第3話 実和子

 実和子みわこははやる気持ちを抑え、車を走らせている。

 目の上のたんこぶであった姉──里香子りかこをようやく排除できそうなのだ。

 美人で賢い姉。なにかにつけて完璧な姉と比較され、実和子は一族の恥だと蔑まれてきた。

 あの女がいなくならない限り、実和子の人生に平穏は訪れない。


 姉の心を壊すのはたやすく、爽快だった。

 帰宅時間が遅かった姉の結婚相手──義兄に、若い女の影がちらついていると吹き込んでやった。

 姉は実和子の忠告を信じた。疑心暗鬼に陥り、ありもしない罪で夫を責めた。

 若い女など存在しない。実和子のついた嘘である。

 義兄は仕事に励んでいただけ。舅の会社に勤め、入り婿の後継者というプレッシャーがあったからだろう。不憫な男だ。


「わたしと結婚していれば、こんなふうにはならなかったでしょうね」


 姉妹揃っての見合いの席で、義兄と姉は一目で恋に落ちた。

 蚊帳の外に置かれた実和子がどんなに悔しかったか、惨めだったか。

 実和子が姉夫婦にもたらしたのは、家庭不和だけではない。

 横領をでっち上げ、義兄が会社の金を使い込んだように細工した。

近いうちに義兄は会社を追われ、一生消えない落伍者の烙印を押される。

 邪魔者が一気に片付くばかりか、父の会社も実和子の手に入る。地位も名誉も財産も、すべてが実和子のものになるのだ。


「うふふ、ふふふ」


 先刻、姉から奇妙な留守番メッセージが入った。

「鏡に呪い殺される!」と絶叫する声が、鼓膜にこびりついている。

 鏡は義兄に頼まれて、実和子が選んだものだ。のみの市で二束三文で購入した、古ぼけた鏡。

 姉はなぜか、それを呪いの鏡だと恐れている。


「お姉ちゃん? 入るよぉ」


 実和子は声を弾ませ、足の踏み場もないほど荒れた姉夫婦宅に土足で侵入する。ひとの気配はない。

 リビングの絨毯には血痕が散っていた。なにかがあったに違いない。夜逃げだろうか、生死に関わるような事件だろうか。

 ──どちらでもいい。義兄も姉も、地獄の底でのたうち回るがいい!

 実和子は笑みを深くする。


 ごみ山の上で赤ん坊がすやすやと眠っていた。生後間もない姉の子である。

 実和子に抱き上げられても、赤ん坊は泣かなかった。

 思わぬ置き土産だが、仕方がない。

 赤ん坊を引き取って育てよう。実家に恩を売り、養育費を引き出せばいい。

 うんと甘やかして、独りではなにもできない子に育てよう。

 成人したら路頭に放り出して、役立たずの落ちこぼれだと指をさして嗤ってやるのだ。

 姉への恨み辛みは、この子に償わせる。


「おまえも消えちゃえばよかったのにねぇ、聡美さとみ


 実和子は優しい声色で、あどけない姪に囁く。

 鏡には、世にもおぞましい鬼女が映っていた。了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鏡よ、鏡 その子四十路 @sonokoyosoji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ