《2》彩香さんと、悪巧みと

 夏に無理やり真由を誘った飲み会の件、私、ものすごく後悔したんです。

 あんなふうに怒る真由を見るのは初めてでした。私、やっちゃいけないことをやっちゃったんだなって、心底思い知りました。


 真由は、自分の話を滅多にしない子です。あの子の話を聞こうとしていたはずなのに、いつの間にか逆にこっちの話を引き出されてしまっているなんて、よくあること。

 とんでもない聞き上手です。ゼミ内でも、真由と仲良くしている子たちは、皆一度はそういう経験をしています。


 だからあの日、真由には嫌われてしまっただろうなと痛感していました。主役が不在になった飲み会を、主催にもかかわらず途中で抜け出して、自宅に戻ってひとりで泣いていたんです。

 けれど、真由は許してくれました。『彩香のほうこそ針の筵だったでしょう、ごめんね』なんて、あの子は本当に優しすぎるんです。


 そのとき、改めて思いました。

 私、この子とちゃんと向き合わなきゃって。


 なんとなく、余裕がなさそうだなとは思っていました。バイトにはほぼ毎週行っているし、週末に遊びに誘ってもいい返事をもらえたことは数える程度。多分、稼がなければならない理由があるんだと、それくらいは分かっていました。でも。

 言いたくないのかな、訊かれたくないかな。勝手にそう判断して、私は真由と向き合うことから逃げ続けていました。


 夏休みが終わり、意を決して真由に訊いてみました。真由はちょっぴり驚いた顔をして、それでもきちんと打ち明けてくれました。

 ご両親のこと、学費のこと、生活費のこと。自分が一番つらかったときに支えてくれた、彼氏さんのこと。


『こんな話を自分からするのは、不幸自慢みたいで、なんだか嫌だったの』


 そんなふうに言いながらも、真由は私に打ち明けてくれました。

 ということは、私は真由に、大事な友達だと少しは思われてると考えていいのかな。


 そう思いました。そう思えることを、嬉しいとも。


 それからは、それまで以上に打ち解けられていると感じています。

 一度は自分のせいで失くしかけた友情を、途絶えさせてしまわずに済んで本当に良かったと、心から思っています。



     *



 異変が訪れたのは、十月に入った頃でした。

 普段とは違う、明らかに塞ぎ込んでいる真由の様子を訝しく思い、少々強引に話を聞き出したのが始まりでした。

 最初のうちこそ、大丈夫だから、とずっと繰り返していました。けれど、次第に眉根を寄せて悲しそうに視線をさまよわせるようになっていく真由を見て、これはきっと相当なことがあったのだと直感しました。


『都築さんとは、もう駄目になっちゃうかもしれない』


 諦めた顔で笑う真由のその言葉に、度肝を抜かされた気分でした。

 バイト先の事情が複雑に絡んでいるらしくて詳細までは教えてもらえなかったけど、私が真由の話を聞いてなにより強く感じたのは、都築さんへの憤りです。


 なに考えてるの。あんた大人でしょ、社会人でしょ。自分で真由を選んでおいて、それでこんなふうに傷つけるなんて、最低よ。

 見も知らない〝都築さん〟に対して私が抱いたものは、不信感と嫌悪感だけでした。その後に関係を持ち直したという話を真由から聞いたときにも、一度抱いた負の気持ちは、簡単には払拭されませんでした。


 また傷つけられたらどうするの? その人は本当に真由を大事に思ってる?

 燻るようにそんな考えが残るばかりで、目の前で真由が笑っているのに、私はいつまでも気分が悪いままでした。


 けれど、加瀬くんの件で、私は自分の勘違いを思い知る羽目になりました。


 私が知っている〝都築さん〟は、〝真由が話して聞かせてくれる都築さん〟だけ。それでは本当の人物像が見えないと、元々もどかしく思い続けていました。それが、加瀬くんの件で直接私の電話に連絡が入ったとき、彼への認識が百八十度変わってしまったんです。

 真由のことをこれ以上ないくらいに大事にしていると、電話越しの声を聞いてすぐに分かりました。だからこそ、あれほど自分のことを他人に伝えることが苦手な真由も、彼に心を開いたのだと思います。実際に、長い付き合いがある私よりも先に、真由は彼に心を開いていたわけですから。


 加瀬くんに襲われた真由を助ける姿を眼前にしたときには、むしろ私の出る幕こそがないのかと、途方に暮れそうでした。

 加瀬くんに向けられた激情も、震える真由を私に任せてくれたことも、彼の取る行動のすべてが真由を思ってのものでした。このときに、これまでの誤解を心底反省させられたんです。


 私の内心など都築さん本人は知る由もないのでしょうが、せめてものお詫びにと思いまして……真由をけしかけてあげたんですよ、私。


『ねぇ真由。どうしても聞いてほしいお願いがあるときにね、彼氏さんのこと、下の名前で呼んであげるといいよ。絶対言うこと聞いてくれるから。っていうか、彼氏さんも真由にもっと甘えてほしいって思ってそう』


 真由は少しためらっているように見えましたが、近々実行するだろうなという確信もありました。付き合いが長い分、真由の性格はだいたい分かっていますからね。

 真由自身に心を開いてもらったのはつい最近のことだけど、私が真由に初めて心を開いたのは、もう随分前の話ですし。


 後日、真っ赤な顔をした真由が、実行の報告をしてくれました。

 予想以上の破壊力だったんだなと、少々反省させられた次第です。


『完全に理性奪っちゃっただけでしたよね……!!』


 ……あらやだ。大人なのに余裕ないんだね、都築さん。

 いわれてみれば、以前にも似たことがありました。加瀬くん事件の直後、警備員に事情を説明するために大学に行くと約束していたのに、〝行けなくなりました〟という連絡が都築さんから入ったことがありまして、そのときにももしかしたらとは思ったのでした。確かに。


 多少のトラブルはあったみたいですが、お詫びは成功ってことでいいでしょうか。

 でも、今度真由を泣かせたらタダじゃ済まさないからね、都築さん……って、そんなことは心配するだけ無駄な気もするけど。




〈彩香さんと、悪巧みと/了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る