第19話 首謀者
赤坂の入り組んだ丘陵地に、暖色のタワーマンションが建っている。隣接するオフィスビルとのツインタワーで、地下駐車場に繋がるスロープから出てくる車は、どれも高級車ばかりだ。
ここに九鬼錫針が住んでいると分かったのは、ウェブ会議からほんの一時間後のこと。芸海連を頼って防犯カメラの映像から探し出したのだ。
「マンションの名義はコンサル会社の社長。分かりやすい愛人だね」
助手席に座る麗羽はそう言って、銀雪から送られてきた調査結果のファイルに目を通す。PDFで送られた資料には、入居している部屋の間取りに過去一週間の入退室の記録、外出時に使っている車の車種・色・ナンバーと、帰りを待つのに必要な情報が一通り記されていた。
「九鬼錫針を捕まえたら、刑事さん的には大手柄だよね?」
「だろうけど、それがどうかした?」
「うちのせいで出世コース外されてたりしないか、ちょっと心配してるんだよ」
国際犯罪対策課と警視総監を出し抜いてまで助けてくれたのだから、キャリアへのダメージも相応のはず。さすがに後ろめたさは感じている。
「出世コースなんてとっくに外れてるよ」
何のことでもないように、白炭は笑ってシートにもたれる。
「それに出世したいわけじゃないしね。あたしは一人で自由気ままに、ヤクザ締めて回るのが性に合ってるんだよ」
強がりではない。駐車場の塀の向こうにあるビルの壁を遠い目で見つめるその目は、ゴールを目前に控えたかのような達観が感じられた。
「刑事さん、警察辞めるの?」
「は? 何で?」
「雰囲気的にそんな感じっぽいから……」
「辞めないよ。辞めても再就職困るし」
苦笑を見せて否定する白炭。だが内心、諦めか何かは抱いているのだろう。それだけのことをさせてしまった自覚はある。
「レガリアで営業やる? それか警備とか。うちのコネなら顔パスだよ」
「絶対嫌だわ。営業成績最下位の奴にコネで入れてもらっても居心地悪そうだし」
「それはそうかも」
自分で言い出しておきながら、今さら気付いて笑ってしまった。
「まぁ正直なところ、燃え尽きそうなのはあるよ」
白炭は懺悔でもするように言った。
「死に体の古賀組からこんな残党が出てきたんだ。こいつら全員捕まえてやったら、古賀組の息の根は完全に止まる。そんなことどこかで思ってんのかなぁ」
幼馴染みを死なせたヤクザへの復讐心。それだけでここまでやってきた白炭にとっては、その元凶と対決できる最後の機会だ。そう思っても不思議ではない。
向かいに建つマンションの敷地に、車が入ってきた。青のマセラティ。ナンバープレートもスマートフォンで開いている資料と一致する。
「古賀の息の根はうちが止めるよ」
地下駐車場に入っていくマセラティを見送りながら、足下のバッグを掴む。
「そのアシストは刑事さんにやらせてあげるよ」
挑発目的で笑いかける。白炭も笑い返してきて、
「行こうか、古賀」
「了解であります、警部殿」
「まだ警部補だよ」
セダンを降りて、マンションへ向かう。地下駐車場へ続くスロープを小走りで降りていき、ちょうどエレベーターホールへ向かって歩いていく女と、それを頭を下げて見送る男という分かりやすい構図を奥に認めた。
「あんた隠れてな。あたし一人で声かける」
白炭に言われて、柱に身を隠す。
「九鬼錫針さん、ですよね?」
声が地下に響き、足音の一つが止まる。麗羽はバッグを床に置いた。
「警視庁の白炭と申します。師岡という男性のことで、いくつか伺いたいことがあるんですが」
バッグから短機関銃を取り出す。ダットサイト付のMP5SD。折り畳み式の銃床を展開して、チャージングハンドルを引く。
「動くな!」
白炭の怒号と、それからまもなく銃声が響いた。聞き覚えのある特徴的な銃声だ。
「刑事さん!」
安全装置を外して、柱から身を乗り出す。ダットサイト越しに捉えるのは、短機関銃を手にした大柄な男。タンカラーの銃身に、弾倉を差し込んだ銃把。ハウリングしたかのように二つ連なる銃声。APSだ。
麗羽は引き金を絞った。消音性に優れるMP5SD。フルオートで横殴りに掃射すると、男は車の陰に飛び込んだ。
「刑事さん、生きてる?」
「心配すんな!」
弾倉を交換しながら、前方から元気な声を受け取る。死体が転がっていないのは分かっていたが、怪我もなさそうで一安心だ。
「あたしは九鬼を追う。ここ任せたぞ!」
「了解であります警部補殿!」
車の陰から男が身を乗り出そうとする。エレベーターホールへ駆け出す白炭を援護するため、再度弾幕を張る。
白炭がエレベーターホールへ消えていくと、麗羽は制圧射撃を止めて柱に引っ込んだ。弾倉を抜いてみると、残弾はなし。
「あんた藤岡庚子郎だよね? うちは王血幇の祝黒蜂だ。香港の連中があんた殺せって聞かないんだ。だから、あんたにはここで死んでもらうよ」
投げかけてみるが、音沙汰はなし。だが気配は感じる。ジリジリと車の陰伝いに、間合いを詰めてきている。
「あんた古賀組の構成員だったんだって? 何で辞めた? 親と兄貴分見捨てるなんて、ヤクザの絆なんて所詮口先だけの偽物なんだね」
「おのれら中国人のせいじゃろうが!」
怒号が返ってきた。距離は車三台分といったところ。位置からして、物陰に隠れてはいない。
「この外道どもが! 兄貴の奥さんと赤ん坊を殺しやがって。そのせいで兄貴は壊れちまった! 組もおかしくなっちまったんじゃ!」
「あぁ、知ってるよ」
眼鏡を外して、柱の陰から出ていく。怒りで顔を赤くする無精髭の男は、APSの銃口を向けていたが、やがて麗羽の顔に既視感でも覚えたか、顔を強張らせた。
「あんたのことも知ってる。よく覚えてるよ。あいつの腰巾着やってたからね」
「な、何で……どういうことや……」
「盆と正月に顔出したら、あんたは他の舎弟どもと決まって家にいた。それであいつと一緒に楽しそうに話してたね。どこぞの大学生を輪姦して野犬の餌にした話に、梅田でサラリーマン殴り殺して下水に捨てた話。天王寺で子供にやらせたこと話してた時は、吐きそうになったわ」
「何で、何でお前が生きとるんや!?」
まるで亡霊でも前にしたかのような動揺。あの人も今度、こんな反応をしてくれるのだろうかと、期待が膨らむ。
「香港はあんたらと違って、カタギは殺さないんだ。あの二人を殺したのも、ぶっちゃけうちが勝手にやったことだからね。『下品な真似するな』って、後で主席にぶん殴られちゃったよ」
「は、はあ……!?」
「分かんないかな? あいつらは、うちが、殺したいから殺したんだよ! あの腐れ外道が奪われる側に回ったらどんなザマになるのか、楽しみだったからね!」
男の顔が歪んで、次の瞬間吠えた。言葉にならない怒声を上げて、APSの引き金を引き、折り重なった高速二点バーストの銃声を小刻みに響かせる。
麗羽は横に飛んでそれを躱し、ポルシェの陰に隠れた。そして十一回目の銃声が一発分だけ響くと、プッシュダガーをポケットから抜いて飛び出す。
APSは素人の護身用には過ぎた製品だ。況して装弾数が控えめな十ミリオート弾はなおさら。高速二点バーストはマニアも唸らせる強みだが、その実引き金を十回も引けば弾切れを起こす。マシンガンのつもりで使えばあっという間だ。
かくして弾切れを起こしたAPSに焦りの色を浮かべる男との間合いを、麗羽は一気に詰めていく。男はAPSを投げ捨て、腰から拳銃を抜いた。回転式拳銃だ。
「ふっ!」
銃口が閃く。強烈な銃声が鼓膜を痺れさせる中、麗羽はプッシュダガーを振り抜き、反対側に首を傾ける。軌道が逸れた銃弾が頬を掠め、砕けた刃と銃弾が首筋を薄く傷つける。
麗羽は構わず地面を蹴る。怯んだ男が引き金を離し、二発目を撃ってくるより先に銃身を掴む。刃を失ったプッシュダガーを握り込み、喉に叩き込んだ。
急所への一撃で握力が緩む。拳銃を引き剥がして銃把を握り、よろめいた男の腹に銃口を向けて引き金を引く。重たい銃声が響いて胸に銃創を穿つと、男は地面に崩れた。
麗羽は男のもとまで歩いていって、顔を覗き込む。銃弾は位置からして心臓を貫いただろう。致命傷を受け、死に往くだけの男は、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせている。光の消えかかった瞳に、静かな笑みを映し、死を見届ける。
「――古賀」
男が息絶えたのを認めて、声に振り返る。白炭だ。腕を掴んで連れてきた茶髪の女は、手を後ろに回していて、顎の辺りを腫らしている。
「ほら、あんたの妹」
そう言って女の背中を押す。
「初めまして、九鬼錫針さん。古賀麗羽です」
名乗ってやると、女は分かりやすく動揺した。
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