第7話:棺の素質

「もっと走って!!」


――走れ、走れ、走り続けてサツキ! 絶対に立ち止まってはダメ!


 そこは薄暗く、血の匂いと淀んだ空気が充満する城だった。

 その城の長い廊下をサツキは、ザクマの腕を掴んで全力で走っていた。

 背後から追ってくるから逃げ、生き残る為に。


「ヒィィィ!? どういうことだ!? 何故! あんな魔物がB級ダンジョンにいるのだ!?」


 ザクマにも既に冷静な姿はない。優雅な服もボロボロになり無残なものだった。

 そんな彼を守りながら、サツキは追ってくる魔物へ振り返ると、それはまだ彼女達を追って来ている。


『オォォ~オォォォン……!』


「ありえません! あれはB級ダンジョンの魔物じゃない!」


 追跡者の正体――それは、二足歩行の真っ黒に染まった怪物だった。

 鬼の様に角が生え、人の様な形でもあるが竜の様に、翼や尻尾も生やした異様な魔物だ。


――み、皆さん……あれに全員殺されてしまいました……!


 サツキは思い出す。

 あの怪物と出会った時を――共に入った仲間全員が、呆気なく殺されてしまった時のことを。


 最初、彼女達は奥の広間で救出者を発見した。

 ただサツキはザクマ達に命令され、広間から出て周囲を警戒していた。

 ――直後、広間から恐怖にまみれた叫び声が響いたのだ。


 すぐにサツキは戻ったが、そこにいたのがこの魔物。

 他の者達は食われたり、壁や床に叩き付けられて殺されてしまった後だった。


「か、勝てない……!」


 仲間が弱い訳ではない。B級ダンジョンの魔物ならば戦える実力は持っていた。

 けれど結果は戦いとは呼べない程に惨い結果で、戦闘の痕跡を見ても蹂躙でしかなかったと誰が見ても分かるものだった。


 それを見てサツキはすぐに理解した。あれはB級以上の魔物だと言うことに。


 そして全滅するのに時間は数分も関らず、何とかザクマ一人連れ出すのに精一杯だったサツキは逃げる事を選んだ。


『――決して油断はするな。異変を感じればランクに関係なく警戒しろ』


 アーロンの言葉がなかったら、それも叶わなかったとサツキは思う。

 頭に響いたアーロンの言葉で切り替えたサツキだったが、牽制しながらザクマと出口を目指すが、魔物はしつこく追ってくる。


『オォォォンン!!』


「また来たぞ!?」


「もう一発放ちます!――爆光手裏剣!」


 サツキは魔物へ、何度目かとなる手裏剣を複数投擲した。

 それはただの手裏剣ではなかった。

 彼女達の一族秘伝魔法『能力付与』により、色々な素材を混ぜた特製手裏剣だた。


「――今度の強烈な光を放つ『閃光草』に、 爆発する竹の笹『爆竹の笹』を混ぜた特製手裏剣! これなら!」


 サツキは魔力で上手く手裏剣の軌道を調節し、魔物の顔の目の前で手裏剣を爆発させる。

――そして大きな閃光が辺りを照らした。


『ウオォォォン!!』


 至近距離から光を受けて目が焼けたのか、苦しむ様な声を魔物は出す。

 だが、サツキに後ろを見ている余裕はなかった。

 その間に少しでも距離を稼がなければと、その気持ちの方が強かった。


 何よりダンジョンから出れば、魔物は追ってこないからだ。

 女神ライフの加護により、過ぎたる悪しき魔物はダンジョンから出れない制約がある。


 並みの魔物は出入りするが、少なくとも人を弄ぶ様に殺している魔物は、絶対に出れる筈がないとサツキは確信していた。


「もう少しですよザクマさん!」


「あ、あぁ……!」


 やがて二人は魔物からも距離を取り、ようやく余裕ができ始めていた。

 見覚えのある通路の景色だとサツキは思い出し、出口が近い事に気付く。

 

「もう少し、もう少しで出れる! 街に戻ってアーロンさんとギルドの人達に知らせないと!――ッ!?」


 サツキはそのまま走り続ける。

――しかし、後ちょっと言う所で不意に悪寒を感じ取る。

 

 くノ一として学んだ、他者からの殺意や敵意の波長を。


――来る!? 背後から!


「危ない!」


「なんだっ!?」


 サツキは咄嗟にザクマを抱えて真上に高く飛び上がった。

――瞬間、その真下を、本来、彼女達がいた場所へ、巨大な物体が地面を抉りながら通り過ぎていった。


 その正体は背後にいた魔物。

 もう容赦しないのだろう。逃がすくらいなら城を壊しても良い。

 そんな執拗な執念で魔物は、滑り込んでサツキ達を喰らおうとしたのだ。


「ヒィィィ!!?」


「前方を塞がれました……!」


 着地と同時にザクマが叫ぶ。サツキにも恐怖がにじり寄る。

 だが彼女は耐えて、自身の敵を見た。

 魔物はサツキ達と入口の間に立ち、彼女を見下ろしていたが、その瞳は閉じたままだった。

 

「この魔物……視覚を潰しても、それ以外ので私達の動きを!?」


『サツキよ……敵が最も信頼する五感を探せ。どの様な強敵とて、力を削ぎ落せば必ず勝機はある』


 驚愕するサツキに、彼女の父の言葉が走馬灯の様に思い出される。

 それだけ目の前の魔物を強敵と思っている証拠だが、同時に生き残るための記憶だった。


 すぐに周囲を確認し、折れた柱が幾つもあるのにサツキは気付く。

 それはまるで、出口へ続く階段にサツキは見えた。 


――このまま死ぬよりかは、一か八かの賭けにでます……!


「ザクマさん! 一気に行きますよ!――影魔法・影縛りです!」


 サツキはザクマに合図し、固有魔法の影魔法を唱えた。

 そして彼女は周囲の影を操り、それで魔物を縛って動きを止めた。


『ウオォォォ~ン!?』


 伸びた影は魔物の手足を拘束するが、魔物も引き千切ろうと必死に抵抗する。

 だがそれで良かった。サツキは僅かな時間を稼ぐ事を狙っていたのだから。


「一族秘伝――超悪臭煙玉『鼻落とし』と、影魔法――影栓です!」


 次に彼女は、とんでもなく臭い煙玉を投げ、同時に影の形を栓の様に変え、魔物の両耳に填め、敵の五感を更に狭める。

 出し惜しみはしない。忍に妥協はないからだ。

 

『!?――ウオォォォン!!?』


 どうやら効果は絶大の様子。

 魔物は鼻を抑えたり、耳を弄って蓋を外そうとするが栓は影だ。影を触る事は魔物にだって不可能だった。


「煙玉の臭いもすぐに消えますが、一度吸ってしまえばこっちのものです! 実態のない影も触れるのは私だけです!」


「そ、それは良いがどうする気だ!? は、早く私を逃がせ!?」


「そのつもりです!」


 サツキは叫ぶザクマを抱えると飛び上がり、そのまま柱の上を次々と飛び渡る。

 その側面には魔物もいたが、その魔物はまだ混乱している様でサツキ達に気付かず、一気に通過した。


「よし! これでOKです!」


「な、何がよしだ!? 魔物を見てみろ!」


 何やら慌てた様子のザクマに言われ、サツキは魔物の方を向いた。

 すると魔物は徐々に落ち着きを見せており、耳は塞がったままなのにサツキ達の方へ、確かに顔を向けているのだ。


「視界・聴覚、嗅覚、それ以外で私達を把握している!?」


 サツキは内心で焦りそうになったが、それでも出口に近いのは自分達だと心を強く持つ。

 速さにも自信はある。冷静さを取り戻し、ザクマを再度抱えようとした。


「大丈夫です! このまま二人で逃げ切れますよ!」


「――いや、もっと確率の高い考えがあるさ」


「えっ? ザクマさんには作戦があるんですか?」


 サツキから離れて冷静な口調でそう言ったザクマを見て、サツキ自身は少し不満を抱いた。


 そんな作戦があるなら何故、もっと早く言ってくれなかったのかと。

 しかしザクマにサツキの気持ちを察せる筈もない。

 寧ろ、出口が近いので余裕が戻ったのだろう。涼しい笑みを浮かべ、魔物に指を向けた。


「あの魔物を見て、何か気付かないかね?」


「あの魔物をですか?」


 サツキは言われた通り、柱の上からザクマに背を向ける形で魔物の方を見る。

 相変わらず顔の感覚は全て封じているが、やはり顔は自分達へ向けたままだ。

 何も変わっていないと、サツキは特に思い付かなかった。


――ザクマさんは何に気付いたのでしょう?


 サツキは恥を忍んで聞いてみる事にしようと、ザクマの方を振り返った。


「あの、ザクマさん? 一体なにが――」


「こう言う事だ!!」


 一瞬、サツキは何が起こったか理解できなかった。

 背中から強い衝撃を受けた彼女は、折れた柱の上から投げ出される感覚を覚える。

 そして落ちる最中、柱の上を見ると、歪んだ笑みを浮かべたザクマが自身を見下ろしていた。


――あぁそうか、私はザクマさんにケリ落とされたんですね。


 サツキが、その事を理解するのに時間はいらなかった。

 ただ不思議と怒りも驚きもなく、彼女は死を経験している様に冷静でいられた。


 そんな中でもくノ一の性なのだろう。

 サツキは反射的に受け身を取って着地したが、目の前には魔物がいて、ザクマは入口へと走っていた。


「高い金で雇ったのだ!! 少しでも貴様が時間を稼げ!! 運が良ければ無事に生き返れるだろう!!」


 ザクマはそう叫んでいたが、口調から察するに助けを呼ぶ気がないのがサツキには分かった。

 だが同時に一部は納得できる。運が良ければ生き返れるという点に。

 もう道具は使い切ったし、逃げようにも魔物との間合いを考えて抵抗は無理だった。


「――運が良ければ生き返れるし、もう良いでしょうか?」


 サツキの心は折れた。

 必死に逃げたのに、最後には守った人に囮に使われたことで。

 

『忍が道具だった時代は終わった……無事に生きて帰って来るのだぞ?』


 普段は厳しい父が、自身が旅立つ時に言ってくれた言葉。

 それをサツキは走馬灯の様に思い出していた。


 でも約束は守れない。心もだが、肉体も諦めたのか、震えや筋肉の硬直で上手く動かす事もできない。


「ハハハハハッ!! 生きるぞ! 他は死んでも構わん!! 私だけでも生き残るのが正解なのだ!!」


 ザクマの笑い声が最後の言葉になるのは嫌だったが、生き返れる事を祈ってサツキは顔を上げ、魔物を見上げた。


『ウオォォォ~ン!』


 やはり魔物は特別な五感を持っているらしく、サツキの方を見て口を歪ませている。

 しかし同時に、サツキはある違和感に気付く。


「……どうして、ザクマさんを見ているんですか?」


 魔物は自身を捕まえられる筈なのに、何故か離れていくザクマを見ていた事にサツキは疑問を抱いた。

 その様子はまるで楽しそうに、悪戯を成功させる様な邪悪さを感じさせる。


「一体、なにが……?」


 サツキは動く事は出来ずとも、顔を向ける事はできる。

 ザクマの後ろ姿を見るが、ザクマが脱出する事に彼女も疑問を持たなかった。


 あの距離ならば子供でも逃げ切れる。それ程までの距離と障害も無い。


――横から出て来たザクマが捕まるまでは。


「――えっ?」


 サツキは、ザクマを掴む腕を見上げると、捕まったザクマと目が合った。

 

――絶望、驚愕、混乱。


 何が起こっているのかザクマも分かっていない様だった。

 でもサツキは視線を先回りして原因を知った。

 目の前にいる魔物よりも、一回りも大きな同じ姿の魔物がいたのだ。

 それが元凶だ。


「……う、うそ?」


 心がまだ折れる。いや、砕け散った様に気力が一切湧かない。

 散々逃げたのに、もう一匹も巨大な魔物がいる。

 そう思うと逃げる気も失せ、更にサツキは気付いてしまった。


「1匹じゃない。もう2匹いる……!」


 まるで巨大な魔物に付き従う様に、最初と同型の魔物が傍に2匹も立っていた。

 サツキの身体の震えはそれを見て止まったが、身体は震えて動けない。

 

 巨大な魔物の口へ、ザクマが運ばれてもだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!? 嫌だ!? 嫌だぁぁ!! 誰か助けてくれぇぇ!! 金は払うぞ!! 稼がせてやるぅ!! だから! だからぁぁぁ――」


――肉や骨の潰れる音が聞こえた。破裂したトマトの果汁みたいに、血液も流れた。


 最初の一匹とは違い、丸吞みではなくザクマは完全に噛み砕かれた。

 もう生き返る事は不可能なのが、サツキにも分かる。


 善行をして女神に愛されている者は、身体は必ず残る様な加護があるが、ザクマは違ったのだ。

 

『オォォォン!!』


「……もう好きにして」


 だが関係のない話だ。どうせ自分も死ぬのだからとサツキは顔を下げた。


 彼女はそのまま座り込み続けるが、利口なのか、警戒心が強いのか、魔物達はゆっくりと彼女を包囲する。

 

 ただ大型の魔物は、折れた柱を玉座の様にして腰を下ろして、それを見ていた。

 他の3匹が、サツキを自身へ献上をするのを待っているかのように。


『ウオォォォン!!』


 吠えながら3匹が徐々にサツキへ近付いて来る。

 彼女も、せめて生き返れる事を願い、静かに目を閉じた瞬間――。


『――己の命を優先せよ。汝が死ねば、誰が魂を連れ戻す?』


「――!」


 何故かサツキの脳裏に、アーロンの声が過った。

 耳にではなく、心へ教え込むような強い言葉。

 それがまるで、今の自分を叱っている様だとサツキは思った。


――もし私が救出屋だったら、残された人達は?


 生き返る事はできず、遺体も遺品も家族の下に帰る事もない。


『汝が死ねば、誰が魂を連れ戻す?』


――私がいなくてもアーロンさんが連れ戻す?


「違う、そうじゃない。まだ私が生きています……!――死者でなく、生者がなんで他者に命を委ねるのですか!」


 気付けばサツキは立ち上がっていた。そして腰の忍び刀を抜いて構える。

 そんな姿を見て魔物達は一瞬困惑したが、活きが良い得物を見る様に、やがて笑みを浮かべ、彼女へ手を伸ばす。


『己の命を優先せよ!』


想影おもかげ流・二刀小太刀術――終憶ついおく!!」


『!?――ウオォォォン!?』


 サツキは、その手に交差状に斬りつけて大きな斬り傷を刻んだ。

 その攻撃で魔物は痛みで悲鳴をあげ、他の二匹も流石に怯んだ姿を見せた。


「諦めるのは……限界まで足搔いてから!」


 ハッキリ言って未だに怖く、サツキの中は逃げたい感情に支配されていた。

 けれど死を覚悟したのならば、それ以外の覚悟も出来るはずだと彼女は気付いたのだ。


「最後まで……命の限り、足掻きます!」


 サツキは覚悟を決めたが、魔物達も容赦がない。

 彼女が反抗すると分かると、今度は3匹同時に手を伸ばしてきて、更に距離も縮めて来る。


「……少しは加減してください!?」


 覚悟を決めた矢先に涙目になるサツキだが、そんな情けない姿でも抗おうとする自身を誇りに思えた。


「無駄死にでしょうけど……命の限り――」


 涙も吹かず、少しでもとして動こうと、サツキは両足に力を入れる。

 そして破裂しそうな心臓に喝を入れ、目の前の魔物達に飛び出し――


「――いや無駄死にではない」


――飛び出そうとした時だった。

 サツキの耳に聞き覚えのある、最も安心させてくれる人の声が聞こえた。

 

「あっ……」


 サツキ耳に声が聞こえた瞬間、目の前の2匹の頭部が白銀の矢に射貫かれる。

 そして、そのまま倒れた。


 その光景を見たサツキの目からは、大量の涙が溢れていた。

 足にも力が入らなくなるが、今度は恐怖ではなくしたから。


「よく耐えた……俺が来た以上、これ以上は棺を増やさん」


――だって、入口に立っているんですから……


「アーロンさん!!」


「――よく耐えた」


 城門の前で棺を持った英雄アーロンは、静かに棺型盾クロスライフを魔物達へと向ける。


「ここからは救出屋の仕事だ」

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