《6》弱くて柔い

 神妙な顔を作っての呼び出しに、新崎さんは怪訝そうにしながら、それでもおとなしく会議室まで後ろをついてきた。


『打ち明けてもらえませんか』


 自白を引き出すためのひと言は、昨夜のうちに考えておいたものだ。

 せめて良心に訴えかけられればと願って放ったその言葉は、予想の上をいく効果をもたらしてくれた。


 私はなにも知らない――久慈さんの懸念通りそればかりを繰り返す可能性もあったが、そんな危惧を、新崎さんは良い意味で裏切ってくれた。

 ……ボイスレコーダーの空き容量、足りるだろうか。これほどまでにベラベラと喋ってくれるとはさすがに想定していなかった。


『ロッカーのマスターキーを使って、海老原さんの携帯を持ち出したのは私。それをチャペル脇のオープンスペースの裏に放置したのも、海老原さんの携帯がそこにあることを加瀬くんに伝えたのも、私よ』


 堰を切ったように、という表現がぴったりだ。

 徐々に感情的になりつつ喋り続ける新崎さんは、映画のヒロインにでもなったつもりか、すっかり自分に酔い痴れて見えた。


 業務時間内の携帯電話の持ち出し禁止、という規則を破っている。近頃になって新しい業務を任されていい気になっている。皆にそう思われてしまえばいい。嫌われてしまえ。そう思っての嫌がらせだった。

 いいじゃない、あの子は若くて綺麗でなんでも持ってる。だからあの日、呼び出して直接言ってやったの。


 結局、あの子は私の言い分になにひとつ返しもせずに逃げ出したわ。

 その程度なの。あの子にとって、都築くんは別に特別じゃないのよ。私は違う、だってずっと都築くんのこと、見てきたんだから。


 ――あの子とは、違うんだから。


 自分こそが真の被害者だと言いたげに、昂ぶる感情を抑えきれずときおりヒステリックに叫ぶ女の声が耳に痛い。都築くんなら分かってくれるよね、分かってくれるでしょう。なにを期待しているのか、縋るように向けられてくる視線もまた肌に痛い。

 ああ、なんにも分かっていないんだな、と憂鬱な気分になる。


 身勝手な感情を一方的に爆発させ、他人を傷つける。周囲の迷惑を顧みず、己の行動を反省するどころか正当化する。そうやって、まるで自分が被害者であるかのような顔をする。

 この状況に至ってもなお、自分が傷つけた相手こそを加害者に仕立て上げたがる。都合良くものごとを捉えてばかりという性質の悪さに、俺は知らないうちに眉間をきつく押さえていた。


『ねぇいいじゃない、教えてよ』


 思えば、この人は昔からそうだった。これ以上踏み込まれたくないと思っての牽制が、この人には〝打ち明けてもらえた〟と解釈されてしまう。母親の話をしたときも、真由と付き合っていることを告げたときもそうだった。

 これ以上は話したくないんです。これ以上、電話してこないでほしいんです。そういう意味で伝えた言葉が、なぜか正しいニュアンスでは伝わらない。どう言葉を尽くしても、意図したようには受け止めてもらえないのだ。


 ……おかしいだろ。なんで分からないんだ。

 身勝手を通すために、周囲を無理やり自分に合わせさせる。そんなものは分別のついていない子供のわがままと一緒だ。子供が自分のおもちゃを横取りされて、取り返そうと躍起になるもののうまくいかなくて、頭にきて相手を罵る――あなたが真由に対して取った行動はそれと同じだ、なぜ分からない。


「私、別に海老原さんに不幸になってもらいたいわけじゃないのよ。加瀬くん、海老原さんのこと本気っぽかったから、協力してもらっただけ。学生さんは学生さん同士のほうが分かり合えるに決まってる、そのほうが海老原さんのためでもあるって、都築くんはそうは思わない?」


 ……俺と別れて加瀬と付き合ったほうが、真由にとって幸せだとでも?


 どこまで真由を軽んじれば気が済む。わざわざ業務時間外に呼び出して、悪意の塊じみた言葉をいくつも投げつけて、それでは足りなくてわざとあんな現場まで見せつけて、あなたはなにがしたかったんだ。

 単に真由を傷つけたかったのではないのか。俺への好意を理由にして、自分が抱えている嫌悪感を真由本人にぶつけたかっただけ、ではないのか。


『不幸になってもらいたいわけじゃないのよ』


 ……すごい神経だ。

 頼むから、これ以上俺の神経を逆撫でしないでほしかった。


「ねぇお願い都築くん、海老原さんと別れて? 都築くんにあの子は似合わないよ。ご両親のことだって話してないんでしょう?」

「……新崎さん」

「結局子供なのよ。都築くんが抱えてるもの、あの子じゃきっと受け入れきれない。けど私なら……」


 ――ああ、もう、うるせえな。


「……アンタならなに? アンタなら俺のこと理解できるとか言いたいわけ?」


 視界が、バチバチと点滅を繰り返しているみたいな錯覚があった。

 自分でも鳥肌が立つかと思うほど低い声が喉を通って、新崎さんが顔を青褪めさせた様子を冷めた気分で見つめる。


「つ、都築く……」

「笑わせんな。さんざん姑息な手ェ使って人傷つけといて被害者気取りとか、本当……どういう神経してんのアンタ?」


 足りない。

 この女がしでかした行動を非難するには、この程度では、全然。


「アンタがつまんねえバイト使ってなに企もうが犯罪やらかそうが、別に知ったこっちゃねえよ。けどあいつを傷つけたことだけは許さない」


 胸ポケットからこれ見よがしにボイスレコーダーを取り出し、軽く左右に振って見せつけてやると、新崎さんは派手に息を呑んだ。

 ガタガタと露骨に震え出した姿を目にしても、この女に対する同情は浮かばない。無情な視線を向けている自覚はあったが、どう受け取られようが構わなかった。


 思い知れ。

 自分が犯した過ちが、どれほど取り返しがつかないことなのかを。


「あの、都築くん、ちょっと……」

「久慈さんにはすでに報告してありますし、支配人にもそろそろ詳細が伝わっている頃です。これはふたりに確認してもらった後、警察に渡しますね」

「っ、な……!?」

「当然でしょ? ロッカーの件が窃盗罪になるって、それぐらいはさすがに分かってますよね」


 眼球が落ちるのではと思うくらい見開かれた目を見て、少しばかり溜飲が下がる。


「最後の最後にここまでがっかりさせてくれるとは思わなかったなぁ。バイバイ、新崎さん」


 去り際、ドアの前でにっこり微笑んでやると、新崎さんは崩れるようにしてその場にうずくまった。



     *



 できれば会って話したいと電話越しに伝えると、真由は微かに沈黙を落とした後、静かに了承の意を示した。

 聞けば、今朝、実家から戻ってきたという。仕事を終えてまっすぐ真由のアパートに向かった。到着の連絡を入れ、車まで足を運んでもらい、車を停められる場所に移動してから話を切り出した。


「……退職?」


 呆然とした呟きだった。なんでもないことのように頷き返してみせても、動揺した様子は解けない。それきり、真由は視線を落として押し黙ってしまった。

 普通なら、ざまあみろと笑ってもいいところだ。それなのに今この子は、新崎さんをそこまで追い詰めたのは自分ではないのかと、自分が彼女の人生を狂わせたのではと、そんなふうに考えてしまっているに違いなかった。


 そうやって、また自分を傷つけている。傷つけられたのは自分の癖に。


 この子が心の底から誰かを憎む日など、きっと永遠に訪れない。

 純粋すぎる。あまりにまっすぐすぎる。もっと狡くなってもいいのではと、つい口を挟みたくなるほどに。


「……また余計なこと考えてるだろ」


 不意に視線がぶつかった。

 暗い車内でも、泣きそうな顔をしていると分かる。分かりやすい。目の奥が困惑に揺らいださまが見えて、思わず俺は苦笑を零した。


「違うよ。真由のせいなんかじゃない」

「……都築さん」

「そういう結果になるってちょっと考えればすぐ分かるはずで、なのにそのやり方を選んだのは新崎さんだ。違うか」

「……だけど」

「他の選択肢だって、新崎さんにはいくらでもあった。おとなしく諦めたって良かったわけだし、心の中でだけ暴言を吐き続けてたって良かったんだ。それなのに、わざわざ一番選んじゃ駄目なのを選んだのは新崎さんだ」


 伝わっているだろうか。

 十分の一でも、百分の一でもいいから、伝わってほしいと思う。


「さんざん真由を傷つけて、それでも俺が怒らないだろうなんて高を括って、そんなのは全部本人の責任だろ? だから真由はなにも悪くない」


 最後のひと言と同時に握り締めた手は、俺の手よりずっと冷たかった。

 真面目すぎるんだ。そんなことに心を痛める必要は一切ないのに、それを、真由は本当の意味では分かっていない。自分を傷つけた相手のために涙を流してしまう。よせばいいのに、また傷ついてしまう。


 どうかそれ以上、余計なことのために心を削ってしまわないでほしかった。


「……うん」


 静かな返事が聞こえて、安堵すればいいのか不安になればいいのか、なんだかよく分からなくなる。

 伝えた言葉の意味を、きちんと理解してくれただろうか。表面だけ分かったふりをされても仕方がない、それではなんの意味がないのにとまで思って、そのときふとひとつの結論に辿り着いた。


 ……だから、傍にいたいと思うのか。

 今と似た状況で君が立ち止まってしまったとき、その手を引けるように。傷つく必要がないことで苦しんでいる君を、すぐに引っ張り上げてやれるように。


 俺は、君が抱える弱い部分も柔い部分も、全部ひっくるめて大事だと思っている。


 それなら、真由は変わる必要がない。

 今のままでいい。立ち止まったなら、傷ついたなら、そのときは俺が隣で守ってあげればいいだけだ。


「……都築さん?」


 怪訝そうな呼び声に応えるように、繋いだ手に指を絡め、俺は恋人の華奢な身体を抱き寄せた。

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