第9話:生者の声を

 周囲に酒の匂いがまだ漂う中、アーロンは鬼竜達を壊滅させた事で休息の時間を確保することができた。


「……ようやく始められる」


 だがアーロンに一息入れる気も無ければ、その暇もない。

 邪魔となる魔物を排除しても、救出屋の本分は生存者・死んだ者達の回収にある。

 仕事を今から始める為、アーロンはサツキの傍に駆け寄った。


「……大丈夫か?」


「は、はい……私自身はそんなに怪我もなく……」


 サツキはさっきまでの光景のせいなのか、少し放心的になっていた。

 だが、すぐに冷静さも取り戻し、特に乱れる事もなく答える。

 けれど、アーロンが聞いた大丈夫かの意味。それは別の意味で、知りたいのはそこではなかった。


「身体に関してはお前の実力と、その様子を見れば分かる。俺が気にしているのは中身の方だ」


「!」


 その言葉にサツキはハッとなり、自身の身体が震えてくるのに気付いた。

 寒気もない。逆に安心した途端、自覚してしまった事への反動がサツキを襲った。

 彼女が恐怖を一気に自覚すると、徐々にその瞳からは涙が流れ始める。


「生きて……る? 私……生きてるんですか?」


 自分自身の言葉で言えたこと、それが彼女の我慢していた心のトリガーとなった。

 サツキは身体中が熱くなるのを感じながら、目尻も急激に熱くなるのを感じ、感情と共に、溢れ出る涙を止めることができなかった。


 鼻をすすり、身に浴びた絶望からの安心感。

 その反動は大きかった。そして、感情の暴走はサツキも止める術を知らない。


「――だと思った……死んだと思った!! 仲間は皆死んで! 命懸けで守った人には捨て駒にされて!! でもその人も死んで!! でも! でも……それでも死にたくなくて……」


「そうだ。それでもお前は生き残った……お前は死んでない。良くやったな」


 泣き叫ぶサツキを安心させる為、優しい声をかけるアーロンの声にサツキは顔を上げた。

 そして直後、落ち着く甘い香りが漂っているのにも気付いた。


「少し待っていろ」


 涙で前が見えない目を、腕で拭うサツキの目の前でアーロンは、異次元庫から取り出したランプでポッドを熱し始める。


 中身はゆっくりと湯気が出る白い液体。

 それを同じく異次元庫から取り出したマグへと注ぎ、最後にハチミツを入れれば、アーロン特製ホットミルクの完成だ。

 そして、そのマグをサツキへ差し出した。

 

「飲め。心の傷を直接癒す薬はないが……和らげる術は、いくらでもある」


 アーロンにとって、この手の事は、今までも同じ事をしてきたので慣れたものだ。

 彼が、そう言って差し出したマグ。それをサツキは反射の様に受け取り、両手で持ちながらゆっくりと口へと運んだ。


「……良い匂い。そして美味しいです」


 ハチミツとミルクの匂いが心を満たす。そして優しい甘さが肉体を癒してくれる。

 それは彼女の心の傷に流し込まれる様に、胸が暖かくなっていくのをサツキへ感じさせた。


「あぁ……あたたかい」


 悪夢から覚める。そんな気分だ。

 サツキはそれによって、少しは心が落ち着きを取り戻せる。

 そして周囲を見てみると、アーロンが鬼竜達の亡骸を歩き回っている事に気付いた。


「……こいつじゃないな」


 こいつでもない、まだボス鬼竜の腹には入ってない筈だと、アーロンは何やら呟きながら歩き回っていた。

 その手にコンパスが握られていて、それを見ながら彼は、ずっと鬼竜達の亡骸を行ったり来たりする。

 

「……?」


 サツキは命のやり取りをした後に一体何をしているのか気になったが、その理由はアーロンが一体の鬼竜の前で止まった後すぐに分かった。


「こいつか。――フンッ!」


 アーロンが持って行ったコンパス。

 それは命の残り香に反応する残命石ざんめいせき。によって作られた代物だった。

 そのコンパスの針が示す一体の鬼竜。その亡骸へアーロンは、クロスライフから出した刃で腹を突き刺した。

 

 獲物を捌く猟師の様に一気に腹を掻っ捌き、中から毒々しい色の胃袋が姿を現すが、アーロンには見慣れたもので観察を始める。


「丸呑みされたのは一人……残りの連中は奥か。――それとも既に原型が無くなったか。加護が少ない連中だったからな」


 胃袋の膨らみ的に見て、胃に入っているのは一人だとアーロンは見抜いていた。

 だが彼は、それを見て貪欲な鬼竜共にしては少ないと思いながらも、胃を刃で一閃し、切り口から胃液まみれの大柄の男を取り出した。


 男は白目を向いて口も半開き。アーロンは首の脈を計って見るが、脈は止まっている。


「……既に死んでいるか」


 アーロンは男に一礼すると、異次元庫から棺桶を一つ取り出した。

 更に布も取り出して胃液を簡単に拭き取ると、撫でる様に死者の目を閉じてあげ、慎重に棺へと納める。

 

 だがこれで終わりではない。ようやく一人目だ。


「サツキを除いたとしても8人はいた……残り7人、やはり奥まで行かねばならないか」


 兜から覗くコンパスが、最奥をずっと示す以上、既にダンジョンの最奥に行ってしまったのは確定している。

 何故ならばこのダンジョンは、鬼竜だけが危険だからだ。


 その鬼竜さえいなければ、このダンジョンに住む魔物はB級ダンジョンと大差ない。

 だから実力に関係なく奥に行って全滅。そんなパターンは珍しくないのをアーロンは知っている。


「……連中、どう動いていた。本来の救出者もどこにいる?」


 パターンを理解していても、アーロンは確かな情報も欲しかった。

 ただサツキのから聞きだすのは酷だろうと思い、自力で探すかと、一つ目の棺を鎖に繋げて立ち上がった時だった。


「あ、あの! 私……案内できます……他の人達の居場所を……」


「……大丈夫なのか?」


 落ち着いた様子でも、まだ若干身体を震わせているサツキからの提案は、アーロンにとって、ありがたいものだった。


 だが、確かな不安も残る。


 少しの衝撃で割れそうなガラス細工に見える程、サツキは弱っていたからだ。

 しかし彼女も、黙って自分を見るアーロンの、そんな内心を察して意を決して顔を上げた。


「はい……! まだ……まだ怖いですけど、それでも……残った人達のことを伝えられるのは生存者の私だけですから。――生存者の責務ですから!」


 そう言ったサツキは強い眼だった。先程、死に掛けたばかりの者とは思えない程に。

 涙目で、鼻声。だがその目は、とても強い光を宿していた。

 その言葉は仕方なくとか、いやいやで言っている訳ではないのが、アーロンには分かった。

 

「……強い者だ」


 アーロンは本心でそう思った。

 本音を言えば、早く安全な場所へ帰りたいだろうが、それを押し殺してでも残った者を救いたいというサツキの本心。

 それに感心し、彼は無意識に兜の中から、彼女へ優しく微笑んで見ていると、ある事にも気付く。


「お前のは間違いなく……」


 アーロンの眼には、サツキが優しいを薄っすらだが纏っている様に見えていた。

 それは今までも何度か見た事がある光景で、その光は女神ライフのだ。


「……お前も女神ライフに愛されているか」


「はい……?」


 アーロンの言葉にサツキは、キョトンとした表情で目を開閉し、ジッと見られている事に気付いて身体を見回すが、特に異常はない。

 彼女自身にはまだ見えない光。加護の恩恵。

 

 だが今の様に優しく生きていけば、サツキもいずれは見える様になるだろうと、アーロンは嬉しそうに兜の中で笑みを浮かべていた。


「いや……なんでもない」


 だからアーロンは、いつか彼女自身で気付けるのを祈り、小さく笑ったのを誤魔化して、彼女の前で腰を下ろした。

 

「何があったか聞かせてもらえるか?」


「は、はい……! 最初はダンジョンに入った時に――」


 サツキは今までの事を、アーロンへ、ゆっくりとだが話し始めるのだった。


♦♦♦♦


 サツキは全てをアーロンへ話し終えた。

 最奥で冒険者達を見付けた事、自分が外で見張りをしている間に仲間が全滅した事。

 そしてザクマに裏切れら、そのザクマはボス鬼竜に噛み砕かれた事も全部。


「……そうか。ザクマからは加護を全く感じなかった。それだけの悪行を多くしてきたのだろう」


 悪行を重ねれば、自身の加護も比例して消えていくのが世界のル―ル。

 例え死んだとしても、肉体を保護してくれる女神の加護。

 だが、ザクマが骨も残らず噛み砕かれた理由はそれしかなかった。


「ザクマ……更に言えば典礼ギルド『慈悲の終言』は、以前から悪評が絶えなかった。だから守れなかった事は、お前が気にする事じゃない」


「ですが……私は自分が――」


 マグを震わせながら、サツキは呟く。

 彼女の性格から許せない気持ちがあったが、アーロンは内心で否定していた。

 優しい事は罪ではない。だが優しさは迷いと後悔の種でもあるのだ。 


「お前だけが生き残ったのは、お前自身の実力だ。それを許さないというのは、お前が歩んできた全ての否定になる。他者の為に想う事は悪くはないが、他者の為に自身を否定するな」


 己を否定して良いのは己だけ。他者が口を出す事を許してはならない。

 それは必ず歪となって自身に帰り、の人生を狂わせる種となるのをアーロンは知っている。


 実際アーロンも、他者の無責任によって人生が狂い、不幸な道を歩んだ者達を多く見て来ていた。

 だから目の前にいる少女に、その道を歩んでほしくなかったのだ。


「なによりAで生き残ったんだ。自身を誇れ」


 ついでに言う様な軽い口調で呟いたアーロンだったが、その言葉を聞いたサツキの表情が固まった。


 顔色も徐々に青くなり、最後には混乱した様に目をパチクリさせる。

 それを見てアーロンは、しまったと思ったがもう遅かった。


「えっ……A級ダンジョン? な、何を言ってるんですか? ここはB級ダンジョン『気流の迷城』の筈じゃ――」


「……そもそもそれが間違いだ。ここはB級ダンジョンではない。A級ダンジョン――『鬼竜きりゅう冥城めいじょう』だ。あの時、勝手にギルドの資料を漁った男が勘違いした」


 間違いで許されないミスだ。

 ダンジョンのランク偽装は危険度にもよるが最悪、極刑もあり得る。

 それだけ死ぬ可能性が上昇し、ほぼ殺人と変わらないと認識だからだ。

 

 しかしサツキには説明では済まず、認識のギャップによるショックが大きかったのだろう。

 彼女は再び目から大粒の涙を流し、再び泣き叫んでしまった。


「アアァァァ……!! わたし死んでた! 死んでたんだ!! あの言葉がなければわたしも!!」


 あの言葉とは自身が助言した言葉なのだと、アーロンは何となくだが察した。

 それに自身が、普通に死んでもおかしくない状況だったと知れば泣き叫びたくもなる筈だと、彼も理解はしている。

 

 ダンジョン内で哀れに泣き叫ぶ彼女を、アーロンには責める気もない。

――のだが。

 

「……先に言っておけば良かったな」


 安定させたのに、また泣かせてしまった事を、彼はちょっと後悔した。

 何とかしてでも、もう一度落ち着かせてやらねばと、アーロンは再び道具を取り出し始めた。


「ゆっくりと息をしろ」


 アーロンは落ち着いた口調で言って、異次元庫からエルフ族・手製の『世界樹のロウソク』を取り出し、クロスライフの先っちょから小さな火を出して灯してあげた。 


「死んでいない。お前は生きている……その実感が出来たから、お前はそんな泣けるんだ」


 灯したロウソクをサツキの傍に置き、アーロンそうは呟く。

 そしてロウソクの周囲は、大自然豊かな場所にいるかの様な抱擁ある雰囲気に包まれていく。

 それを嗅いだサツキは、内側から傷が癒えていくような気持ち良さに包まれていく。


 暫くするとサツキの涙は収まり、呼吸も再び安定していった。


「……大丈夫そうだな」


 今度こそ大丈夫だと、アーロンは確信すると立ち上がり、再びコンパスを確認し始めた。

 何回か針は回し、一瞬激しく揺れる。

 そして何度やっても、すぐにピタリとダンジョンの奥を示していた。


「最奥か……やはり鬼竜共の巣まで行っていたか」


 行きはよいよい帰りは恐い。

 このダンジョンはその名の通り。鬼竜達が得物を逃げずらくする為、敢えて誘い込む、彼等の庭だった。


 しかしボス鬼竜が死ねば、他の鬼竜も連鎖的に死ぬのも特徴でもある。 

 だからアーロンは、ボスを倒した事で奥に行く障害が皆無だと判断し、その場から立ち上がった。


「俺はこのまま奥に行く。共に来るならそれでも良いが、無理ならここで休んでいろ。念の為に魔物除けも設置してやる」

 

 遺体。または生存者の回収後に、彼女を迎えに行くのはアーロンにとっては簡単な作業であった。

 だからサツキを気遣ってそう言うが、彼女は首を横に振って、ゆっくりと立ち上がった。


「いえ……私も行きます。連れて行ってください。さっきの言葉に嘘はないんです」


 落ち着いてから間もなく、泣き叫んだ事が恥ずかしいのか、やや気まずそうに表情を赤くし、サツキはそう言った。

 そんな風に思えるならば余裕もあるだろう。

 流石はエルフの特性ロウソクだとアーロンは、また買いに行こうと決めながらクロスライフを背負い直した。


「分かった……だが無理な時はすぐに言え。死地からの生還は、お前が思った以上に傷を残す」


 安全圏に入った途端、糸が切れた様に倒れる冒険者も珍しくない。

 自身に合わないランクのダンジョンで命を拾えば尚の事だが、サツキは泣き叫んでいた時よりも、間違いなく強い瞳をしていた。

 

「……この分ならば大丈夫だろうがな」


「はい!」


 サツキが頷くのを確認するアーロンだが、内心では大丈夫だと確信を持ちながら、彼女と共に奥へと向かうのだった。

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