第21話 強襲
『――あの刑事、課長半殺しにしたとかで逮捕されたわよ。まったく、あんたの周りって野蛮人しかいないわね』
電話口の銀雪は、やや呆れた風な物言いだった。麗羽も内心気持ちは同じだが、あの白炭がそこまでキレるからには、よほどの事情があったのだろう。
「身内の不祥事だし、依願退職と引き換えに不起訴とかになるでしょ。そしたらあの刑事さん、うちに引き抜いても良い?」
『裏の仕事やってくれそうな汚職刑事には見えなかったけど?』
「違うよ、表で」
レガリア通商の営業職と警備職は年中募集中だ。あの刑事なら問題ないだろう。
『適性試験と面接を通過できたら、ね』
「うちのコネでどうにかしてよ」
『あんたのコネなんか表で使えないわよ。万年平で成績最下位常連なんだから。どの面提げて採用許可出せば良いのよ』
容赦なく事実を並べ立てられ、ぐうの音も出ない。
『それより、そっち片付いたら一度帰ってきなさいよ。主席も会いたがってるし』
「二月じゃダメ?」
『絶対ダメ! じゃあね、精々頑張りなさい』
銀雪は電話を切ってしまった。彼女は頑固者だし、主席が会いたいというなら仕方ない。幸い有給休暇は去年の分も含めればまだ余裕がある。
「総員、配置につきました」
休暇の算段をつけたところで、麗羽は手下からの報告に向き直る。
大阪府堺市初芝のコインパーキング。トラックの荷台を改装した通信車の中には、麗羽とオペレータが二人、それに護衛が二人の五人が乗り込んでいる。
紺色のシャツとカーゴパンツ、それにプレートを仕込んだタクティカルベストを着込んだ麗羽は、備え付けられた八つのディスプレイを見渡す。和歌山にある鬼州会の本部と本家である組長宅を襲撃するため、香港と韓国から呼び寄せた傭兵達のボディカメラの映像が映し出されている。
「始めて良いよ」
「アルファ、ブラボー、キックオフ」
建物が同時に停電し、梯子を使って塀を越え、或いは二階から乗り込む。
組長宅の制圧のために香港から呼び寄せたのは、王血幇で飼っている傭兵達。人民武装警察に籍を置いていた者達で、普段はセキュリティ事業部所属の警備員という肩書きを与えつつ、こうした裏の仕事にも投入される。
本部制圧を担当するのは、バンダルが北朝鮮から借りている特殊部隊だ。動かすためには北朝鮮の将校と高官に大金を払わなければならないが、バンダルとの関係と今回の任務を考えればやむを得ない。
ディスプレイの向こうでは、サイレンサーを付けた小銃の銃声と、その度に倒れていく組員達の姿が映されている。まるでゲームのような光景がディスプレイの数だけ、おおよそ同じような展開をひたすらに繰り返す。
『アルファ3が荷物を発見』
ディスプレイの一つが目当ての人物を見つけた。組長だ。運の良いことに妻と中学生の息子も一緒だ。
「組長だけ確保。他二人は拘束」
「荷物のみを確保して運び出せ。付属品は梱包のみ」
『アルファ6、了解』
暗闇の中で恐怖に泣く妻と息子を、結束バンドで縛る。喚く組長をMP5の銃床で殴って黙らせ、引きずっていく。
「本部も制圧を完了しました。若頭を確保」
「本家は撤収開始。五分後に警察に通報。本部は燃やせ」
「了解。各班、撤退開始。ブラボーは最終処分に入れ」
北朝鮮の傭兵達が、灯油を撒いていく。死体の傍に起爆装置付きのC4爆薬を放り投げ、撤収する。
「じゃあ行ってくるわ」
「お気をつけて」
麗羽はトラックの後部ハッチから降りる。護衛が一人ついてきて、駐車場に停めてあるワゴンからも二人が降りてくる。
静かな住宅街。時刻は午後十一時を過ぎた頃。車も通らない静けさの中、四人黙り込んだまま歩いていく。
広い敷地を占有する邸宅。色褪せてしまった塀に沿って進み、古びた門のそばまで来ると、護衛の一人からサイレンサー付きのVP9を受け取る。
護衛の一人が壁際に立ち、両手を重ねて差し出す。麗羽はそれを踏み台に跳んで、塀を昇る。
庭に飛び降りると、見覚えのある景色が現れる。無駄に大きな池に、鹿威し。昔は肥太った鯉を何匹も泳がせていたが、今は渇れて落ち葉が溜まっている。
縁側の奥にある和室から、人が出てくる。ジャージを着た中年の男。何となく見覚えのある顔だ。換気のためか窓を開けた瞬間を狙って、引き金を絞る。
胸に二発撃ち込んでやると、男は縁側から庭に転げ落ちた。その音を聞いて奥から老人が出てくると、首と顎に一発ずつ撃ち込んでやって、奥の和室に弾き倒す。
足音を殺して、縁側へ向かう。月明かりに照らされた死体には、やはり見覚えがある。藤岡と同じように舎弟をやっていた男だ。奥で死んでいる老人も、何かしら役職を持っていた先代の子分だが、名前は知らない。
縁側から邸宅に入る。物音のする台所へ向かうと、ジャージを着た坊主頭の男が洗い物をしていた。まだ部屋住みなんていたのかと半ば感心しながら、背中に二発撃ち込んだ。
「おい、どうしたんや?」
男が洗っていた皿が床に落ちて割れた。上の階から嗄れた声が届いて、ついで足音が降りてくる。
「若ももう寝ようとしてんだからよ、静かにせんかい」
階段を降りてきた声が叱りつけるように言って、扉を開ける。目が合った瞬間、麗羽は引き金を引いた。鼻っ柱を穿った弾に吹き飛ばされて死んだ老人は、少しだけ見覚えのある顔だった。
「若、ねぇ」
嘲るように呟いて、階段を昇って二階へ行く。真っ暗な廊下の奥で、開きっぱなしの襖なら明かりが漏れているのを見つけて、向かっていく。
「……ははっ」
襖を開けて部屋に踏み込むと、そこには確かに見覚えのある顔があった。といっても、当時とはまるで別人に見えてしまって、思わず笑ってしまったが。
「久しぶりだね、
何もない部屋の奥で、ベッドに横たわる男。黒かった髪はほとんど白髪で艶もなく、スマートだった逆三角の輪郭は頬が痩けてみすぼらしい。パジャマを着せられた身体は往年の面影もなく痩せ細り、まるで終末医療を受ける患者のよう。
「あ、ああ……あああ……!」
眼鏡を外して、髪を留める。生気の失せた黒い瞳がその姿を認めた瞬間、兄は震えて声を漏らし始めた。死んだはずの人間を前にした恐怖か、それとも妻子の仇を前にした怒りか、まるで見分けはつかないが、少なくとも古賀麗羽と認識してくれたらしい。
「廃人になったって聞いたから心配してたんだよ。輝覇さんがうちのことを分かってくれなかったら、会いに行ってもしょうがないからね」
「あああ! あああああ!」
「それにしても……ふふっ……みっともなくなっちゃったねぇ」
愉しくて仕方がなかった。文字通り肩で風を切り、どこでも偉そうに振る舞い、自由気ままに生きる様を称賛され、漢の中の漢などと持て囃されていた兄の無様な姿が。気に入らない人間は誰彼構わず嬲り、女を拉致して手篭めにし、子供だろうと容赦なく殺す、人間のクズの成れの果てが。
「あんたの親父の最期もみっともなかったけど、これは良い勝負だねぇ。刑事さんにも見せてやりたかったよ」
麗羽はベッドに向かっていく。廃人の兄は声にならない悲鳴を漏らしながら、身を震わせて窓に張りつく。
「あんたの言う通り、うちはあんたのこと死ぬほど嫌ってたよ。だってそうでしょ? あんたらのせいで、うちは友達なんてできなかったんだよ。たとえあんたらの身内だって黙ってたって、大阪じゃすぐバレるからね。おかげで惨めな思いたくさんしてきたんだよ。友達なんてできやしないし、学校の先生からは腫れ物扱い。それで、あんたらがうちにしてくれた家族らしいことってなんだ? たまに顔出してやればどこの誰を殺しただの、どこの学生を手篭めにしただの、そんなくだらない自慢ばかり聞かされて、あんたの親父は取り巻きのじじいどもは、それ聞いてゲラゲラ笑って。そんな奴らと家族扱いされて、最悪だったわ!」
ずっと溜め込んでいた憎悪をぶちまける。兄はただ半狂乱になって怯えるばかり。
「それで、挙げ句の果てにはうちを助けるよう泣きついたお母さんを殺したな? あんたらどこまで性根が腐ってんだよ!」
王血幇に入って迎えた初めての誕生日、プレゼントに何がほしいか訊かれた麗羽は、「お母さんに手紙を書きたい」と頼んだ。ダメ元のお願いから二週間後に告げられたのは、母親が拉致の三日後に輝覇に殺されていたことと、茨木の山に埋められたということだった。
「ああああああああああ! ぅあああああ!」
「あーうっさい! いつまでも喚くな!」
耳を塞いで叫ぶばかりの輝覇の顔面を、銃把の底で殴りつける。鼻が潰れて血を噴き、頭を叩きつけて窓ガラスが揺れ、ベッドに崩れる。
「最期に教えといてやるよ」
呻く兄の白髪を掴み、VP9を捨ててプッシュダガーを取り出す。真正面から向き合い、そして笑みとともに告げた。
「あんたの息子、死ぬ瞬間は呆気なかったよ。赤ん坊でも断末魔は上げるんだね。頭半分吹っ飛んでたから、ありゃ死んだことも自覚してなかったと思うよ」
虚ろだった瞳が、生気を取り戻す。見ているだけでヒリヒリとするような憤怒をたたえた、強烈な眼光。
「おかえり。そしてさよなら」
その目にプッシュダガーを突き刺した。悲鳴を上げる兄。引き抜いて、もう片方の眼を目蓋ごと刺し貫く。
喉。腹。胸。口。視界に入る部位を手当たり次第に突き刺して、弱っていく悲鳴を掻き消すように笑う。
やがて引き抜いたナイフが血糊で滑って手から離れた頃には、兄は事切れていた。全身刺し傷だらけ。両目は潰れ、舌はズタズタに裂かれ、骨の浮き出た血まみれの腹が露になるほどに寝巻きがボロボロになった、惨殺死体。髪を離してベッドに寝かすと、そのタイミングを待っていたかのようにインカムから声が届いた。
『警察に通報されました。そろそろお戻りください』
「あぁ、うん。二分で戻るから、準備しといて」
『了解』
肩で息をしながら、頭に昇っていた血が引いていくのを感じる。冷静さを取り戻して、プッシュダガーとVP9を拾う。
姿見に写った姿に、麗羽は立ち止まり、静かに笑った。小さな頃の自分が血まみれ姿で、そこに立っていた。
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