さかさまの時計
茶村 鈴香
さかさまの時計
その男性は精神科の看護師で、トキさんといった。変わった名前だったから、すぐ覚えた。目を覚ますと、起床時の脈を測ってくれている彼の時計の秒針が逆さまに見える。
「すずちゃん、起きた?はい、異常なしだね。朝ご飯までまた寝ててね」
一定の速度で時を刻む秒針を見ながら、そうかやっぱり私は入院してるんだと毎朝思う。
半年前の春から始まったばかりの社会人生活はあり得えないほど失敗の連続だった。私はクレジットカードの会社に入社し、電話注文のギフト券を扱う部署へと配属された。
女性がほとんどの職場でパワハラもセクハラもなかったし、好きなバンドの話で盛り上がって一緒にランチ行く子もいたけど、私は日々の業務には向いてなかった。自分のあまりの無能さに毎日のように絶望した。
例えば顧客が発注の件で電話をくれたのに、前日に『女子飲み』などしたため眠くて通話中不意に寝てしまい、相槌だけはしっかり打って、そのまま朦朧として発注内容そのものをパソコンに入力していなかったり。
こちらから確認事項があって架けた電話番号を間違えて、赤の他人の留守電にメッセージを残し、個人情報を漏洩したに等しく、大変なクレーム案件になるところだったり。
パワハラもセクハラもしない女性上司が、何とかしてくれた。土下座して謝りたかったけど、そんな事したら上司の方に問題があるのかと思われてしまう。折りたたむように最敬礼するしかなかった。
本当は大学では、幼稚園教員と保育士の資格を取っていた。だがあがり症過ぎて特に苦手なピアノの前ではすべての指が硬直した。採用試験は全部落ちた。どうしても“ようちえんのせんせい”になりたかった訳ではなかったが、人生すごろくが振り出しに戻った。そのあと細い糸を辿って何とか入社できたのが、このカード会社だった。
重なるもので家では15年一緒にいた真っ白い猫が死んでしまって、一晩泣き明かした。翌日声が出なくなり会社を休んだ。その頃から、眠れなくなった。それまでの日々の自分が許せず、目を閉じると不安と後悔が押し寄せてくるので、夜通し布団を被って、お笑い芸人や、歌より喋りが上手いアイドルが喋り続けるラジオやポッドキャストをスマホで聴いていた。
朝日が差してくると眠くなった。そこから3時間ほど眠る。身体は常にだるく、パジャマから着替える事も化粧も出来ず、完全に出社出来なくなった。
週末にデートしていた学生の頃からの彼氏にも、会う気力がなくなった。
シングルマザーである母はひどく心配し、何とか私を寝かしつけようとしたが、無理だった。「そばに寝てあげるから」と横に寝られても、子供じゃあるまいし母の体温や寝息が気持ち悪かったし、大抵は母の方がいびきをかき始めるので全くリラックスなど出来ず眠れなかった。
あるいは「お母さんが見ているからぎゅっと目を閉じなさい。もっとぎゅっと閉じなさい」と見張られた。瞼を縫い付けられるかと思った。そんなんで安らかに眠りに入れるわけはない。
人というのは普通、肉体が疲れ精神がリラックスすると眠ると思うのだが、眠りなさいと強制されて眠れるのだろうか。
スマホで睡眠用の音源を流しても、寝つきが良くなるという高めの乳酸菌飲料を飲んでも駄目だった。不眠が続いて徐々に行動が支離滅裂になり、発作のように物を投げたりクッションに顔を押し当てて金切り声で叫んだりした。
メンタルクリニックに通ったが、処方される薬が合わず悪化する一方で、食事もほとんど取れなくなりクリニックの系列の精神病院に強制保護入院となった。
病室に入るなり"安全のために"拘束具でベッドに縛りつけられ、成人用のおむつを着けられ、左腕にブドウ糖の点滴、右腕に鎮静剤はじめ向精神薬の点滴をされた。
同意もなく縛られる事に腹が立って、何よりおむつが不快で屈辱的だった。暴れるとますます締め上げがきつくなる。そういう仕組みの拘束具だった。時々指先に血が通わなくなった。来室した看護師に訴えると、少し緩めてくれた。
だれかきて、だれかきて。大声で叫び続けた。叫び疲れ、静かになって拘束が取れても横になっているように言われ、食事の時間と続いての投薬の時間以外、基本的に外側からドアが開くことはなかった。
薬のせいなのか病のせいなのか物事を考えることが出来なくなり、本を読んでも意味がわからないため退屈で仕方がなく、トイレに行くと言っては廊下をうろついた。そのうち意味もなく部屋を出たり入ったりするな、と部屋に鍵をかけられポータブルトイレを置かれた。
この状況で、落ち着いて眠れるとは、やはり思えない。部屋から出せ、ドアを開けろと大声で騒ぐので、眠らせる為、落ち着かせる為の安定剤や睡眠薬がどんどん増えていった。副作用がきつく、私は人間とは言えない姿になった。
直立することが出来ずエビのように腰は曲がり『お化け』のように両手がぶらりと前に持ち上がってバランスを取っていた。嚥下機能が低下し、よだれが溢れ唇を溶かすので、口周りはいつも荒れて乾燥した。眼球が正しい位置になく三白眼以上に黒目が上になってしまう為、鏡を見ても自分の顔が見えなかった。
そんな姿の私にも、トキ看護師さんは淡々と対応した。私を拘束する時にもトキさんはいた筈なのだが、「ごめんね」「ちょっとだけ我慢しよ」と優しげに説得しようとしたのはこの人だろうか。20代後半くらいの歳で、黒縁の眼鏡をかけ、背中まで伸ばした髪をきっちりとひとつに結んでいた。独特の通る声質で何かと人を笑わせようとした。
「すずちゃん、ご飯だよ。起き上がれる?はい、よっこい、しょういち」
よっこいしょういち、が誰なのか知らないけど私は笑った。笑わせてくれる人がいるのが嬉しくて、笑った。
万事そんな感じで、食事の介助をしながらほんとにしょうもない冗談を言うので、私は吹き出しちゃ恥ずかしいとよくむせた。
「お風呂ですよ」と女性の看護師さんが呼びに来ると「俺が女だったらシャワー手伝ってやるのに」とからかってきた。私は「トキさんならいいよ」と回らぬ舌で返した。
ようやく少しまとめて眠れるようになって、私は集団生活に適応するために個室ではなく4人部屋に移動となった。トキさんは隔離個室の担当だったので、もう会えなくなった。
そこには4台づつベッドのある部屋が12室と、大きなホール、テレビがあった。多くの事情ある女性たちがいた。
4人部屋だったが、同室の人はとても静かなメンバーで、ほとんど会話はなかった。
ホールには、ほぼ動かず声も出さない、病院のレンタルの服を着ているおばあちゃんたちがいた。私服を着ているけど毎日同じ服でずっと同じ事しか喋らない人や、誰とも目を合わせず全く喋らず、窓から外を見ている人もいた。
押し黙ってずっと折り紙を折っているが、1人が突然机をばんばん叩きはじめると、集団で叩きはじめしばらく止まらないグループや、棒立ちで「8チャンネルにして」と延々と言い続ける、テレビのリモコンを渡しても使えない女性。
または一見おしゃれで普通の話しは出来るのに、“何か”に酷く執着を見せる女の子たち。
私は、毎日着替えて化粧して女性雑誌を見ている子たちと話していた。私自身も着替えたり軽く化粧したりする気力は回復していた。
ただ問題は睡眠時間だった。寝つきはさほど悪くないのだが2時間ほどで目が覚めてしまい、真っ暗なベッドで動かずにいるのは苦しかった。明かりの点いているトイレに雑誌を持ち込み見つかって𠮟られた。
このままでは永久に帰れない。私はベッドで死んだふりをすることにした。毛布にくるまり「わたしはしんだ、わたしはしんだ、わたしはしんだ」と唱えた。
葵ちゃん、ユキコちゃん、千秋ちゃんはアイドルみたいに可愛くて、黙って座っていたら彼女たちのどこが問題なのかほとんど分からなかった。
葵ちゃんはまだ10代で街に出たらタレント事務所にスカウトされるだろうと思うくらい整った顔だちだった。黒髪を無造作にまとめ、オーバーサイズのTシャツを着ていた。ひどく感じやすく、虚言癖があった。私のヘアゴムとか、千秋ちゃんの時計とか、人の物を欲しがった。
千秋ちゃんは話しても至極まともで、清楚で知的だった。ほっそりした身体にゆったりしたワンピースを着ている事が多かった。この病棟ではベルトとかリボンとか"紐状のもの"は持ち込めないから、ワンピースのウエストにアクセントをつける事もできない。ショートボブが似合う、あどけなさの残る顔だちだった。婚約者もいるそうだが、少女時代の親からの性暴力に傷つき、ここを出たら親を告訴すると繰り返し語った。日中は気分が安定していたように見えたが、21時を過ぎると公衆電話にしがみつくようにして婚約者に長電話した。テレホンカードを束で持ち、消灯の22時近くまで粘った。
ユキコちゃんはシングルマザーだが、子どもから引き離されていた。明るい髪色にメッシュ、入念にメイクしカラコンを入れ、今時のモテるタイプ。惚れっぽいのか若い男性ヘルパーさんがイケメンに見えるらしく、外出許可を取るとこっそり彼と会っていた。ラブホで何やらしていたらしい。
私は初体験を終えるまでは、ネットで女の子向けのアダルトコミックを読んで妄想にふけった事もあってユキコちゃんがそんなに悪い事をしているとは思えなかった。
病院のスタッフと患者が密会。誘われたとしても患者に手を出したスタッフに非があり、バレバレだったのだから即刻解任する義務があの病院にはあったと思う。
なのに患者の方を悪者にして、知らん顔でユキコちゃんの陰口を千秋ちゃんに吹き込み、仲が良かった2人を疎遠にさせ、教育してやったと言わんばかりの看護師長の善人ヅラを私は忘れない。多分ずっと忘れない。
この大部屋の中で、主な関心ごとは『食事』だった。1週間のメニュー表が貼り出されると、競うように見に行った。人気なのはカレーライスやハヤシライス、時々お昼に出る麺類。不人気なのはお豆腐を玉子でとじたものなど。ハンバーグの日も皆で楽しみにしていたが、ある時、いつも控えめに外を見ていたおばあさんが飲み込みが上手くいかなかったらしく、喉につかえてしまった。人工呼吸はするわ、掃除機で吸引を試みるわで看護師たちは大騒ぎだった。
意識は戻ったので、私は食欲を取り戻し自分のハンバーグに取り掛かったが、おばあさんのすぐ隣りにいた葵ちゃんは、真っ青な顔でそれ以上何も食べられなかった。一番楽しみにしてたのに、と切なかったけど、うまく言葉をかけられなかった。
間食することも、厳重に管理されていた。大人数でいたものの、そこは閉鎖病棟だったので、自由に買い物に行く事は許されなかった。金曜日の昼、班に分かれてアイスクリームか缶ジュース、どちらかを買いにいく事が唯一売店にいくチャンスだった。金曜日の夕食後、週にたった一回のおやつタイムとなる。皆、それぞれ選んだおやつを手に、嬉しそうだった。
外階段の鍵が開いて、トキさんが走って来た。何か緊急でこちらに来る必要があったらしい。トキさんは、私を見ると「おー、元気そうで」と言った。
「まだ病気だよ」と答えると、トキさんは少しためらってから、ポンと私の頭に手を乗せた。
「よくなるよ」
ユキコちゃん状態になるかと思った。無性にトキさんに抱きしめられたくなった。
だけどそれじゃあんまり短絡的思考の都合良すぎる妄想だ。彼氏ときちんと別れてもいなかったし、本当に何かしたいならトキさんと『恋愛』してからだ。
実は私は精神的な恋愛の駆け引きが良くわからない。アダルトコミックを読んでますますわからなくなった。身体の感覚しかわからなかった。
顔だちも性格も、今まで好きになった人は全員違った。『好きなタイプ』っていうのがない状態。向こうが私に興味があるとわかったら、逆に先走って私が夢中になってしまう。
いくら話が盛り上がらなくても、デートがつまらなくても、食事の好みが合わなくても、いったん身体が合って心地よかったらこの人かも、と思ってしまう。私は比較的何をされても良いと思うタイプだったらしく、事が済んでつまらないと思ったことはなかった。だからその後は、逆に相手を追いかけて追い詰めてしまい飽きられた。本当に“愛してる”とはどういう事なのか。わからなかった。
今の彼氏は、私が追い詰めてもするっとかわした。マイペースを守れる人だったので飽きられることもなかったらしい。私が煮詰まりかけると、まぁ落ち着いてと笑った。見た目はごく普通の大学生、からのサラリーマンなのに許容範囲が妙に広く、老成したところがあった。
トキさんは私がユキコちゃん状態だとわかっていたのかも知れない。でも彼は、イケメン面の介護ヘルパーなどではなかった。良識のある医療従事者だった。
「じゃね」と去ろうとする彼に、私も背伸びして彼の頭をポンポンとした。
「トキさん、身体壊さないで」
そのまま走って逃げた。
「当たりマエダのクラッカー」
知らないギャグが追いかけてきた。
少しして、相変わらず不眠気味ではあったが、外出の許可がおりた。書類に母親と会うと偽り、彼氏と会った。ラブホテルに行きたいと誘った。
私が興奮し過ぎるのではないかと、彼は少し怖がっていた。そのせいでまた眠れなくなったら困ると。「うん、でもいいよ。広いお風呂入ってのんびりしよう」と言ってくれた。
紫色の灯りのついた古風な部屋のやたらに広いベッドで、彼は行為の途中になんと眠りはじめた。仕事の疲れなのか、私と再会してほっとしたのか、それとももう私に興味がないのか、私は半分脱がされたまま屈辱を感じた。彼はブラのホックを外さずずり上げるのが好きみたいだがワイヤーが食い込んで痛かった。
まったくもう。やる気なの私だけじゃん。男性より性欲が強いなんて気後れがした。身体の構造が恨めしかった。男性にその気がなければ、行為は不可能なのだ。逆は可能なのに。
触ったり強めに声出したり、あるいはもうちょっと強引なやり方を使えば多分起きるけど、なんかもういいや、と思った。バスタブに泡風呂の入浴剤を放り込んで安っぽい薔薇の香りの泡に沈んだ。
私がこうなる前に、避妊しないで彼も最後までいって、ゆっくり眠ったことがあったな、と思う。どっちが浮気しただのしないだので、ひとしきり半分戯れながら、喧嘩した後だ。
ゴムがどんなに薄くたって、着ける着けないはまるで違う、それは男性の一般論みたいだが、女側からだってそれは、全然違う。彼は若かったし、着けてないとますます達するのが早くて私は待って待って、と思うあまりに彼の背中に思い切り爪を立てた。ちょうどタイミングが合えば頭の後ろ側がビリビリして、それから脱力し眠くなった。
半透明のマーブル模様の膜に包まれてゆっくり螺旋階段を降りていくような眠りだった。
何回か、そういう事があった。きっちり生理がくる方ではなかったので、“危ない”のかもよくわからない。でもなんだか、私自身が避妊したくない日はあった。
彼の部屋などシーツを汚したくない時は行為後にタンポンを使った。ラブホだったら、まぁいいかごめんなさい、とバスタオルを重ねて敷いてそのまま横になっていた。彼の液体がたらっと太ももを伝うのを感じながら眠るのは、変な言い方だけど快感だった。幸福感に包まれて、眠った。もちろん部屋を出る前にもう一度シャワーは浴びたけど。
妊娠することに怖さはなかったといえば嘘になるが、彼の赤ちゃんならいい、結婚しなくてもいい、何とか育てようと思っていた。
病院には結局3か月いた。数回の外出と外泊を経てようやく退院となった。母と外出、実家に外泊と書いたものの、実際にはずっと彼と一緒にいた。退院の日はさすがに実家に帰ったが、母は夕方の勤めに出ていて不在だった。
その後2年半かけて英文翻訳の下訳の仕事を覚え、少しづつではあるがまとまった収入を貰えるようになった。母の元を離れ、彼氏と式も挙げず籍を入れた。退院してからも安定剤や睡眠導入剤は飲んでいたし、こんな病歴のある女は嫌だろうと思ったけど、律儀に彼は待ち続けてくれた。
いつの間にかもう、子どもを産む事を考慮する年齢だった。精神病院に入った人間が、ちゃんとした子どもを育てる自信はなかった。『この人生は子ども無し』決めたらすっとした。彼の両親からの圧力のようなものも特には感じなかった。気が利かず、こんな入院歴のある私に、嫁としての期待はしないでいてくれた。むしろ、嫁ぎ先の1番下の妹みたいに扱ってもらえた。
週末、買い出しに行ったディスカウントスーパーのペットコーナーでガリガリに痩せた仔猫と目が合ってしまった。猫を『買う』なんてと思ったが、どうしようもなく惹かれてお小遣いギリギリの値段で譲り受けた。連れて帰って抱くと猫はきょとんとした顔で私を見た。黒と白のハチワレで、長毛種の男の子だった。おっとりした性格で、ケージからそろそろ出ると2LDKを隅々まで点検し、まずまずはうちを気に入ったようだった。
その晩は夢も見ず次の日の昼まで眠った。いつのまにか横にいた猫に眉間を舐められてようやく目が覚めた。
トキさんが同じ中学の先輩だったことは、ずっと後に知った。三つ上だったので、彼が卒業してから私が入学したことになる。実家を片付けていたら卒業文集が出て来て、歴代の生徒会長の氏名欄に残っていた。一年早かったら同じ校舎にいたんだ、生徒会長だったんだ。 患者の経歴はわかっていた筈だから、トキさんはずっと知ってたんだ。何というか。穴があったら入りたい。
2人と1匹の生活はいまのところ平穏に過ぎている。
「お茶飲む?」
「飲む」
振り返ると夫は何やらトキさんのような目で私を見ている。風呂に入れてやるよ、と笑った時のトキさんのまなざしみたいに。何だか照れくさくて、私は勢いよく薬缶に水を注ぐ。
8時に起きて、在宅で自然科学雑誌の下訳のバイトをしながら猫をかまう。一度AIが機械的に訳したものを、日本語らしく意味が通るように移し替えていく。お世辞にも理系が出来る人間ではないが、専門用語をしつこく調べていくうちに、ある程度は分かるようになった。過不足ない文字数で、締め切りまでに間に合わすのが難しいがやらなくてはならない。
夕方6時過ぎに近くのスーパーまで行って必要なものを買い足し夜10時頃帰ってくる夫と食べる夕飯を作る。
夫は鍋物を好むので、冬はあっけないくらい楽に出来る。時々はハンバーグだの生姜焼きだのグラタンだのも作る。鮭や鯖を焼く。夏は具沢山素麺とか、冷やし中華とか、お好み焼き。暑いと何故か、私は白米を炊くのを避けてしまう。
退院してからずっと、私は腕時計を逆さまに着ける。その方が文字盤を見やすいのだ。必ず秒針がある時計を選ぶ。秒針がないと動いているのか止まっているのか、わからなくなってしまって怖い。
時々眠れない夜がくる。でもいつかは眠れるのだと自分に言い聞かせる。猫は寝たり起きたりが人間のサイクルと違うらしく、眠れない夜は猫が身繕いしたり、あくびしたりするのを眺めている。
猫は私に眠れと強制したりはしないけど、気まぐれに布団に入ってきてくれる時がある。そんな時はかなりの確率で私も一緒に眠れる。
猫には猫の時計があり、私には私の、夫には夫の時計がある。それは残念ながら進めることも戻すことも出来ない時計だ。ある日たったひとつの小さい電池が切れて止まる。電池交換は不可。永遠に、止まる。
カーテンの向こうで猫が伸びをする。帰ってきた夫が今日のゴハンいいじゃん、ウマイと言う。今のこの満ち足りた気持ちを、私は明後日にはきっと忘れてしまう。日記に書くまでもない、瞬間の幸せ。
自分の時計が止まるまで、そんなほんの一瞬がなるべく沢山重ねられる事を願う。
ユキコちゃんも、千秋ちゃんも、葵ちゃんも、そしてトキさんの時計も、なるべく多くの幸福な時間を刻む事を心から願っている。
トキさんの時計は“ツェッペリン”の、銀色の時計だった。
誕生日何が欲しい、と夫に尋ねると、「ツェッペリンの時計、黒いやつ」と答えた。今急いで500円玉貯金を始めている。カランと500円玉を落とすたび、「よくなるよ」とトキさんの声が聞こえる気がする。
「よくなるよ」を信じてるから、私は今日も炭酸リチウムだの、レボトミンだの、朝昼晩の薬のカクテルを飲む。
これは一生続くのか、どこかで断薬出来るのか。
抗うべきなのか、従うべきなのか私にはわからない。
猫と夫とのこの日々が長く続いていくことを、信じているのかもわからないどこかの神様に、祈る。
無機質に時間を刻む秒針が、文字盤を一周するほんの少しの間、ただ祈り続けている。
さかさまの時計 茶村 鈴香 @perumi
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