井上高志 第2話
「いちについてー」
スタートラインから右足を引いて前傾姿勢を取る。ゴクリと唾を飲み、脚に力を込める。
「よーい、ドン!」
紅白帽子が振り下ろされ、僕は右足を滑らせながらもスタートを切った。
腕を振れば速く走れるってテレビで言っていたことを思い出したが、残り十メートルから試すには遅すぎた。
「高志何秒だった?」
スタートラインに並ぶ公太が伸脚をしながら僕に訊いた。
「十一秒一」
「む。去年より速くなっているな。でも俺も負けてられねえ」
僕らは三年生になった。三年生にもなればグーンと女子を越せるほど身長が高くなると思ったら大間違いだった。遠足でドロケイをしたとき、僕の身長はトモちゃんと同じくらいだったけれど、今では僕が見上げてしまうほどトモちゃんは背が高くなっていた。
息を切らしながら戻ってきた公太は「俺は十一秒ジャストだった。俺の勝ちな」と誇らしげに僕の肩を叩いた。とは言っても、僕と公太は他の子と比べると遅い方だけれども。
「はやーい!」とクラスの女子たちから声が上がった。
皆の視線の先には力強いフォームで駆け抜けるトモちゃんの姿があった。五メートル、十メートルと隣で走る女子を離していく。ああやって速く大きく腕を振ればいいのか、と感心しながらトモちゃんの姿を見る。
今年の四月から、トモちゃんはサッカー少年団に入ったらしい。まだ五月だというのに、ともちゃんの足と腕はこんがりと焼けていた。
「すごいよねトモちゃんって。何でも出来ちゃうんだもの」
僕が感心していると、公太は「ソフトボール投げでは負けない」とトモちゃんにライバル心を燃やしていたが、残念ながら一メートルの差で惜敗していた。
いつからか公太はトモちゃんをライバル視するようになった。何がきっかけかは知らない。放課後にトモちゃんと遊んでいるときとか、何かの帰り道で偶然会ったりすると、公太はなにかと勝負を仕掛ける。公太が勝ったのを見たことないけど、本当に悔しそうにはしていない。むしろ負けても楽しそうにしているけど、僕にはそれがよく分からなかった。
「今のところ私に勝ってる種目あるの?」
後ろから声を掛けてきたトモちゃんが公太のことを見下ろす。
「ばか、これからだこれから」
「ふーん。ま、私に勝つなんて十年早いね」
「最後のシャトルランは勝つから!」
「二人が私に勝てたら漢字ドリルの宿題やってあげるよ」
「マジ⁉︎」と公太の声が弾む。
「その代わり、私が勝ったら私の宿題手伝ってね」
「えー僕も?」
「だって二人がかりで私に勝負しないと敵わないでしょ?」
「でも持久走なんて個人種目だし……」
「二人で合わせた数字で良いよ。もし二人が二十回ずつだったら、合計四十回。私が二人の合計を超えたら、私の勝ちね」
「そんなの楽勝じゃん。頑張ろうぜ高志」
二日後に行われたシャトルランにて、僕は二十三回、健太は二十七回で力尽きてしまった。走り続けるトモちゃんは、体育館の端で座り込んでいる僕らに手を振る。次第に、残りは足の速い男子数人とトモちゃんだけとなった。四十回を超えたあたりで、「五十回なら余裕だろ。いくら友美でも無理に決まってる」と公太は呟いたが、トモちゃんは五十三回でシャトルランを終えた。ゴールデンウィークの宿題として渡された足し算・引き算のプリントを僕と公太は分け合うこととなった。
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