第18話 約束

 釈放された古賀麗羽が身を隠す安全な場所はどこか、考えてみたが結論は一ヶ所しかなかった。


 品川国際ビルに入るレガリア通商は、古賀が襲撃された翌日から在宅勤務のみに切り替わり、事前申請による出社もその後認められなくなった。無関係な社員を抗争に巻き込まないための措置で、代わりにビルの警備は襲撃からさらに強化されていた。


 自動ドアが開かず、玄関前のインターホンを鳴らす。ガラスの向こうで自動小銃を提げて、防弾チョッキにヘルメットを被った警備員の男が近付いてくると、警察手帳を見せてやって、インターホンのマイクに用向きを伝える。


「古賀麗羽、ここに来てない? 来てたら話がしたいんだけど」


 ガラスの向こうで警備員が無線でやり取りを交わす。やがて許可が出たのか、こちらに向かって頷き、ドアが開いた。


「奥のエレベーターで、十三階まで行ってください。武器は受付にお預けを」


「こっちは警察なんだけど?」


「規則ですので」


 こちらが会わせてもらう側だし、警戒されるのも仕方ない。そう言い聞かせて、M&Pとグロックを預けて、ゲートを通る。


 エレベーターで十三階まで行くと、ホールにはまた自動小銃を提げた完全武装の警備員が二人。事前に連絡を受けたらしく、穂乃香を見るなり、


「通路を右に曲がった先の、F会議室へどうぞ」


「はいはい」


 ガラス張りの壁が並ぶ通路を指示された通りに進み、F会議室の前までやってくると、上座に座ってノートパソコンを弄る古賀がそこにいた。


「釈放おめでとう」


 ノックもなしに扉を開けて、顔を上げるなりそう声をかけてやると、


「刑事さんのおかげだよ」


「どういたしまして」


 扉を閉めて、向かいに座る。


「捕まえた奴のこと、どこまで分かった?」


 古賀はポケットから板ガムを取り出して、煙草を勧めるように一枚差し出してきた。今日はレモン風味だ。


「師岡とかいう元古賀組組員だった」


 板ガムを受け取って、吐き出させた情報を与えてやる。


「あいつらの後ろにいるのは和歌山の鬼州会。そこの会長の娘で、六本木で売春やってる九鬼錫針って女が、藤岡達と繋がってる。鬼州会と古賀組の繋がりは聞き出してないけど、どうせあんた知ってるんでしょ?」


 期待を込めての問いに、古賀はノートパソコンのキーボードを叩きながら応じる。


「本妻の実家だよ。確かうちが小六の時に本妻が妊娠したとか聞いたから、その時の子供かな」


「あんた年の離れた兄妹ばっかだね」


「元気だよねー。まぁ生まれた子供が三人揃って社会のゴミなのは、論外だけど」


 板ガムを口に含み、咀嚼する。爽やかな酸味が口いっぱいに広がる。


「古賀が没落して九鬼に籍を移した、って感じじゃないかな。暴力しか取り柄のない人間は、暴力が振るえなくなったらただのゴミクズだからね」


「なのに古賀のために今さら復讐を始めたってこと? わけ分からん」


「その辺は本人捕まえて訊いてみるしかないね」


 古賀は会議用のディスプレイとノートパソコンをケーブルで繋ぎ、リモコンで電源を入れた。ウェブ会議用のアプリの画面が開いていて、そこに古賀の顔が映る。


「さて、ここまで刑事さんには助けてばっかだからね。そろそろ約束を果たさないと」


 古賀は独り言のようにそう言ってから、こちらに笑みを見せた。


 ノートパソコンを二人のちょうど中間の位置にまで押し出して、さらに遠ざける。カメラに穂乃香が映り込むと、それからまもなく画面が縦に二分した。


 映されたのは、二人の女。歳の差はふた回りほどありそうで、背後のガラス壁には青空が広がる。


『邊個同你一齊呀?』


『唔係打俾你嗰個咩?』


「係呀。佢係可信嘅人、所以我想佢參加。不過佢唔識廣東話、可以講日文得唔得呀?」


『冇辦法啦』


 中国語でのやり取りを横目に見守ると、向かって左に座る茶髪の女が肩をすくめた。長そうな髪をツーサイドアップでまとめた淑女は、咳払いをしてから日本語を紡いだ。


『えーっと、白炭さん……でしたっけ?』


「そうだよ。昨日電話で話した人じゃないね」


『それはわたし』


 薄く暖色を帯びた銀髪でウェーブボブを作る童顔の女が、小さく手を挙げる。丸くて大きな目と赤い瞳は愛らしく、愛玩人形のよう。未成年に見えるが、ワインレッドのビジネススーツの着こなしからして、少なくとも成人はしているだろう。


『あんたね、捕まらないように気を付けろって言ってるでしょ? 世間に公表されたら表の仕事ができなくなるんだから、もっと自分の立場ってものを考えなさいよ』


 ウェーブボブの女の怒りの矛先は、古賀に向いているのだろう。お叱りを受けた当人は、それに釈明するでもなく、板ガムを取り出して口に含む。


『まぁまぁ、どうにかなったんだし、銀雪インシュエもそんなに怒らないで』


橙華チェンホァはいっつも甘いのよ! 表の仕事ができないと、こいつも立場がないでしょ!?』


『主席のご意向としては、会社は私と銀雪が仕切れば良いってことなんだし、そこはまぁ良いじゃない。本人も反省してると思うし』


 ねぇ、黒蜂ヘイフォン


 確認するかのような問いかけとともに告げられた名前に、息を飲む。


「反省してまーす」


『してないでしょ! ていうかくっちゃくっちゃうるさいのよ! あんた主席の前で同じ態度取れんの!?』


『黒蜂ならやりかねないなぁ』


「あ、あんたが祝黒蜂なの!?」


 思わず立ち上がって、声を上げてしまった。古賀はガムを噛みながら、ニヤケ顔でピースしてきた。


「取引材料にできそうだから黙ってたんだ。ごめんね」


「こんの……」


 芝崎課長の言う通りだった。とんでもない人間を逃がしてしまったらしい。王血幇お抱えの殺し屋集団・蜂グループの頭目で、中国黒社会で最も危険と噂される殺し屋。逃がすにはあまりに大き過ぎる獲物だ。


「そっちの二人も名前からして大物だし……」


 梁橙華リャン・チェンホァに、孔銀雪コン・インシュエ。レガリア通商の中国法人である榮冠貿易有限公司ロングァンマオイーヨウシエンゴンシー最高執行責任者COOに、最高総務責任者CAO。そして、王血幇の渉外担当に、事務担当。暴力担当の黒蜂と並ぶ最高幹部だ。


「まぁお互いの素性もはっきりしたところで、本題に入ろう」


 古賀はそう言って画面へ促す。後悔を噛み締めながら座って、穂乃香は画面の方へ向き直った。


王血幇うちに喧嘩売ったの、鬼州会って和歌山のヤクザだったよ。古賀組とも繋がりがある」


『関西なら、ファンさんに任せても良いかもね。うちから兵隊出すと、あの人へそ曲げそうだし』


「やだよ。うちで潰そうよ。バンダルにも兵隊借りてやれば良いでしょ」


『それは黒蜂の個人的な思いでやりたいと思ってるだけでしょ?』


「まぁそうだけどさ。やられたらやり返さないと。賢達の馬鹿弟にこっち来られても迷惑だし」


『それは分かるけどね……』


『鬼州会の情報、ざっと浚ってみたよ。日本のヤクザって住所と名前載せてくれてるから助かるわ』


 ノートパソコンを触っていた銀雪はそう言って、画面を共有した。


『構成員は末端まで含めて60人弱。組長と若頭は服役してない。本家と本部の所在地は、この住所ね』


 写真を添えられた情報は、インターネットから拾ってきたものだろう。日本にはヤクザマニアが大量にいる。銃の規制緩和と暴対法で絶滅の危機に瀕している彼らにとっては、迷惑この上ない話だ。


『この規模感なら一日で殲滅できるけど、やっぱりめんどくさいなぁ。和歌山だから特にお金にもならないし』


『でも取りこぼしたらまた報復されるわよ。いっそお金かけてでも今のうちに根絶やしにしてやれば良いじゃない』


『鬼州会に在籍してる人間片っ端から見つけて潰すの? そこまで他人様よそさまの庭に長居したくないよ』


「皆殺しにする前提で話進めてるけど、半分は警察こっちに寄越してよ?」


 既成事実化されそうなので、釘を刺しておく。


「一般人の殺害を命じたってことになれば、捕まった奴らはほぼ間違いなく死刑か無期懲役だよ。しかも絶対に仮釈放は許可されない。だから安心してくれて良いよ」


『あぁ、白炭さんは警察か。すっかり忘れてた、ごめんなさい』


 橙華はばつが悪そうに笑った。喧嘩を売られたのかと勘繰ってしまう。


『荒事は黒蜂の担当なんだから、あんたも何か言いなさいよ』


 銀雪に促されて、古賀はすぐに私見を述べた。


「とりあえず本家と本部潰して、組長と若頭は刑事さんに渡そう。その場にいる他の組員は皆殺し。他はバンダルに引き継いで一週間くらいで収束。こんな感じでどう?」


 組長と若頭なら最終判断に関わっていると見なされるのは確実。世間的には張賢達と古賀麗羽は善良な市民で、その二人への殺人と殺人未遂に関わったと見なされれば、死刑か無期懲役はほぼ間違いない。その二人を引き渡してもらうのが落としどころか。


『それで良いんじゃない?』


『こっちはそれで主席に話しておく。白炭さんは?』


「まぁ良いよ。ただし、組長と若頭は確実に生け捕りにしろよ?」


「喋れる状態で渡すから心配しなくて良いよ」


 古賀が笑みを見せてくるが、胡散臭い。


『兵隊は黒蜂の手下使う?』


「本業で手いっぱいだし、それなりに慎重に作業する必要があるから、そっちから人寄越してよ。王血幇うちがやったって分かってもらった方が良いから、元本職縛りね。それで本家襲撃する。バンダルには本部を潰してもらうから、北から借りてる連中を使うよう言っといて。ボロクソにやってやれば、王血幇うちに喧嘩売るとどうなるか、他の組にもちゃんと理解してもらえるだろうし」


『分かった、主席にも話しとくよ』


 やり取りが一段落ついたところで、古賀は思い出したように切り出した。


「そういえば、鬼州会の会長の娘が協力者として都内に住んでるらしいんだけど、こいつどうする?」


『そんなの始末するに決まってるじゃない』


 銀雪が当然のように答えて、橙華が続く。


『前に報告してくれた藤岡とかいう人は? そっちはもう捕まった?』


「そっちはまだだよ。多分一緒にいるんじゃないかな」


『じゃあ二人とも殺しちゃえば良いよ』


「ちょっと待って。娘とはいえ一応カタギなんだ。藤岡は別にどうでも良いけど、娘の方は警察で捕まえるって条件で吐かせてるから、あたしに預けてよ」


『はあ? ヤクザとつるんでる時点でカタギじゃないわよ。しかも血縁者なんか逃がしたら面倒にしかならないんだから』


 孔銀雪が語気を強める。事務担当の役割のくせに、この三人の中で一番好戦的だ。


「まぁ刑事さんの立場もあるし、そのくらいは飲んであげても良くない?」


 古賀が横から援護してくれた。


「うちのこと助けてくれたんだし、そのせいで刑事さんの立場も悪くなってるはずだからさ。これでおあいこってことにしようよ」


『ちなみにその人、まともに裁かれたらどのくらいの刑罰になりそう?』


 橙華の質問の相手は自分だ。穂乃香は正直な所見を述べる。


「共同正犯扱いで死刑になると思うよ。年齢考えたらもう成人してると思うし」


『じゃあ死刑になったらそれで良いとして、ならなかったらこっちで始末する、ってことでどう?』


 酷い折衷案を聞かされ、辟易する。どうしても死んでもらわないと気が済まないらしい。


『良い、黒蜂? 藤岡は絶対に殺しなさい。主席は何も言わないけど、あんたの表の成績の酷さはそれなりに気にしてるの。裏の方はきっちりしてるって示してくれないと、こっちも報告のしようがないんだからね』


 画面越しに指差しながら、釘を刺す銀雪。


「善処しまーす」


『遂行しなさい! 絶対! 今日中に!』


『まぁ、頑張って』


 


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