第2話 出逢い
2
八月ニ十四日
早朝 四時十五分
むらさき、全体メッセージを流す
「おはようございます。
暑い日が続きますね。みなさん、体調等、お気をつけてください。
昨日から、川端康成氏の「雪国」を再読しております。繊細な表現と、心に深く入り込む描写に、文章の力強さを感じます。
経験を重ねた上で織り成された言葉は、人々を魅了し続け、記憶から忘れさせない。何よりも文体が美しい。
何度、読み返しても、この世界観にまた戻ってきたいと思わせる小説です。」
四時四十三分
ゆきさんからの送信
「はじめまして。おはようございます。
メッセージを読ませていただきました。
"雪国"の文言に、思わず返信をしました。
川端康成氏の小説は、学生時代は、とても読みにくいといった感想しかありませんでした。
二十代でも駄目でした。さっぱり分からない。しかし、三十代も後半を迎える頃に再度読んでみたら、自分の心に残るものを感じました。
自分が成長したというよりも、時代が変化しても小説の変わらない部分、その良さが、やっと理解できたのだと思います。それからは少しずつですが、何度かページを開いています。
この本に出会えてよかった、と今は心から思います。勧めてくれた学生時代の恩師に感謝しています」
五時七分
むらさきの返信
「ゆきさん、初めまして。
おはようございます。
メッセージ、ありがとうございます。とても、嬉しいです。
年齢を重ねて、初めて気がつく、ということは、とても大切だと思います。自分自身や周囲も少しずつ、そして時間と共に変容している。その現実の中での読書は、人間性を良き方向へと導いてくれるように思います。お勧めして下さった恩師の方の、心の温かさを感じます。きっと素晴らしい読書体験となって、生き方に反映される日が必ずくることを知っていたのでしょうね。
早朝からメッセージを流しましたが、読んでくださって、ありがとうございます。」
五時二十九分
ゆきさんの送信
「返事ありがとうございます。
そうですよね。時間が経過しないと分からないことは、たくさんあると思います。
若いうちに読んでおいたほうがいい本は、たくさんあるし、だからといって大人になってからでは遅い、というようなこともないと思います。
あまり若い人に言ってしまうと、ただの説教おじさんになってしまいますが…」
五時四十七分
むらさきの返信
「それぞれの年齢で向き合った本の中身は、自分自身の人生を裏切らないと思います。知らずのうちに心に蓄積された言葉たちが、生き方を教えてくれます。大人になってからの読書も大切ですね。いつだって、本は待っていてくれる。そう思うだけで、たとえゆっくりでも小説の世界を楽しみたいと、生きる力になります。難しく捉える必要は、まったくないのですよね。
素敵なメッセージを、ありがとうございました。
良い一日を、お過ごし下さい。」
十八時四十三分
ゆきさんの送信
「こんばんは。今朝は、ありがとうございました。
なんだか嬉しくて、今日一日、時間が早く過ぎました。連絡できる時間を待ちわびてもいました。
むらさきさんがご迷惑でなければ、これからもやり取りをしたいです。どうでしょうか?」
十九時五分
むらさきの返信
「ゆきさん、こんばんは。
そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
やり取りは可能ですが、すぐにお返事ができない時もあります。それでもよければ、よろしくお願いします」
十九時二十七分
ゆきさんの送信
「ありがとうございます。こちらは、昼間は仕事なので、早朝とこの時間からなら大丈夫です。
むらさきさんは具体的に駄目な時間帯などありますか?」
十九時三十九分
むらさきの返信
「早起きなので早朝は大丈夫です。夜はあまり遅くならない時間までなら大丈夫ですが、お返事が出来ない場合もあるかと思います。
今夜は、お話できます」
二十時二分
ゆきさんの送信
「そうですか。分かりました。
今夜は話せるなら嬉しいです。
ところで、むらさきさんは川端康成氏の他に、どんな本を読んでいますか?」
二十時十八分
むらさきの返信
「学生時代は様々な小説を読んでいましたが、今は再読しています。恋愛小説が多いですが、海外文学も読みます。ミステリーは、あまり読んできませんでしたが、最近の作家さんのものは読みます。
ゆきさんは、どんな本を読まれていますか?」
二十時四十一分
ゆきさんの送信
「むらさきさんの文章を読んでいると、たくさん本を読まれたのだと想像できます。
僕は恋愛物語はどちらかというと苦手で、学生時代から、もっぱらミステリーを読んでいました。子供の頃から本が好きで、両親、特に父親に読み聞かせをせがんでいました。小学三年生のある時期から、父親の仕事が忙しくなり僕の本どころではなくなりました。小説は、まだ習っていなかった難しい漢字があるので、自分で読みたくなかった。しかし、自分で読まないと誰も読んでくれないと、仕方なく本のページを開きました。それからは少しずつ、自分の選んだ好きな本を自分で読むようになりました。
今思えば、絵本ではないのに親に読み聞かせをねだる僕も駄目でしたが、それを了承していた両親は相当、過保護だったのかもと思います。」
二十時五十八分
むらさきの返信
「ミステリーは理論的で文章がわかりやすくないと身近に迫ってこない感覚がありますよね。恋愛小説とは違い、感情より先に、辻褄が合わないと物語の流れが何層にも積まれないように思います。
素敵なご両親の元でお育ちになったのですね。小説の読み聞かせをしてくれていた時間が、かけがえのない思い出になっているんだな、とゆきさんの文面から感じました。本だけではなく、周囲の大人の振る舞いは、小さな子供にとっては、とてつもなく影響力があります。ゆきさんが幼少期に本と向き合うきっかけとなったのは、優しいご両親の存在あってこそですね。素敵です。」
二十一時四十六分
ゆきさんの送信
「ありがとうございます。
僕は雪国の出身なんです。冬の時期は学校から帰ると、家族が家にこもって暖をとります。することは何もなく、元々本が好きだったので、冬になれば本をよく読みました。でも、部屋は暖かいし文章を目で追っているとすぐに眠くなる。だから、よく寝ていました。毎日がその繰り返しでした。
大学を卒業して東京に出てきましたが、冬になってもあまり雪が降らない。だから、都会にいると冬の実感が全然湧かなくて…
僕の冬は、やはり雪国にいた頃の印象しかありません。冷たくて寒くてどうしようもなくて仕方がないんだけど雪が降るだけで、ああ冬が来たんだな、と思って嬉しくなる。冬なのに雪のなかで遊べない東京は、少し寂しいなぁと思います。」
二十一時五十八分
むらさきの返信
「ゆきさんは、雪国の出身なのですね。
他県の者から見て雪景色は美しいですが、冬の厳しさは大変だったと思います。しかし、沢山の冬の思い出がありそうで、少し羨ましいです。
私は関西地方出身なのですが、大人になって、初めて京都の雪を見ました。積雪に縁がなかったものですから、とても嬉しかったです。雪をすくうと、さらさらというより、重みがありました。
雪が降っている日に口を開けて歩いていると、雪は雨などと同じものだから綺麗なものではない、と周りの人に注意されました。空から降り注ぐ粉雪が美味しそうに見えて、なんだか食べたくなってしまって…
それでもやはり、雪化粧された風景には見惚れてしまいます。」
二十二時二十分
ゆきさんの送信
「僕も子供の頃、冬になるとよく口を開けて歩いていましたよ。冷たい雪が口に届くと、少し嬉しくなっていました。大人になってからはしませんが懐かしい思い出です。むらさきさんも同じことをしていたなら気が合いますね。
サクサクッの雪は、綺麗ですよ」
忘れ雪の糸 ありもと優 @sekai279
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。忘れ雪の糸の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
言葉「あっ痛い」/ありもと優
★9 エッセイ・ノンフィクション 連載中 13話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。