かたつむりの観光客1

 アタシが生まれる前の話だから実はよく知らねえし、正直さして興味も無いんだが。

十年くらい前、第三次世界大戦が終わって世界は大きく変わったらしい。

アタシには実感が湧かねえ話なんだが、この新月街を含む今の七大都市なんてもんは影も形も無くて、代わりにアメリカ中国ロシアっていう『国』ってのが世界に二百個位あって、ソイツ等が世界を動かしていたんだと。

それにキメラなんてのも前は一人も居なくて……あぁ、キメラってーのは人間をベースに他生物の遺伝子を混ぜた連中の事だ。

キメラが出来たばっかりの頃は皆珍しがって超人なんて呼ばれてたらしいが、今になっちゃキメラの原種になった本物の人類どもが『ノア』に引きこもって出てこねえ。

だから一番数が多いアタシ達キメラが今の人類って事になってる。

その遺伝子を混ぜ合わせる技術で造られた合成生物の超スゲーヤツ、ゲヘナって竜がグダグダになってた戦争を神様みてーな力で無理矢理終わらせて、地球の地形天候生態系……全部を変えちまって今があるってぇ話だ。

戦争前は地球のアチコチに大陸が散らばってたって話だが、今大陸と呼べるのはネオパンゲアの他には存在しねえ。

ネオパンゲアの周りに散らばってるユーラシア諸島が昔は世界一デカい大陸だって聞くが、本当なんかね?

一応これが今のセカイの常識って事になっちゃいるが眉唾な話だよな。

皆『ゲヘナが世界を滅ぼした』って事は知ってるのに肝心の『どうやって滅ぼしたのか?』って部分を誰も知らねえ。

考えれば考える程嘘っぽくなっていく……可笑しな話さ。

だがさっきも言った通り、アタシはそんな事に興味はねえ。

考えた所で今更どうなるとも思えねぇし、大事なのは今とこれからだろ?


・・・


 戦後、ヒマラヤ山脈と呼ばれていた場所に突然巨大な地割れが出来ていた。

それは世界一の標高を持っていたヒマラヤ山脈の丁度3分の1位を縦に裂いてその見えない程の深い峡谷を造り出し、いつの頃からか峡谷の中に一つ、また一つと粗末な屋台が建ち始め、物理的な規模と商業的な規模を加速度的に増していった。

法の束縛を受けない市場では金銀財宝にからヒトに至るまで、ありとあらゆるモノが取引の対象となり、今では世界最大のブラックマーケットに成長を遂げたその街を人々は月の光も届かない闇の峡谷『新月街』と呼ぶようになった。

新月街は基本的に上に行けば行くほど町並みが綺麗になる。

地表付近にある上層には上流階級御用達のカジノ等の娯楽施設が並び、町並みも綺麗で治安も良い。

そして峡谷を下に降りて行けば行く程、町並みは汚くなり治安も悪くなる。

峡谷の底である最下層なんかはもう廃人と狂人とヤク中しか居ない程凄まじい場所だ。

そんな新月街の地表から200メートル程下った辺り、別にそんなに下の方って訳でも無いけど治安はあんまり良くない、中層のちょっと下の方にそのスナック『ピンクジャム』はある。

ごちゃごちゃした新月街中層特有の吊脚建築の森を抜けて行くと、小さい雑居ビルに錆び始めている毒々しいピンク色の置き看板を見つける事が出来る。

アルファベットで『ピンクジャム』と書いてある目に優しくない看板の横を通り抜けて地下への階段を降りて行くと、来客を知らせる為の小さな鐘が付いた建付けが悪い木製のドアがあり、少し力を込めてドアを開けるとカランカランと小気味の良い鐘の音色とギギィ……という金具の軋む音が不協和音を奏でる。

今日ピンクジャムに訪れた客は、この辺じゃあまずお目にかかれない様な随分変わった格好の人物だった。

その女は色素の薄い、癖のある金髪と陶器の様な肌が眩しい美女だった。

どんな場所に居るだけでも目を引く程の美しさだったが、服装の異質さが更に彼女を目立たせていた。

薄桃色を基調としたゴシックロリータ風のドレスには真っ黒なフリルがふんだんにあしらわれていて、そこだけ別世界であるかのような強烈過ぎる存在感を放っている。

頭に生える羊のような捩れた角の間を飾るヘッドドレスは、まるで庭園のフラワーアーチの様に優雅だ。

そんな人物が場末と言って差し支えないピンクジャムという店に突然現れたのだから、店内に居た全員が皆一様に凍り付いてしまったのも無理のない事だろう。

店内を妙な緊張感と沈黙が支配し、コツコツ……というゴスロリ女の靴の音だけが店内に響く。

ゴスロリ女はバーテン服の店員と二言三言話すと、店の奥の方の目立たない客席の方へと案内されていった。

女の姿が見えなくなってから客達は変な緊張から解き放たれ、今更困惑するのだった。


(なんだったんだいまの……??)


 ゴスロリ女が店内に現れた時から感じていた嫌な予感が的中してしまった事に、奥の客席でスパゲティを食べていた緑のパーカーを着た赤髪の女、スゥは内心めちゃくちゃ狼狽えていた。


(オイ一体どういう事だ……もしかしなくてもアレ、アタシの客か??)


 何でも屋であるスゥはペットの散歩から殺しの依頼まで、文字通り『なんでも』手広く仕事をするが、だからといってあんなゴスロリ女から今まで仕事を依頼された事は無く、それがどんな依頼になるのか全く想像出来ない。

しかしそこは若くしていくつもの修羅場を潜り抜けてきたフリーランスの意地で無理矢理平静を装いつつも『近づいてくるゴスロリ女の事など気にしてませんよ』といった風に食事を続ける。

最早スパゲティの味を楽しむ余裕も無い……が、なめられて堪るかという意地がある。


(話聞きに行きたくねぇなぁ~……あんな奴が依頼する仕事が面倒事じゃないってんなら逆にビビるわ)


 どうしようかとスゥがゴスロリ女の様子を盗み見しながら観察していると、バーテンの女がスゥに近寄って来た。

彼女はシトラ、ピンクジャムを拠点に活動しているスゥの妹分みたいなものだ。

そしてスゥに耳打ちする。


「お姉ちゃん、お客さんだよ……もしかしてビビってる?」

「あぁん??アタシがか?」

「じゃあ早く行ってあげないと……待たせちゃ失礼でしょ?」

「今行こうと思ってたんだよ」


 親子の宿題問答みたいなやりとりの後、ようやくスゥは腰を上げた。

そのままゴスロリ女の席まで歩いて行く。

するとゴスロリ女が視線を上げて、スゥを見つめる。


「貴女が何でも屋さん?」

「あぁそうだ。悪いな、待たせちまって……ここじゃなんだ、奥で話を聞くよ」


そう言うとスゥはゴスロリ女を店員専用のプライベートルームへと案内した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る