井上高志 第4話

 運動会とマラソン大会が終わり、吐く息が白くなり始めた季節になった。二大スポーツイベントが終わり、運動が苦手な僕にとってはラッキーな時期だと思っていた。

「動いているボールを蹴るのは難しいから、一度トラップしてからでいいよ」とトモちゃんが言った。

 トラップ。

 聞き慣れない単語に首を傾けていると、トモちゃんは公太から蹴られたボールの勢いを足元でピタリと止めた。

「ほら、これがトラップ。ちょこんって足とか胸に当てるだけでいいの」

 十一月中旬のことだった。公太、陽介、宮木麻理、トモちゃんと同じ班になった席替え後、先生がクラスレクとして一ヶ月後にサッカー大会を開催すると言った。その日の昼休み、僕と健太と陽介は、貸し合っている漫画を昼休みで読もうとした。そのとき、トモちゃんから「ほら、練習行くよ」と声を掛けられた。サッカー観戦が好きな公太がやる気を見せていたので、僕と陽介も参加することとなった。トモちゃん以外の四人は体育以外でサッカーをすることはない素人だから、僕も気が楽だった。例え空振りしても、それが当たり前なので誰も僕を馬鹿にしない。だから、最初は優勝なんて目指す雰囲気でもなかったけれども、トモちゃん以上にやる気を出している公太に引っ張られ、僕も陽介も麻理も頑張って練習をしている。

「もし試合中パスする場所なかったら私を探して。どうにかするからさ」

「ディフェンスがいても?」

「うん、信じて出してみて。絶対繋がるから」

「分かった」

「おーい友美!ちょっと教えて」

 公太に呼ばれたトモちゃんはボールを手に持って何かを説明している。トモちゃんが身振り手振りで説明するのを公太は熱心に聞いていた。

「ね、ねえ、井上くん」

 隣にいた麻理が声を掛けてきた。麻理の練習相手である陽介はボールを取りに行っていた。

「あの二人って付き合っているのかな?」

 メガネ越しの視線は公太とトモちゃんに向けられていた。付き合っている、その言葉の意味がいまいちピンと来なかったので訊いてみると、どうやら恋人ということらしい。

 三年生になると「誰と誰が好き」「恋占い」とか、そんな話題が数ヶ月に一回は出るようになった。好きとか嫌いとか、付き合うとか、僕にはまだそういった話は分からなかった。

「麻理はどうしてそんなこと聞くの?」

「い、いや別にふたり仲良いなって思っただけだよ」

「おーい、麻理。今度こそまっすぐ蹴ろよー」

 話していると、麻理のパス相手だった陽介が戻ってきた。

「ごめん。今の話忘れて。何でもないから」

「あ、うん」

 麻理は耳を赤くして、転がってきたボールを足元で止めてから蹴り出した。ボールは大きく右方向にずれたが、陽介が腹を揺らして何とか止めた。

 すると、公太の隣にいたトモちゃんが僕を呼んだ。

「ちょっと横にずれといて」

 僕が数歩横にずれると、ともちゃんは数歩助走してからボールを蹴飛ばした。ボールは、思い切り回された地球儀のように、斜めに回転しながらフェンスを揺らした。

「すげえ!」と公太がトモちゃんを見る。

「公太もやってみな」

 公太もトモちゃんのように助走をつけて、右足で勢いよくボールを蹴り出した。トモちゃんほど回転が掛かっていないボールが僕の目の前を通り過ぎていき、フェンスにぶつかった。僕は転々としたボールを拾い、公太にパスをする。公太と僕はそれを何度も繰り返した。

 空中にボールを浮かすだけなら、いつもの健太ならできるのに、それ以上に何をしたいのか僕には分からなかった。

「人がいた方が良い感じに蹴れるかもね」と言ってトモちゃんは僕を元の位置に戻させた。

「曲がるから気を付けてねー」

「曲がる?」

 健太の右足から宙に蹴り出されたボールは、僕に向かって飛んで来る。キュルキュルと回るボールは空中で曲がり、止めようとした僕の足元を通り過ぎていった。

「曲がった!」

「いいじゃん!その感じだよ公太!」

 フェンスから跳ね返ったボールを受け取って後ろを振り向くと、トモちゃんと公太はハイタッチをしていた。

「すごかったろ高志!曲がり過ぎて止められなかっただろ?」

「曲がってたよ! どこに来るのか全然分からなかった」

 そうだろそうだろと公太は腰に手を当てて何度も頷く。

「初めてなのにすごいね。私よりセンスあるよ」

「へへ、俺もサッカーやってみようかな」

 トモちゃんと公太が楽しそうに話す姿を見て、何かが僕の中で生まれた気がした。公太の成長を喜ばしく思えない何か。怒っているわけじゃないけど、どうしてかムカムカとした。

「おーい高志。早くボールくれよ。感覚忘れないうちに早く蹴りたいんだ」

 僕にだって出来るはず。

 僕はカーブするボールをイメージしながら、足元のボールを蹴飛ばした。しかし、ボールは公太がいる場所から大きく逸れてしまった。

「おいおい、どこ蹴ってんだよ」と公太はボールを追いかけていく。

 左足のつま先がジンジンと痛む。

 ふと右隣にいた麻理をみると、その視線は公太の後ろ姿を追っていた。陽介から麻理の元に転がってきたボールは、砂埃のかかった黒色のスニーカーの間をすり抜けていった。

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