《2》尋ねようともしていない

 翌日、大安の日曜日。

 館内は多くの招待客で溢れていた。


 一階のロビーは、他の階のそれよりも広い造りになっている。チャペルへの通路に加え、各パーティー会場に繋がるエレベーター、打ち合わせに訪れるカップルが足を運ぶブライダルサロンの出入り口が集まるこのフロアは、この式場を訪れるすべての人が必ず通る場所だからだ。

 にもかかわらず、訪れた招待客で、ロビーはほとんど埋め尽くされていた。今日は規模の大きな披露宴が多く、しかもその時間帯がいくつか重なっているからだろう。


 私はと言えば、チャペル挙式の時刻に合わせ、ゆとりを持ってアテンダントの制服に着替えていた。

 しかし結局、誰某だれそれの親族控え室はどこだとか、着物の着付けの予約をしているのだけれどとか……複数の招待客から立て続けに声をかけられ、案内を繰り返しているうち、あっという間に開式時間直前になってしまった。最後には仁藤さんに助け舟を出してもらい、なんとかギリギリでチャペル内に潜り込むことができたのだった。


 今日のチャペル挙式は、計四件。

 アテンダント業務の見学初日の六件に比べれば、それほどタイトなタイムスケジュールではなかった。あくまでもあの日に比べて、だが。


 この業務に携わり、改めて学んだことがある。あらかじめ予定されている時間を遵守することの大切さだ。最初の一件の開式時間が遅れれば、あるいは終了時間が押せば、後に予定されている式の開式がなし崩し的に遅れていく。そうなれば、結果的にそれぞれの披露宴開始時間にまで影響を及ぼしてしまう。

 失礼のないサービスやきめ細やかな心遣いももちろん大切だが、時間に対する意識を神経質なほど持つようになったのは、挙式に立ち会い始めてからだった。


 とにかく、今日は比較的ゆとりある業務日程になっている。

 それぞれの挙式時間を見ても、ちょうどお昼に休憩を取ることができそうで、気が楽になった。


 以前、都築さんが夕方に昼食を取ったという話をしていたことを思い出す。ウエディングプランナーである都築さんの話だったから驚いただけで、私たちサービススタッフにとって、それはそんなに珍しいことではない。

 午後二時とか三時とか、そのぐらいの時間にようやく休憩が取れるという状況は、サービススタッフならザラだ。場合によっては、一時間の休憩時間を二度に分けて取らされることだってある。

 忙しい日にはそういうこともあると理解してはいるが、それでも、ゆっくりと休憩時間を確保できるならそれに越したことはないと思う。不規則な時間に食事を取ると、体調を崩すこともしばしばだ。それに、時間を分けての休憩では、きちんと休んだ気にはとてもなれない。


 今日は運がいい。そう思いつつ、午前中の挙式の立ち会いを終えた。

 そして、午後の挙式に向けて仁藤さんと一緒に式場内の準備をしていたとき、彼女に声をかけられた。


「ねぇ海老原さん。私、十二時から休憩入るんだけど、良かったら一緒にどうかな?」


 社員と一緒に休憩を取ることはあまりない。繰り返しになるが、私たちサービススタッフの休憩時間は不規則になりがちだ。バンケット以外の社員が取る休憩とは、必ずと言っていいほど時間がズレてしまう。

 今日の休憩はひとりぼっちかなと思っていた分、仁藤さんからのお誘いはなおさら魅力的だった。


 ふたつ返事で「お願いします」と口にした。

 私の返事を聞いた瞬間、仁藤さんの目が突如キラキラと――いや、ギラギラと光り出したことに、残念ながら私は気づくことができなかった。



     *



 正午きっかりから休憩に入ったのは、私たちだけだった。

 ふたりきりの休憩室で、妙にいい笑顔を浮かべている仁藤さんに緊張を覚えつつも、「なにかあったんですか」と問いかけてみる。


「ふふー。こないだ……ええと、打ち合わせあるからーって後片づけ全部任せちゃった日ね。都築さん、ちゃんと手伝いに来てくれた?」

「んぐっ!?」


 口に含んでいたゼリー飲料を噴き出しそうになった。前にもこんなことがあった気がする。あれは夏休みに入った直後、郁さんのマンションにお邪魔したときだ。

 やっとのことで口内のものを喉の奥に押しやった私は、真っ赤になっているだろう顔を仁藤さんに向けた。


「な……なんで」

「んふふ、やっぱりそうなんだ。なんとなくそんな気がしてたんだよぉ」


 そんな気、とは一体。気づかれてしまうようなことなんて、なにかしただろうか。超特急で記憶を辿ってみたものの、思い当たる節は特になかった。

 もしかしたら、都築さんから直接聞いたのかもしれない。いや、でもたった今、仁藤さんは『そんな気がしてた』と口にした。どういうことだ。


「私の妄想力はハンパないのだよー。なんか近頃都築さん、やたら携帯ばっかり気にしてるし。それにホラ、えびちゃんって六月くらいにイメチェンしたでしょ? あれーもしかしてって思ってたんだけど、やっぱそうなんだねーそっかそっか! っていうかその反応超カワイイよ~えびちゃん~!」


 いつの間にか呼び方が変わっていることについて、ものすごくツッコミを入れたい。けれど、今の私にそんな余裕はこれっぽっちもなかった。

 たったそれだけで気づかれてしまうものなのか。躍起になってまで隠そうとは思わない。とはいっても、職場で周知の事実になるのはやはり恥ずかしかった。なにより、週に一、二度しか顔を出さない私よりも、都築さんが仕事をしづらくなるのではと懸念してしまう。

 口をパクパクさせるのみでさっぱり声を出せずにいる私に、仁藤さんは少々慌てた素振りで片手を振った。


「あっ、もちろん誰にも言ってないよ。他の人は気づいてないと思うから安心してね。社内レンアイって周りにバレると結構恥ずかしいもんね~」


 ……社内恋愛、だと?

 すでに真っ赤になっているはずの顔が、さらに熱くなった。私のようなバイトが相手でもそういう言い方になるのか。私の動揺に気づいているのかいないのか、仁藤さんは上機嫌で続ける。


「七月の末頃さ、都築さん、謹慎っぽいの受けたことあったんだよね。ってそれは知ってる?」

「あ……は、はい」


 七月末と聞いて思い出すのは、私たちが付き合うきっかけになった日だ。

 都築さんに駆けつけてもらった日、彼はあの後に確か連休を取っていた。仁藤さんは、きっとそのときのことを言っている。


「都築さん、次に出社してくるとき絶対元気ないよなって思ってたんだけどね、なんかビックリするくらい爽やかに復帰してきたからさ。ね、あれもえびちゃんのおかげってやつ?」

「……っ、あの」

「ふふーやっぱりかー。可愛くなったえびちゃんに、都築さんってばメロメロなんだね~!」


 ……どうしよう。お願いだからメロメロとか言わないでほしい。

 なんでもするから、休憩終了までそのお口を閉じていてもらえないだろうか、仁藤さん。このままでは午後の仕事に支障が出る。


「あー、でも良かった。都築さん、あの頃しばらくストレスフルな感じだったからさ。可愛い彼女さんができたって聞いてホント安心したわー……ってあれ、なんか私お母さんぽくない?」

「……ストレス、ですか?」

「あ、うん。ほら、謹慎の件ってね、私も実際その場に居合わせたから分かるんだけど……どう考えても、本当に悪いのは都築さんじゃないんだよ」


 意外な方向に向いた話の矛先に、思わず目を瞠った。


 気落ちした都築さんの顔を、昨日のことのように思い出す。

 そうだ。彼はあの日かなりのショックを受けていたはずで、それなのに私は自分のことばかりを都築さんに話して、自分だけ安心して……どうしてもっと彼の話に耳を傾けなかったのか。自分の不甲斐なさと心配りの薄さに、今頃になって後悔と苛立ちが襲いかかってくる。


「あ、そこまでは聞いてない? あれね、バンケットの新崎さんがね、週末にどうしてもヘルプお願いできないかってしつこく都築さんに食い下がったのが原因なんだよ」


 新崎さん。飛び出したその名に、昨日の件が瞬時に脳裏を埋め尽くす。

 今の話と昨日のできごとには関係がないのに、一気に不穏な感情が芽生え、私は慌てて思考を遮った。仁藤さんは焦りに満ちた私の内心に気づいた様子でもなく、声のトーンを少々抑え、話を続ける。


「私らって、土日はただでさえ担当施行に打ち合わせ予約に、メチャクチャ忙しいの。そんなときに現場のヘルプに行くなんて、都築さんじゃなくても絶対無理なのね。なのにあの日は新崎さん、相当しつこく粘ってて。都築さん、その間も自分の仕事、完全にストップしちゃっててね。あ、これはマズいなって私も思ってたんだ」

「……はい」

「新崎さんって、基本的に都築さんにしかヘルプ頼まないの。私らとしては矛先が向いてこないからありがたいんだけど、都築さん的にはマジで勘弁って感じだと思うんだ」

「そうなんですか」


 ときおり相槌を打ちながら、仁藤さんの話に聞き入る。

 知らない話ばかりだ。新鮮というよりは、むしろ。


「都築さんが怒ったところ、私はあのときに初めて見て、本当……背筋が凍るかと思ったよ。プランナーの経験年数で考えるとね、私と都築さんって歴がほとんど一緒なの。二年弱かな。私は社歴自体が浅いから、担当数とか、他にもいろいろ優遇してもらってるんだ。まぁその分、土日にアテンダント業務ばっかり回されちゃうんだけど」

「……はい」

「でも都築さんは私より社歴が長いし、接客もね、すごく上手なの。だから、それ二年目の人間に任せるかなっていう担当数抱えてるし、難しいお客さんの担当も普通に回されてて。負担、相当大きいはずなんだ」


 仁藤さんの声がどんどん遠くなっていく。

 私、なにも知らない。眩暈がするような事実を前に、目の前のテーブルの角が微かに揺らいで見えた。


 都築さんが、日々忙しく仕事をしていることは知っている。けれど、どんなふうに忙しくて、なにが負担になっているのか、具体的な話は聞いたことがなかった。

 彼が話してくれないからというだけではなく、私自身が、そこまで掘り下げて尋ねたことがない。

 私みたいな学生にそんなことを訊かれても困るのでは。余計な干渉だと思われてしまうのでは。ずっとそう思い込んできたけれど、それを言い訳にし続けてきた私は、都築さんが抱えているものに自分から飛び込もうとしたことがなかった。


 だからなんだろうか。都築さんが、私を頼ろうとしてくれないのは。

 ずきりと胸が痛んだ。仁藤さんが先ほど口にした人物の名前が頭を満たしていることも手伝い、傷口はじくじくと広がっていくばかりだ。


「あの場に居合わせた人ってそんなに多くなかったんだけど、多分皆、都築さんは悪くないって思ってたと思うの。だって本当、アレはないよ。とはいっても、私らも見て見ぬふりしてたわけだし、結局同罪なのかな」

「……どうなんでしょうね」

「あ、でもそれ以降はね、個人に直接ヘルプ要請しちゃ駄目って会議で決まったみたいなの。だからあれ以来、そういう頼まれごとはされてないっぽいよ」


 知らない。なにも聞いていない。自分から尋ねようとも、していない。

 血の気が引いていく。黙り込んだ私の、明らかに常とは違う様子に、仁藤さんはすぐに気づいたらしかった。声のトーンを上げた彼女は、励ますような声で続ける。


「ごめん、私ベラベラ喋りすぎだね。もしかしてあんまり聞いたことない話ばっかりだった?」

「あ……はい」

「そっかぁ。都築さん、えびちゃんに余計な心配かけたくないって思ってるのかもね。だとしたらこんな話しちゃってごめんね。気にしないでっていうのもなんか変だけど、えびちゃんのおかげで都築さんも元気になったんだしさ?」

「はい……大丈夫です」


 無理やり口角を上げると、仁藤さんは少し驚いた顔をした。

 そして小さな沈黙を作った後、ためらいがちに再度口を開いた。


「……ごめんね、でももうひとつ。余計なお世話かもしれないけど」

「え……と、なんですか?」

「新崎さんには気をつけてね。あの人、都築さんのこと狙ってるっぽいし」


 ……え?

 視界がぐにゃりとひしゃげた。視線の先に映っていたテーブルの角の輪郭がついに削げ落ち、うねうねと揺らぐ曲線に姿を変えてしまう。


 気をつける? 狙ってる?

 それは、どういう。


「……えびちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ……私が余計な話、したせい?」

「あ、いえ、大丈夫です。すみません」

「っ、ごめんね、私ホント気が利かない……! あの、変なこと言っちゃったけど、都築さんならきっとえびちゃんのことちゃんと守ってくれるよ? だからその、あんまり気にしないでね?」


 仁藤さんの気遣いの言葉が、耳に柔らかく届く。けれど私の内心は、その柔らかさには碌に比例しない。

 無性に泣きたい本音を隠し、本当に大丈夫ですから、と笑って言った。きちんとした笑顔になっていたかどうかまでは、自分では分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る