろそろ余所に移るのではないかと正吾は思っていた。

 驚いた健斗におかしそうに笑い、「何かあったんですか?」と教室を見てめあも尋ねる。

 「ドア、アカナイ」ふてくされたようなカタコトで、小春が教室の扉を指さす。

 「はぁ?何で?」そう言って健斗も扉が開かないかを試した。がちゃがちゃと錠が音を立てる。「んー……、塾長は?」

 「多分、鍵持って戻ってくる」正吾が答えると、丁度、鍵束を持った九門が体を揺らして事務所から出てくるところだった。

 「おう」と新しく来た二人に片手を上げる。「すまん、すまん。今開ける」

 フロア内の廊下は細く、すれ違うのにも苦労するほどなので、体の大きな九門が来て、四人はそれぞれ場所を開けた。さりげなく、エレベーター前の廊下の壁に小春と健斗が背中を預けて身を寄せる。二人は図南学習塾では正吾よりも古株で、家が近い同士の幼馴染だった。健斗も中学までは小春や正吾と同じ学校に通っている。

 二人は高校に入ってから付き合っていたらしいが、正吾がそれを知ったのはつい最近だった。今まで二人の関係を、子犬のじゃれあいのように思っていたので、未だに視線がぎこちなくなってしまう。

 九門が鍵束から教室の鍵を選び、事務所側にある方の戸の鍵穴に差し込んで捻った。がちゃんと錠が外れる。「よし」と当たり前に鍵が開いた事を確認するように呟いて、戸を開く。

 正吾は健斗と小春から離れるように、中学生クラス側の廊下から、それを見ていた。

 「うわっ」と九門が呻いた。それから「え?」と困惑する声を上げる。

 九門の妙な反応から、教室の中で何か異変が起こっている事はわかったが、角度的に正吾には中の様子はわからなかった。

 九門の大きな体で塞がれた戸に近づき、隙間から中を覗く。

 「おい!」と顔だけ振り向いた九門がそれを止めようとしたが遅かった。健斗と小春も様子がおかしいと思ったようで、正吾のように九門の背後から中を覗いていた。

 広い教室に整列した二人掛けの机と椅子。その中央の物に、それは座っていた。

 黒のスーツ姿で、手は膝の上に置いているのか、机に隠れていて見えない。

 背は少し曲がっていて、前に俯き加減になっている。

 シャツの襟から下が黒く汚れていた。その上には、あるべき頭が無く、切断された首の断面が、丸く開き、まるでその穴が瞳であるように、教室のホワイトボードに向かっている。

 しばらく言葉はなく、空気が凍りついていた。

 「……どうしたんです?」離れた所に立っていためあが、手に持ったスマホから顔を上げ、戸の前で団子になっている正吾たちに言った。正吾は顔だけ、一度めあに向けたが、何も答えられなかった。中学生クラスからの喧噪が遠く聞こえる。

 「塾長……」とようやく健斗が呼びかけると、待て、と九門が何に対してなのかそれを制した。

 九門が、戸から少しだけ身を乗り出し、教室全体を検める。深い呼吸をして、口が軽く開いていた。

 教室内に、他に異変は無い。

 ただ、首無し死体が椅子に座っているだけで、異常な空間と化していた。

 戸を塞いでいた巨体を動かし、九門が教室の中へ入った。

 腕に柔らかい感触が当たり、いつのまにかすぐ隣にめあが立っている事に正吾は気づいた。「何があったんです……?」九門が中に入り空いた空間に、呆然としたまま押しやられる。丸眼鏡の奥で、目を凝らしためあも、一瞬体を引き攣らせて、正吾たちのように言葉を失ってしまった。

 教室の中を数歩歩いた九門が、戸の方へ振り向き、来るな、と開いた手を突き出す。またゆっくりと歩き出し、机の間を縫って、死体の前に立った。輪切りになった首の断面を眺め、「本物だ……」と呟く。

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