第2話「最難度攻略対象者」

「レオナルド先輩っ」


 走って逃げる私を追いかけて来て、腕を掴んだ人物。それは『ここたた』における最難易度攻略対象者、レオナルド・フォンタナ。


 短い黒髪に金色の鋭い目。美麗と例えるよりも、精悍で涼しげな整った造作。


 身分の高い公爵家の令息であるにも関わらず長身で鍛えられた体付きは、幼い頃に犯罪者に攫われていて暗殺者として育てられていたという、彼のルートでしか知り得ることのない秘された過去もあるらしい。


 そして、全種類クリアした後に出て来るシークレットルートでは、彼が裏ボスとして登場する事もある……らしい。


 らしいらしいって言っているのも、私が最難易度攻略者レオナルドルートを辿った事がないからです。


「おい。リンゼイ……あれでは、全然ダメだ。俺はジョヴァンニに生徒会について質問しろと、事前に言ってあっただろう」


 レオナルドは仕方ないといった様子で息をついたので、私はしゅんとするしかなかった。


「はい……」


「憧れがあるので何か手伝えることがあればと言えば、近づける機会も出てくるというのに。一体、何をどうすれば、ジョヴァンニの趣味を聞くことに変わってしまうんだ」


「ごめんなさい」


 背が高く鍛えられた肉体を持つレオナルドは迫力があって、ただ理由を聞かれているだけでも、私はしょんぼりとしてしまう。


 怒られても仕方ない。けれど、これって全ては私のためなのだ。


 レオナルドには何の得もないと言うのに、こうして私にずっと付き合ってくれている。


 乙女ゲームヒロインとして転生した事に気がついた私は、どうせなら誰か攻略対象者を攻略し、ゲーム通りにハッピーエンドを目指した方が良いだろうとは思った。


 恋愛下手な自分には絶対に難しいだろうなとは最初から思っていたけれど、一回もトライしない理由はない。


 こうして、私のように乙女ゲームの世界に転生しヒロインとして生きていくことは、日本に居る全女子が、心の中に願望を持っていることと思われる。


 もし、転生出来るというのなら持ち金全部を積んでも良い人だって、中には居るかも知れない。一部の例外は認める。


 しかも、役割がヒロイン。悪役令嬢でもモブでもない。悪役令嬢の取り巻きでもない。こう言ってはなんだけど、乙女ゲーム内では一番美味しいポジションである。


 私は正真正銘乙女ゲーム『ここたた』のヒロイン、リンゼイ・アシュトンに生まれ変わっていた。攻略対象者を攻略するしかないよね?


 乙女の夢がもりもりで詰まっているゲームが『乙女ゲーム』という認識で、多分間違えてないと思う。


 とは言え、自分が恋愛下手な事を自覚しつつ、トライはしたものの『ここたた』の中で、一番難易度の低いメインヒーローであるジョヴァンニに話しかけるだけで、あれだけ大変な事態になってしまうのだ。


 ここまでには、ジョヴァンニ以外にも何度か攻略対象者との接触に挑戦し終えた後、諦めるしかないと判断した私は『ここたた』のゲーム内容、これから起こるすべてを無視して、隣国に逃れようと本気で考えていた。


 男性の気持ちを予想しようとして、正解したことなんて一回もない。


 そう思うと体も竦むし、上手くいかない事が連鎖すれば、何もかもを諦めたくなってしまう。


 現代では社畜の上に誰とも付き合ったことの無い三十路喪女になってしまう訳である。


 けれど、私がジョヴァンニに必死に話しかけようとしては失敗する姿を何度か偶然見掛けていたと言うレオナルドは、ジョヴァンニに対し恋をしているけれど、何をしても上手く行かなくて『本当に可哀想』と哀れんだらしい。


 可哀想と思われてしまうなんて微妙だけど、これは本当の話だ。


 始終鋭い視線を放ち、怖そうな見た目をしているけれど、本当は心は優しいレオナルドから話しかけてくれて、私は彼に何故か恋愛指導されることになってしまっていた。


 今日も挨拶してから生徒会の話をするという作戦をわざわざ提案してくれていたのに、私はそれをこなす事が出来ない不出来な生徒だった。


「……レオナルド先輩。ごめんなさい。ブルゴーニュ会長が振り返ったら急に緊張してしまって、頭が真っ白になって、あの時に会話すべき内容を忘れてしまったんです」


 涙目になり背の高い彼を見上げた私に、眉を寄せたレオナルドは慰めるようにして頭をぽんぽんと叩いた。


 うう。定番シチュ。不覚にもときめく。役得。


「それは、俺に謝っても仕方ないだろう」


「はい」


「しかし、今日は挨拶は上手くいったではないか。以前はジョヴァンニに挨拶をする前に逃げ出してしまっていたようだし、これで少々は進歩になったのではないか」


 入学式直後、一番簡単なルートであるジョヴァンニと関係構築するためにと、二年生の教室のある階の廊下でウロウロとしていた。


 そこを同じクラスのレオナルドは見てくれて、私が何をしようとしているかを、そこで気がついてくれたようなのだ。


 そして、喋り掛けようとするものの全く上手くいっていない私に同情をしてくれた。


「ご指導ありがとうございます。レオナルド先輩」


 いつも通りに恋愛指導をしてくれたレオナルドに、私は頭を下げた。こうやって失敗しても、上手くやれない私を見捨てることなく本当に優しい。


 不意に、目が合って……きゅんとときめいた胸を、思わず両手で押さえた。


 もう……もーっ、早く、一刻も早くこの変な状況から脱出しなければいけないのに、どんどん墓穴を掘ってしまっている感覚……。


「ああ。今日は残念ながら失敗してしまったが、また挑戦してみよう。何度も言うがジョヴァンニは婚約者のマリアローゼとの関係は良好とは言えないし、リンゼイの好意に気がつけば、無理なように見えて何かが変わるかもしれない」


 私からの謝罪に軽く手を振り、レオナルドは微笑んで頷いた。


 ジョヴァンニとレオナルドは身分が近いせいか仲が良くて、お互いのルートに出て来ることもあるようだ。


 ちなみに、悪役令嬢マリアローゼは、レオナルドの従姉妹という近しい関係性なのだけど、彼はあまりマリアローゼの事を好きではないらしい。


 ゲーム内でのマリアローゼは悪役令嬢らしく、嫉妬深く無慈悲で、性格が良いとはとても言えない。


 レオナルドはわかりやすく正義感があるという訳ではないのだけど、何でも筋を通したがるし、礼儀を重んじるところがある。


 だから、マリアローゼの横暴な振る舞いを好んではいないようだ。


 そういった三人の人間関係もあり、ジョヴァンニに話しかけようと頑張っていた私の背中を押してくれようと思っているのかもしれない。


「明日も……頑張ります」


「ああ。上手くいくと良いな」


 レオナルドは微笑み、そろそろ授業が始まることを示すチャイムが鳴ったので、私たちは慌てて校舎へと向かった。


 上級生のレオナルドは三階なので、私たちは手を振って階段で別れた。


 ……はい。レオナルド……明日も、頑張ります。


 けど、私が本当は頑張りたいのは、イージーモードジョヴァンニ攻略ではなくて、超絶ハードモードレオナルド攻略なんですけど。

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