《2》ほかにはなにも
半分雪に埋もれた状態の真由を、強引に玄関に引きずり込む。髪といわずコートといわず、全身の至る部分を白く染めたその姿を見て、外は今、吹雪いているのだとようやく気づいた。
半狂乱になりながら、真由から雪を払い落としていく。手はすぐさま冷たくなり、だがそんなことを気にしている場合かと自分を叱咤する。そうこうしながら、完全にこの子の保護者ポジションだな自分は、と思って少々気分が塞いだ。
しかも真由は途中から笑っている。ここは笑うところではない。
……と、前にも似たことを思ったことがあった気がした。しかし、それがいつだったかを悠長に考えていられる余裕はなかった。
払うよりも先に溶けて水滴になった雪が、真由の髪の毛先を微かに濡らす。
ぽたりと零れ落ちた雫が床を濡らしたと同時に、縋りつくように胸の中に飛び込んできた真由を受け止めつつも、頭が真っ白になった。
「っ、真由?」
「……昨日。ごめんなさい」
胸元に頭を押しつけたままの真由の声は、くぐもって聞き取りにくかった。
声も身体も小さく震えている。寒さ、雪の冷たさ、それらだけが原因ではないのだと思う。ついさっきまで笑っていた癖に、と確かに思ったのに、それは声になってはくれなかった。
気が立っている。昨日の激情が、まだ抜けきれていない。そんな状態で顔を突き合わせることを危険だと思っていた、それが今、現実になってしまっている。
止めようがなかった。選択肢がひとつしか残されていないのは、俺だって同じだ。
「こっちこそごめんな。本当は傍にいたかったけど、気が荒れてたからマズいなって思って」
「ふっ……く……」
「怖い思いしたのに、置いてってごめんな」
胸に押しつけられた頭を左右に振られ、擽ったさに身をよじりそうになる。少しでもあたためられたらと冷えた身体を抱き寄せたそのとき、不意に頬に冷たいなにかが触れた。
真由はいつしか胸元から顔を放し、俺を見上げていた。潤んだ視線に射抜かれ、どくりと心臓が高鳴る。
「そんなことない。助けてもらえて、私、嬉しかった。学校だし、絶対助けてもらえるわけないって。こんなところまで、都築さんが来てくれるわけなんかないって、思ってたのに」
「……真由」
「悪いのは私なのに、気をつけなかったからあんなことになったのに……けど」
――私を助けてくれるのは、やっぱり、いつだって都築さんだけです。
目尻からぽたりと零れたそれは、髪から滴り落ちた雪の残滓などではない。泣きながら笑う真由を見て、これ以上耐えきれるはずはなかった。
噛みつくように塞いだ唇は、氷かと思うほどに冷たかった。自分のそればかりが無駄に熱を持っている気にさせられて、早く同じ温度まで引き上げたくなって、それしか考えられなくなる。
馬鹿だな。どうして来てしまったんだ。
こうなると分かっていたから、昨日、身を切る思いで傍を離れたのに。
「真由。今、あんまりそういうこと、言わないで」
「駄目なの?」
「……駄目、ではないけど。襲っちゃいそうになる……」
言わせないでくれと思いつつも、はっきり言っておかなければまず確実に誤解するだろうと踏んだ。
この子はそういう子だ。きちんと伝えたところで誤解しかねないほど悪いほうにものごとを捉えやすいこの子を相手に、なにも伝えないなどという選択を取るわけにはいかない。
決死の思いで告げたものの、返事は一向にない。目を伏せられ、また傷つけてしまったのかと焦りを覚え、だが。
「……いいよ、それでも」
聞き間違いかもしれないと、理性を総動員させて自分に言い聞かせる。
都合良く解釈したくて仕方がない自分を抑え込むのは、思った以上に難儀だった。燻るように胸の底に残っていた火種が、意思とは裏腹に、一斉に火を噴き上げる。
「あの、真由。ちゃんと意味、分かってるか」
「うん」
「いつもみたいなのじゃ終われないって言ってる。あの、分かってるか」
「分かってる、大丈夫。私にそんなことしていいの、都築さんだけだもん」
潤んだ瞳に射抜かれたきり、思考はそこで完全に止まってしまった。
……これで計算しているならとんだ小悪魔だ。けれど、もう小悪魔でもなんでも構いやしなかった。
この子が傍にいてくれるのなら、他にはなにも要らない。
無言のまま両手で頬を包み込み、今度はゆっくりと口づけた。背伸びをしてキスに応える真由を薄く見つめながら、完敗だと、心底思う。
いつだって翻弄されっぱなしなのは、俺のほうなんだ。
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