《4》酒に呑まれてうっかりした代償が問題すぎた件

 勢いに任せて眼鏡を外し、ベッドの横に設置されたサイドテーブルに放る。

 相変わらず困惑の表情しか見せていない諏訪部の腕を強く引き、ベッドに押し倒した。


 性急にネクタイを外す。焦っているからか、指先がうまく結び目に絡まない。やっとのことで外し終え、華奢な身体に覆い被さってキスを再開した。

 息も絶え絶えな様子で鼻から抜けるような声を零した諏訪部は、再び俺の胸元で手を握り締めている。そんな態度にも煽られ、口を塞いだ状態で派手なキャミソールの肩紐に指をかけた。


 真夏のこの時期、屋内はどこも空調が整っているからか、最初の居酒屋でも暑さはあまり感じなかった。

 さっきのバーだって、酔っ払いの体感温度に合わせているのか、暑いとはほとんど思わなかった。あれほど泣き喚いていたにもかかわらず、だ。今のこの部屋も、事前予約もせずに取ったわりには適度に涼しい。


 だが、外はそうもいかない。歩いている間はさすがに暑かった。

 諏訪部の肌もしっとりと汗ばんでいる。俺自身も大概だ。それに、女という生き物はその手のにおいに対して過敏に神経を払うものだとも分かっている。


 それでも、汗なんてさっぱり気にならない。こちらはそれどころではない。


 ひ、と掠れた悲鳴が聞こえ、もっと意地悪をしてやりたい気分になった。

 内面的には枯れ始めている自覚さえあったのに、これだけの嗜虐心がまだ自分の中に残っていたのかと思うと妙に感慨深かった。こういう行為自体が久しぶりだからかもしれない。


 見た目からして簡単に剥ぎ取れるとしか思えない派手なキャミソールを一瞥する。

 なぜここまで無防備な格好で外を歩けるんだ。これではいざというとき、というか今みたいな状況になったとき、碌にガードできないだろうが。

 だいたい、お前は露出が過ぎる。いくら若いからといっても、女性が身体を冷やすような格好は……いや、今はそこはいい。オッサンスイッチが完全にオンになっていた。こんなときになんなんだ、俺は。


 キャミソールの肩紐をなぞる。ブラの紐は見えない。最初から外されているらしい。

 指先に軽く力を込めて紐を横にずらすと、ほんの少しブラが覗いた。微かに見えたその色が想像と大幅に違ったために、俺の目は点になりかけた。


 ……淡いピンク、だと。

 黒や紫などのセクシー系の下着を想像していたところに、強烈な衝撃が走る。


 なんなんだ。刺客か。お前は本気で俺を殺しにきているのか。そろそろいい加減にしないと大変なことになるぞ?

 なんでだ。ギャップばかり、しかも俺のツボを的確に突かれている気がしてならない。無論、今朝この下着を身につけたときの諏訪部は、まさかこんな状況に陥るとは露ほども思っていなかっただろうが。


 それと、気になっていたんだが……着痩せするタイプなのかな、君は?

 ふるふると揺れる豊かな胸元に改めて視線を向けた途端、理性が弾け飛ぶ音がした。キャミソールのフリルが派手だから、貧乳をごまかしてでもいるのかと、下世話極まりない想像をしていた俺を許してほしい。

 仕事中の制服姿を見ても、中にこんな豊かな胸が隠し込まれているようにはとても見えなかっ……あ、いつもそんな目で見てるわけじゃないぞ。断じて違うぞ、俺はセクハラ上司なんかじゃないからな! ……とかなんとか、さっきから俺の脳内がうるさすぎる。そろそろ落ち着いてもらいたい。


 魅惑の胸元から無理やり視線を外し、再び唇を塞ぐ。

 中途半端に開いた諏訪部の唇は、微かに震えていた。加えて、深い困惑の滲む潤んだ瞳が視界に映り込んでくる。


 ……まただ。

 違和感がある。気にしてやれるだけの余裕もないが、それにしても。


 多分、今の自分はものすごく雑な抱き方をしているのだと思う。酒のせいかもしれない。投げやりになっているのかもしれない。あるいは、「こんなのは嫌だ」と諏訪部に言ってほしいのかもしれなかった。

 だが、諏訪部はなにも言わない。真っ赤な顔で恥ずかしそうにしているものの、拒絶まではしない。もしかしたらこういうことにあまり慣れていないのかもしれないと、頭の片隅でぼうっと思う。


 ときおり上擦った声をあげるだけで、諏訪部はずっと困惑気味だ。だが、これ以上は抑えられそうになかった。

 厚化粧の癖に真っ赤に染まった頬が、激しく俺を煽る。これが魔女の魔力なのかもしれない……そんなどうでもいい考えばかり、脳裏を雑に過ぎっては消えていく。


 荒くなっていく吐息に混ざる、甘ったるい酒のにおい。

 しっとりと濡れた肌からほのかに漂う、汗のにおい。

 これまでこれっぽっちも意識したことがなかった、この子の女の顔。


 ……限界だ。

 メチャクチャに食い散らかしてしまいたい、少しくらい食い汚くても許してほしい――血走っていると思しき目、視界の端にチカチカと光が舞い始めた、そのとき。


「……っ、や、やだあああっ!!」


 子供じみた泣き声が鼓膜を劈き、気持ち悪いほど荒くなっていた自分の呼吸がひたりと止まる。


「……あ?」

「ひ、ぐっ、あっち行け、……課長なんか、大っ嫌いッ!!」


 あっち行け。

 課長なんか、大っ嫌い。


 大っ嫌い。


 小学生の悪口と変わらないつたない罵倒を前に、鈍器で後頭部を殴られたような衝撃が走る。そのせいで、興奮と酩酊感がひと息に冷めていく。

 言葉そのものの破壊力とは裏腹に、身体を押し返してくる諏訪部の力はまるで子供のそれだ。それでいて碌に抵抗できず、俺はあっけなく後方に尻餅をついてしまう。


 涙目を大きく見開いた諏訪部と目が合い、そのときになって初めて、俺は諏訪部の様子が明らかにおかしいと思い至る。

 諏訪部は全身を震わせていた。唇も血の気を失ったきりで、歯がカタカタ鳴り出すのではと心配になってくるほど震えている。


 この真夏だ。いくら冷房が効いているとはいえ、寒いわけはない。

 もしかして、こいつ。


「……ええと、あの、……」


 言葉が続かない。

 それでも、ぼたぼたと涙を零しながら俺を睨み返してくる諏訪部の顔を見る限りでは、こちらが訊きたいと思っていることはすでに悟られている上、その答えもまた一択なのだと思うしかなかった。


 巡っていた違和感が、再び頭を縦横無尽に駆け回る。


 タクシーに乗り込もうとした俺の手を引いたときの、寂しそうな横顔。

 ホテルの名前を運転手に告げたときの、強張った手のひらの感触。

 困惑しきった顔、途中から貫いていた無言。

 慣れていない感じしかしない、つたないキスの応酬。


 くらり、頭の芯が揺れた。

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