第22話 打診
古賀とその手勢が大阪と和歌山で十八人を殺害して、約束通りに組長と若頭が引き渡され、それと入れ替わるように釈放されたその足で、穂乃香は指定された場所へ向かった。
「ご足労をかけて済まないね。私がそちらに赴くと、何かとざわつくものだから」
「あぁ、でしょうね」
内閣府庁舎六階の執務室。応接用のソファで向かい合う相手に、穂乃香は何とも言えない愛想笑いを浮かべて応じた。
内閣情報官。それが向かい合う男・浅野の肩書きだ。内閣情報調査室のトップであり、それ以前は公安畑を渡り歩き、大使館での勤務も経験。組織犯罪対策部の刑事である穂乃香とは全くの畑違い。係長から伝えられた時には何事かと思ったが、見る限り浅野の態度は友好的だ。
「芝崎課長を病院送りにしたらしいね。不起訴処分と引き換えの依願退職。酷い有り様だ」
「まぁ、仕方ないでしょ。不起訴になっただけ奇跡ですよ」
冷静に考えれば馬鹿なことしたものだ。これで警察からはお払い箱。やらかしを考えれば再就職は困難を極める。
「起訴については、私がさせなかった」
浅野は笑みを浮かべて言った。
「君は確かにやってはいけないことをした。だが国益に鑑みれば、君の罪状など些末なものだよ」
年齢相応に老け込んだ、人畜無害そうな三枚目顔。反社の人間でもあるまいし、そんなに身構える必要のない相手のはずなのに、どういうわけか居心地が悪い。
「国益って、課長半殺しにしたことが?」
「まさか。古賀麗羽のことだよ」
冗談半分で言ってみただけだったが、どういうわけか反社会的な人間の名前が出てきた。
「あいつを逃がして国益に繋がるんですかね……」
「王血幇がただの反社会的勢力でないことは、君ならもう分かっているんじゃないかな?」
任侠道を心得ているだの弱きを助け強きを挫くだの、そんな綺麗事を認めるつもりはない。だが古賀麗羽という女は、確かに憎くて仕方なかった古賀組のクズどもとは違った。
「彼らは極めて暴力的でありながら、同時に理性的でもある。激しい自己矛盾と向き合い、総括を繰り返す。人間そのものだ。加えて、彼らは自らの同類と結びついている」
「同類……?」
「広島愛媛の芸予海侠連絡会に韓国のバンダル。他にも表の世界で地位を確立した裏社会の人間と、世界的なネットワークを作り上げつつある。彼らは暴虐を働いてきた過去の遺物どもを駆逐し、裏社会に新秩序を築き上げようとしているんだ。麻薬と武器を徹底的に管理し、売春と賭博を健全化し、悪漢どもを完膚なきまで排除する。それが彼らの思い描く理想だ」
随分とご立派なことだ。街を守る良いヤクザになって世界の裏社会を支配しようというわけだ。一体何百年かかるのやら。
「それがここに呼ばれた理由とどう関係するんですかね」
公安警察としてその行く末を見守りたいのなら結構だが、それあなたの感想ですよね、としか言いようがない。そんなことを警察崩れに成り下がった身に言われても、知ったことではないのだが。
「君には彼らと日本政府の橋渡し役になってもらいたい」
「え、どういうこと?」
告げられた本題に、思わず間抜けた調子で訊いてしまった。
「王血幇やその友人達が裏社会を支配すれば、今より随分と真っ当な世の中になる。さらにそこから我々に有益な情報も手に入れられる。日本を標的としたテロに、他国のスパイ。国家機密の流出や核の危機。それらをいち早く把握することがどれほどこの国に益のあることか、分かるだろう?」
日本にはスパイを取り締まる術がない。テロリストを捕まえたくても、それを支える法律もない。だから公安警察は協力者を作り、彼らをスパイに仕立て上げ、遠回しな情報収集に苦慮し、法律を拡大解釈して必死に戦っている。
そんな話は聞いたことがある。かといってそれを改善するために法律で許せば、冤罪やかつての特高警察のような滅茶苦茶な捜査が横行することも懸念されるから、遅々として法整備が進まない。
王血幇から情報を得られれば、冤罪リスクを回避しながら、確実にテロやスパイに対応することができる。そう目論んでいるのだろう。
「メリットがあるとして、それで何であたしを引き抜くんです?」
日本警察を裏切り、挙げ句課長を半殺しにした文字通りの狂犬。それが今の穂乃香だ。そんな大望を任せる理由がよく分からないが、使い捨ての駒として見ているのなら願い下げだ。
「彼女ほどの幹部と関係を構築できた警察関係者は、君が初めてだからだよ」
「言うほどの関係ですかね……」
「過去に王血幇の関係者に接近した公安の刑事は、男も女も全員見抜かれて警告を受け、退けられた。協力者を介した接触も全て失敗した。下心がある男に乙女は身も心も許さない。そういうことだろうね」
デリカシーに欠ける表現に続けて、浅野は問いかけた。
「引き受けてもらえるかな? まぁ尤も、断っても他の道があるとは思えないがね」
依願退職は確定。再就職も困難。致し方ないと理解しているだけに、浅野の脅しはむしろ背中を押す激励に聞こえた。
「あたし嘘吐くの苦手なんですよ。それでも良ければ、引き受けますよ」
「公安の人間としては失格だが、君は公安として関わるわけではない。目的を果たせるなら、目を瞑ろう」
余計な懐の広さを見せられて、穂乃香は苦笑した。
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