第20話 恨みの連鎖

 九鬼錫針くき すずは、十九歳。万引きと傷害の補導歴あり。


 地元の高校を中退後、上京。港区で開かれる金持ち連中のパーティで顔を売り、小金持ち達の愛人をやりながら資金調達を行い、その傍らで藤岡や師岡といった古賀組の元構成員に声をかける。前科持ちで職業不定の自分が銃を買えばすぐに怪しまれるし、何より免許を持っていなかったこともあって、唯一武器の調達が可能な藤岡に武器と弾薬の調達を任せ、闇バイトの伝を持っていた師岡には兵隊を用立ててもらう。その軍資金は、愛人から小遣いという名目で渡される月々数百万の現金だ。


「完全に努力の方向を間違えたな。ここまで間違うと同情する気も失せるわ」


 取調室で向き合う九鬼錫針を前に、穂乃香は吐き捨てるようにそう言った。茶髪のボブカットに、コートの下に着ているライムグリーンのパーティドレス。今夜も金持ちどもから金を巻き上げるために愛人を演じてきたのだろう。


「腹違いの姉は香港で殺し屋。その妹が組織に喧嘩売るために売春婦に成り下がるなんて、馬鹿げた話だわ」


「あんな女を姉だなんて思ってないわ」


 関西の訛りが残る刺のある物言いで、九鬼はじっと睨みつけてくる。


「あんたはあいつが何したか知ってるの? 私の兄の家族を殺したんだよ。奥さんと、生まれてまだ半年の赤ん坊だよ。人の道を外れたことをしたんだよ! そんなのと手を組んで、刑事として恥ずかしくないわけ!?」


 少し前の自分なら向き合えなかったであろう正論まみれの罵詈雑言。だが今は不思議と後ろめたさはない。


「その姉からあんたに訊いといてほしいことがあるってさ」


 マンションで九鬼錫針を拘束して、藤岡庚子郎を殺害した後、古賀は一人で帰ってしまった。警察の現場検証と家宅捜査に立ち会える身分ではないからと、ご尤もな理由と一緒に、取り調べで確認しておいてほしいといくつか頼まれ事をしている。


「あいつの会社襲った兵隊と、天童会の連中を殺した奴ら。それからあいつとあいつの上司との素性。どうやって手に入れた?」


 闇バイトなんて、ただ殺しをやったことのあるゴミでしかない。そんな連中がどんな玩具を持ち合わせたところで、ヤクザの護衛や武装した警備員を制圧することなどできやしない。


 それに、レガリア通商の従業員で襲われたのは、裏の業務にも関わっている張賢達と古賀麗羽の二人だけ。セキュリティ事業部の従業員は営業から事務まで総勢500人。張の部下だけでも30人。その中からこの二人だけを襲ったというのなら、二人の素性をどこかから仕入れているはずだ。


「答えないなら構わないよ。あんたが世話になってる九鬼の人間から、死人が余計に増えるだけだからね」


 警官らしからぬ脅しとは自覚しているが、そうでもして吐かせなければ事態は悪化する。


「今日中に吐かせろって香港から急かされてるんだよ、あいつ。それができないなら再発防止のために、見せしめで会長の家族も一人残らず殺せ、ってさ」


 九鬼錫針の顔が一気に強張る。


「本家の人達は関係ない! 私がやったことなの。巻き込まないで!」


「本家って鬼州会のこと言ってる? 連中が潰されるのはもう決定事項だ。あいつら本国から兵隊連れてくるつもりだよ」


「だったら今すぐ止めさせてよ! あんた警察でしょ!? あんな仁義も知らない連中とつるんで、頭おかしいんじゃないの!?」


 声を荒げる九鬼錫針に、穂乃香は不快なものを感じた。ヤクザを相手にしている時と全く同じ、不愉快極まる自己正当化の言葉を聞かされたからだ。


「あんたのやったことに仁義とかいうやつがあったのか?」


 無意識に圧のこもった言葉を投げかけてしまう。


「あんただけじゃない。あんたの兄もだ。あいつが大阪の市民からどんだけ嫌われてたか、知らないだろ? メキシコのセタスに大阪のコガ、なんて言われるくらいにはあんたの実家の評判は酷いもんだった。大阪で起こる悪事の中心は大抵あんたの兄だったよ」


 苛立ちと後ろめたさがない交ぜになった目で、睨みつけてくる錫針。


「あんたはどうする? 兄と同じように他人巻き込むか、それとも大人しく全部吐いて罪を受け入れるか。好きな方選べ」


 顔を近づけて、静かに威圧する。目線を伏せた九鬼錫針は、やがて観念したように口を開いた。


「……田村って人から紹介してもらった。まぁ偽名だろうけどね」


「人相は?」


「やり取りは会議ツールを使ってたし、お互い顔を見せずにやり取りしてたから、見てないわ」


「そんな奴の言うこと信じたの?」


「色々と知ってたからね。兄が廃人になった原因も」


 さっき言っていた、古賀が妻と赤ん坊を殺したという話のことだろう。その二人が死んだことは知っていたが、真相までは穂乃香も知らなかった。


「それでレガリアの古賀麗羽が腹違いの姉だと分かって、殺すことにした?」


「そうだよ。本命はあいつ。その前に側近の一人くらい殺してやれば、キレて隙が生まれると思ったから、張とかいう奴も殺した」


「天童会を襲ったのは?」


「そっちは田村がやったんだよ。兵隊の金も向こう持ち。私は関わってない」


 付け加えるように、九鬼錫針は続けた。


「カタギならともかく、ヤクザなら良いでしょ。極道としての筋は守ったつもりだよ」


「言い訳並べるのは止めろ、このゴミクズ」


 吐き捨ててやると、九鬼錫針は目を見開いて睨みつけてきた。


「あんたも古賀麗羽も、あたしからすりゃゴミクズだ。けどな、あんたは特別クズだよ。理由を教えてやろうか? あんたは、自分の頼みなら断らない連中を駒にして、自分の復讐を肩代わりさせたんだ。自分の手は汚さず、金だけ出して、それで自分の恨みと関係ない連中まで死なせたんだ」


「それで、それで何で私があんな奴と――」


「古賀は自分の手を汚してるんだよ! 自分だけ安全なところで報告待ってるだけのお前と同じなわけないだろ!」


 押し黙る九鬼錫針。これ以上この女と話すのは時間の無駄だろう。


「あんたが喋った情報と引き換えに、鬼州会の家族には手を出さないよう連中には言っといてやる。だが、鬼州会には潰れてもらう。組長と若頭は使用者責任、あんたは共同正犯で死刑になってもらう。それであいつらは納得させる」


「そんな!」


「あたしはヤクザなんか死ねば良いと思ってるんだよ。あんたの兄貴のおかげでね。だから同情なんてしてやらない。これ以上迷惑かけないよう、精々大人しく吊し上げられな」


 有無は言わせないとばかり一方的に告げて、穂乃香は取調室を出ていった。



 オフィスに戻ると、大沢係長が駆け寄ってきた。


「白炭やったなお前! 九鬼錫針の部屋からお前が言ってた通り銃が出てきた。防犯カメラの記録でも藤岡と師岡が出入りしてるのが確認できたし、これで共犯は確定だ」


 興奮気味の大沢係長に、「でしょうね」とだけ応じておく。九鬼錫針の部屋から最後のAPSが出てきたことも、藤岡と師岡との繋がりを示す証拠が出てきたのも予想通り。別に驚くことではない。


 それより先に、本命に当たらなくては。


「おい、白炭?」


 奥の自席に座る本命のもとへ向かっていく。不穏な気配を察した大沢係長が呼び止めようするが、穂乃香の耳には届かない。


 やがて穂乃香は芝崎課長の席までやってきた。弛んだ頬の仏頂面を上げて穂乃香を認めると、課長は苦い顔を見せた。


「何かね? 今は君なんぞに構っている暇はないんだが」


「田村ってのはあんただろ?」


 課長の目が微かに見開く。その反応を見逃しはしない。


「不思議だったんだ。師岡がまだ何も話してないのに、何で和歌山県警との合同捜査なんて話をあんたが言い出したのか」


「な、何の話だね」


「王血幇の下請けで麻薬の卸売やってる天童会を叩けば、奴らは確実にキレる。その後に張と古賀を襲撃すれば、抗争を演出するには十分だな」


「おい、君! 何なんだこいつは!」


「すみません、課長! おい白炭、いい加減にしろ!」


 動揺を見せる芝崎課長に、焦って駆け寄ってくる大沢。ざわつくオフィスに、芝崎が怒声を上げた。


「捜査の邪魔をしたと思ったら、でたらめな言いがかりをつけて! 証拠の一つでも用意してからほざけ!」


「ああそうだよ、証拠なんかないよ」


 そんなものがないことは明白。だが、この男の反応からして、黒なのもまた明らか。


 相手がヤクザなら、こんな時は殴ってやるところだ。


「……いや、もう良いや」


 相手は警察。上司よりさらに格上の他課の課長。そして、ゴミクズだ。


「白炭!」


 吹っ切れた次の瞬間、白炭は芝崎の顔面に真正面から拳を叩き込んでいた。


「おい止めろ白炭! 止めろって!」


 デスクを飛び越え、床に倒れた課長の襟を掴み、拳を振り下ろす。


 刑事が五人がかりで引き剥がすまでに、白炭は顔面に四発叩き込み、課長を病院送りにしたのだった。

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