1. -クビナシ密室 2

 2

 午後の授業の間、翠天を意識しないでいる事は正吾には難しかった。

 気をつけていなければ、自然とまた翠天に視線が向かっている。妙な敗北感を感じながら、正吾は授業に集中しているふりをして、結局、なぜ昨日の晩、あんな人気の無い場所に翠天がいたのかを、ずっと考えていた。

 別に深い意図があって言った訳ではなく、とにかく翠天を追及しようと言っただけの言葉だったが、確かにその通りで、翠天があんな道を夜中に一人でふらついていた事は奇妙だった。

 そう思うと、生首を見た時の妙に冷静な翠天の反応も、警察に自分の事を口止めしたこともおかしく思えてくる。

 ぞっとして背筋が寒くなった。

 そもそも、翠天は首切り事件と無関係なのだろうか?

 翠天自身が首切り魔であることはないだろう。少なくとも正吾の出会った首切り魔は翠天ではない。首切り魔の身長が翠天より高かったというのは冗談ではなく、感覚的には確かだった。それに、あの変電所沿いの一本道に出るには正吾を追い抜かなくてはならない。あの時、首切り魔が住宅地の他の路地を抜けて正吾を追い抜き、チェーンソーを隠した上で、レインコートを脱いで、わざわざ待ち伏せていたとは考えにくい。

 しかし、共犯者というのはありえる。首切り事件は、その数の多さから複数犯人説も出ていた。

 例えば、翠天が共犯者なら、犯人がどんな奴だったか、と似合わない事を口にしたのも、正吾が犯人についてどれ程の情報を持っているのか確認するためだった、とも考えられる。

 まさかな、と思いつつも、警察に翠天の事を言わなかった事が、何だかしくじりのように感じられた。

 授業が終わり、担任がやってくるまでの短いざわつきを挟み、ホームルームが始まる。担任が、正吾の名前は挙げなかったものの、昨日の件について話題に出し、夜間の出歩きは注意するように言い、教室から去っていった。

 

 正吾は部活動をしていない。授業が終われば、帰り支度をして帰るだけだ。今まで気がつかなかったが、それは翠天も同じようだった。

 教室から下駄箱まで、ずっと翠天の姿が先にあった。正吾が上履きから革靴に履き替えて外に出ると、翠天が校舎沿いの道を正門に向かって歩いているのが見えた。

 正吾は自宅に帰る時は、西門を利用している。昨日の住宅街も、山の手の丘にある志丹北高校からはまっすぐ西にあった。正門は、坂を下って、駅前の道と交差した大通りに出ていて、街の南側に住んでいる生徒や電車通学をしている市外の生徒が主に利用していた。

 翠天が街の南側や市外に住んでいるのなら、昨日、あの場所にいた事がますますおかしく思えてくる。クラスで孤立している翠天に、会いに行くような友人がいたとも思えないし、何か用があって通る道とも思えない。

 迷った末に正吾は、翠天から距離をとって正門へと向かっていた。

 流石に、翠天が首切り魔の共犯者だというのは、一時の行き過ぎた想像に思えたが、それでも、確かめずにはいられなくなっていた。

 翠天の足は早く、小魚が泳ぐように、下校する他の生徒たちをすり抜けていく。

 正吾も距離を取りながら足早になった。翠天はシルエットが特徴的なので、障害物さえなければ見失う事もない。

 だらだら坂を下り終え、しばらく行くと、大通り沿いの繁華街に出る。昨日の住宅地からはやはり離れていく。

 交差点で翠天が信号に捕まったので、正吾は少し距離を詰め、物陰に隠れた。信号が青に変わる。次の信号待ちに捕まらないよう、翠天が道を渡って、距離が開いてから、一気に駆け出した。

 信号を渡り終え、息を整えながら、先を行く翠天を確認する。翠天は立ち止まり、大通りの向かい側に行くためにまた信号待ちをしているようだった。

 今までと違い、こちらに背を向けている訳ではない。視界の端に捕らえられないよう、正吾は距離を詰めずに、その場で人込みに紛れて、遠目に翠天を観察した。

 信号が変わり、向かいの歩道に渡った翠天が、脇道との角にあるスーパーに入っていき、姿が見えなくなる。

 後を追おうか、考え、少し気持ちが冷めかける。クラスメイトの女子が殺人に関わっていると思って、後をつけるなんてかなり馬鹿げている。生きたままの生首を拾うくらいには。

 スマホで時間を確かめると、まだ塾の授業が始まるまで時間があった。そういう日はいつも一旦家に帰り、私服に着替えて、軽食を摂っている。今から引き返せば、簡単な食事位はできそうだった。

 どうしようか、中途半端な気持ちのまま、時間だけが経つ。目の前の信号が何度か、赤から青へ、青から赤へ変わる。

 次に、信号が青に変わったら引き返そう。そう思いながら、そぞろだった注意をスーパーの出入口に向ける。

 気を離していた隙に、既に翠天は店を出たかもしれない。そう思うと、余計馬鹿々々しい。

 信号が青に変わる。最後にもう一度、店に視線を向けると、小柄で角の様な髪型をした特徴的なシルエットが、白いスーパーの袋を提げて店から出てくるところだった。

 

 翠天の後をつけたら、何かわかるのか?そう自分でも疑問に思いながら、結局、ここまで後をつけてきた事が無駄になるのを嫌い、正吾は翠天の背を追った。

 スーパーから正吾がいる側の歩道へ引き返してきた翠天は、また大通り沿いを南に歩き出す。

 途中、正吾の通う図南学習塾の前を通り過ぎる。翠天は、スーパーに寄って以降、どこに寄り道をする事もなく、周りに何の興味も無さげに、相変わらずの足の速さで、まっすぐ姿勢よく歩き続けた。

 駅前へと続く道との交差点から、更に先に進み、繁華街から住宅街へ景色が変わっていく。翠天が細い路地へと消える。正吾は翠天を追うために早足だったのを、更に早め、ほとんど駆け出している状態になった。

 翠天が消えた路地の角に辿り着き、角からそっと道の先の様子を伺う。路地の左手にある白い山型のマンションの入口へ翠天が入っていく。翠天がマンションの入口に消えてから、しばらく待って正吾は路地に入り、その白いマンションを見上げた。

 何の変哲もない、ファミリー向けのマンションに見える。自宅だろうか?

 更にしばらく待っても、翠天が出てくる様子は無い。やはりここが翠天の自宅なのだろう。

 このまま、翠天が昨日のようにどこかへ出歩かないか、待つ気は流石に湧かなかった。

 人の後をつけるのは、それだけで多少はスリリングな遊びだった。ここが翠天の自宅である事が確認できれば、それで満足しようと、正吾はマンションのエントランスへ向かった。

 短い階段を上がり、開きっぱなしになったガラス戸を潜る。四角いエントランスの中は、奥に更にガラス戸があり、そちらは閉じられていた。ガラス戸の向こうは一階の廊下とマンションの外階段に繋がっている。エントランスの一角に、壁が平行して突き出していて、その壁のそれぞれの側面に、正吾の顔の高さから、腰の辺りまでずらずらと郵便受けが並んでいた。一つの側面ごとに、一つの階の郵便受けが並んでいるようだった。

 周囲に人がいない事を確認し、正吾は、適当に最上階である5階の郵便受けから表札をチェックしていった。中には表札をつけていない郵便受けもある。すぐに見つからなければ、諦めるつもりでいた。

 羽生、と書かれた表札はあっさりと見つかった。正吾が指でなぞりながら、チェックし始めた一番上の段、その三番目、5-3とナンバーが振られた郵便受けに、筆ペンで書いたと思われる真新しい羽生の字がある。その下に、翡典、翠天の文字。

 翡典、というのは、最初、正吾には読み方がわからなかった。しばらく、その名が並ぶネームプレートを眺めていて、読み方に気づいた。

 翡典、翠天と縦に並んでいたため、翡と翠が合わせてヒスイと読む事を思い出し、ひてん、と読むのではないかと想像できた。典の字は、翠天の天と同じ音だ。

 翠天の兄か、姉だろうか?それぞれの名前の最初の一文字が合わさって一つの言葉になるというのは、親子よりは兄弟姉妹の方がピンとくる。夫婦というのは、流石にありえないだろう。

 わざわざ二つだけ名前を出しているという事は、翠天は正吾と同じように二人暮らしなのか?翡典という人物が、正吾の想像通り、親ではなく、兄か姉だとすれば、少し家庭に事情がありそうだ。

 羽生翡典・翠天のネームプレートの前で、純粋に考えに耽り、いつの間にか、正吾は周囲への警戒を怠っていた。

 何の用もない人間が、人の家の郵便受けの前に突っ立っているのを見たら、確実に不審者だと思われるだろう。急に心臓が高鳴って、汗が噴き出す。

 辺りを見回しても、正吾が入ってきた時のまま、エントランス内に人気は無かった。幸い、まだ誰にも見られていない。

 羽生翠天の後をつけるなんて、途中で止めておけば良かったんだ。恥ずかしくさえなって、正吾は飛び出すようにエントランスを出ようとした。

 振り返って、出口に立った人影に気づく。「なーにしてんの?」いひっと笑い声をつけ、いたずらっぽく身を屈めた人影が言う。

 突然現れた人影に、極度の緊張状態もあって、正吾はそれが顔見知りだと気づくのに少し時間がかかった。

 「……いや、なんでもない」ようやく相手を認識し、かろうじてそれだけ口にする。

 「ええっ?何でもなくないでしょ!」大袈裟に影が言う。

 正吾はエントランスの出口に立った影を強引に巻き込むようにして外に出た。マンションのある路地から離れるまで歩き、ようやく一息つく。

 「もーう、何なの!」と、後をついてきた伊藤小春が楽しそうに声を荒げる。


 足の早い翠天の背中が前から無くなり、正吾は自分のペースで、引き返すように大通り沿いの道を歩いた。

 後をつける対象がいなくなった代わりに、今度は正吾の後ろを小春がぴょこぴょことついてきていた。

 伊藤小春は正吾の数少ない友人の一人で、同級生だった。小学生の頃から、同じ学校、同じ塾に通い、クラスは違うが、今も同じ志丹北高校に通っている。

 元々、小春は塾に向かっていて、マンションに入っていく正吾を見つけたようで、二人は大通りを塾を目指して歩いた。正吾も、今更家に戻っても休む時間は無さそうだった。

 「なーにしてたか、当ててあげよっかぁ?」そう、後ろから顔を覗かせ、からかうようにまたいひっと小春が笑う。

 正吾はむっとしたまま、黙って先を歩いた。同級生が殺人事件と関わっているかもしれないと妄想して後をつけたなんて、話好きの小春には最も知られたくない事だった。

 「そっかー、ショーゴにもついに春がきたかぁ」道を塞ぐように、先に出て振り向いた小春の顔が妙ににやけている。

 小春は家に帰ってセーラー服から着替えたのか、ミント色の薄手のパーカーに、IQの低そうな短いプリーツスカートを履いて、リュックを背負っている。

 小春が何を言い出したのかわからず、正吾は立ち止まって「はぁ?」と呟いていた。

 「もーう!ごまかすなよぉ!転校生の子と一緒に帰ってたんでしょ?」やたらと嬉しそうに小春が笑った。

 また「はぁ?」としか言葉が出ない。言ってる意味を理解してから、顔が引き攣り「何で知ってる」と問い詰めていた。

 「え?え?だって、帰り道同じだもん。あの子、変わってるけどかわいいよねー。わかるー。羽生さんだっけ?ショーゴ、ああいう小さい子がタイプだったんだー」

 「は?違う!勘違いだ」慌てて否定する。

 「え?違うの?だって、あのマンション、あの子のうちでしょ?」

 「俺の家とじゃ、全然方向違うだろ!」

 また、え?と困惑調子で頭につけ、「じゃあ、何してたの……?」と小春が聞く。

 しまった、と正吾は思った。本当の事を話す訳にはいかないが、このどうしようもない誤解を解かなければ、明日には学年中に話が広まっているだろう。元々、目立つタイプではない正吾は、昨日の件でさえ、嫌な注目をクラスで集めていたのに、羽生翠天との関係など噂されたら、笑い者になるに決まっていた。更に翠天本人の耳にでも入ったら最悪だ。

 初めから何も知らないふりをして、完全にしらばっくれるべきだった。

 「も、もーぅ、隠すなよぉ」と隣に立った小春が冗談めかして正吾を肘で小突いた。普段の小春はいつでも明るく笑っていて人当たりがいいが、こういう時はしつこい上にひどく煩わしい。

 何とか誤魔化そうと、言葉を探している内に、あ、と言って小春の顔から笑顔が消えた。「もしかして、フラれちゃった……?」

 「そんなわけないだろ!」

 「えー?じゃあ、何なのさー?」

 「何でもない!小春には関係ないし、おもしろい話もない!」

 むー、と小春がむくれる。二人して往来の真ん中に立ち止まっていたため、いい加減、通行の邪魔になっていた。火がついてしまうと周囲が見えなくなる小春を連れて、また道を歩き出す。

 背後でうーん、と小春が悩まし気に唸っている。「……わかった!」

 またどうせ禄でもない事を思いついたのだろうと、正吾が振り返ると、今までにない深刻な顔で小春が追い付いてきた。がっちりと肩を掴まれる。

 「……ショーゴ、良くないと思う。ストーカーは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る