井上高志 第6話

 トモちゃんと一緒に帰った次の日、僕は風邪を拗らせて学校を休んだ。プリントを届けに来てくれた陽介から聞くと、どうやらトモちゃんも風邪で休んだらしい。

「高志とトモちゃんって仲良かったっけ?」

 陽介は僕があげたクッキーをその場で食べながら聞いてきた。よく分からない質問だったが、頭が痛くて色々と聞くのが面倒だった僕は「それなりにね」と言って陽介を帰した。

 そのまた次の日、喉の痛みを抱えながら教室に入ると、皆が僕の方に視線を向けた。教室の隅の方にいた数名の女子は、僕の方を見ながら何やらコソコソ話をしている。面白おかしいものを見ているような視線で不愉快だったが、気にしないふりをして自分の席へと向かった。

 ランドセルから教科書を取り出していると、隣の席の麻理が声を掛けてきた。

「高志くん……聞いた?」

「何を?」

「いや、昨日高志くんが風邪で休んでいるときに変な噂があってね」

「変な噂? もしかして僕の?」

「えっと……あの……」

「大丈夫だよ。僕、怒ったりしないから」

 僕の言葉を聞いた麻理は僕の方に椅子を近づけた。

「あのね、高志くんとトモちゃんが恋人同士じゃないのか、って噂が広まっているの」

 詳しく聞くと、どうやら、僕とトモちゃんが手を繋いでいる姿を誰かが目撃したらしく、僕とトモちゃんが恋人同士という噂が流れているようだ。麻理は皆の話し声から聞こえてしまったらしく、誰が噂を流したのかは分からないらしい。昨日僕たちが休んでしまったことで、噂話にブレーキが掛からなくなってしまったのだろう。噂は一組と二組にも広まってしまっているらしい。

「おはよ!何話しているの?」

 赤色のランドセルを背負ったトモちゃんが座っている僕と麻理を見下ろす。

「どうしたの二人とも。朝から何か真剣そうな顔して」

 麻理がトモちゃんに事情を説明すると、トモちゃんは「意味わかんない」と呟き、僕の斜め前の席にどかっと座った。

「みんながフワフワしているのはその理由ね。どうして手を繋いだだけでカップルってことになっちゃうんだろ。ただ寒いから手を繋いだっていうだけじゃん」

 そんな言い訳は、噂話を信じきっている彼らには通じなかった。むしろ、手を繋いだという事実を僕たちが認めてしまったことにより、『カップルかもしれない』から『カップルである』と噂話が事実に変わりつつあった。

 三時間目のバスケでも、僕がトモちゃんにパスしただけで、男子の集団から「愛のパスだあ!」大袈裟に冷やかされた。その集団の中にはニヤつきなが僕のことを見る公太がいた。そのとき、僕は公太がこの噂を流した犯人じゃないかと考えた。トモちゃんが僕の姿に気づいていたということは、公太だって気づいていたかもしれない。公太とトモちゃんが別れた後、僕とトモちゃんに見つからないように、僕らの後を追ってきた可能性はあり得る。

 体育の授業中、公太を問いただしてみようとトモちゃんに相談したが、トモちゃんからは「公太を責めるのはやめといた方がいいと思う。あいつしつこいし」と言われた。でも、噂話でトモちゃんに嫌な思いをさせたくはなかった。

 体育が終わった後、僕は、今回の噂話の原因はお前なんじゃないかと公太たちのグループに詰め寄った。しかし、公太は否定し続けた。

「だからさ、俺が噂を流した証拠はあるのかよ」

「ない」

「じゃあ俺じゃねえな」

「でも、あの日、近くにいたのは公太しかいなかったよ」

「俺じゃない違う奴がお前らの姿を見たかもしれねえだろ?」

「じゃあ何で公太は僕とトモちゃんをからかうんだ。トモちゃんだって嫌って言っているのに」

「お前たちが慌てふためく姿が面白いからだよ。ていうか本当に嫌ならもっと必死に守ってやれよ。トモちゃんは高志王子のプ・リ・ン・セ・スなんだからさ」

 公太がそう言うと周りにいた数人がわざとらしく大声で笑い出した。聞き心地の悪い笑い声が僕の周りを包む。

 公太が僕の肩を組み、僕にしか聞こえないように囁いた。

「昨日は二人でデートでも行ったのかな?」

 やってやる。

 僕は眼下にあった健太の足を思いっきり踏み、固めていた右手の拳で公太の頬を殴った。

「いってぇ……やったな」

 公太は僕を両手で突き飛ばし、僕のふくらはぎを蹴って転ばせる。

「いいぞ公太!」

「高志も早く立ち上がれよ!」

 立ち上がる度に、何度も廊下に身体が打ちつけられた。肺と背中に痛みが走り、息苦しくなる。

「ほらお前たちもやれよ」

「ああ、なんかこいつ陰湿で嫌いだったんだよな」

 誰かがそう言うと、あらゆる方向から僕はサッカーボールのように蹴られ続けた。もう立ち上がる気すら起きなかった僕は、頭を手で抱えてひたすら打撃に耐え続けた。

「何してんの!」

 トモちゃんの叫び声が冷たい床から伝わった。

「やべ。嫁が来ちまった」

「逃げろ!」

 トモちゃんと麻理が駆け寄って来ると、公太たちは走り去っていった。

「ちょっと、大丈夫?」とトモちゃんが背中を優しくさする。

「うん。大丈夫だよ」

 僕はよろめきながら立ち上がって体操着についた埃を払う。

 一方、麻理は肩を震わせながら、涙を流していた。

「どうしたの麻理?」とトモちゃんが麻理の顔を覗く。

 麻理はメガネを取り、止まらない涙を拭いながら言った。

「杉内くんが……杉内くんがまさか井上くんにあんなことするなんて思わなくて……」

 僕たちは嗚咽し続ける麻理を保健室に連れて行った。トモちゃんからは僕も保健室で休むことを勧められたが、いじめられたとかになると面倒なると思ってやめておいた。

「失礼しました」と言って保健室の扉を閉めたと同時に、四時間目が始まるチャイムが廊下に響いた。僕とトモちゃんはチャイムの余韻を耳にしながら二階へと続く階段に向かって歩む。

「ごめんね。私がもっと早く駆けつければ良かったのに」

「僕が吹っ掛けた喧嘩だもん。殴られるのは仕方ないよ」

「でも、あれはやり過ぎだし、高志が殴られる理由なんて全然ないじゃん」

「いいんだよトモちゃん。最初に殴ったのは僕だしね」

「……そっか」

 喧嘩では最初に手を出した方が絶対に悪い。だから、さっきは僕が殴らなかったら喧嘩にならなかったはずだ。

 僕らはゆっくりと階段を登り始めた。

 会話はなく、トン、トンと二人の足音が壁に伝っては消えていく。

 教室に戻るまでに何か手を打たなくては。そうしないと、また僕らは揶揄われてしまう。

「トモちゃん」

 踊り場にいる僕は数段下にいるトモちゃんを見下ろした。顔を上げたトモちゃんの表情は不安に溢れていた。

「僕たち、あまり話さないようにしようか」

 それがこの状況を収める一番良い選択だと思った。僕たちが関わるたびに、僕らは嫌な噂に囲まれる。トモちゃんと距離を置いてしまえば、「あの噂はデマだった」「別れてしまった」と話す人が出てきて、次第に僕たちには関心が向かなくなるはずだ。その間に、他の人の噂が出てくれるとありがたい。

「嫌だ」

 トモちゃんの声は僅かに震えていた。

「色々言われるのは僕だけいい。それに、友達じゃなくなるわけでもないじゃん?」

「嫌だよ! 話したいときに話せないなんて、それって友達じゃないよ!」

 僕だって嫌だ。

 トモちゃんは踊り場まで階段を駆け上がり、僕の前に立って左手を差し出した。

「私はカップルって思われてもいいよ。それでも私は高志と沢山話したい」

「いや、でも」

「だから、この手を繋いでよ。そして堂々と教室に入ろうよ」

 本当は僕だってそうしたい。

 でも、これ以上トモちゃんが嫌な気持ちになる方が僕はもっと嫌だった。

「……ごめん」

 僕はともちゃんの横を通り過ぎ、三階へと続く階段に足を掛けた。

「ねえ高志」

 僕は涙を堪えながらを振り返った。

「いつかまた、私と話してくれる?」

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