第13話 古賀麗羽が死んだ日
見飽きた部屋。見飽きた天井。見飽きた床。
そこに置かれたノートパソコン。備え付けのカメラが自分を捉えて、その姿を画面の右半分に映している。
結束バンドで両手を縛られ、椅子に足を縛り付けられた姿。サイズの合わないジャージを着せられて、目には自分でも分かるくらいに生気がない。
「あなたの妹は大変聡明ですね。それでいてこんなに落ち着いている」
女は名前だけを表示してブラックアウトしている左半分の画面に向けて言った。明るい茶髪を腰まで伸ばして、ライトグレーのスーツを着た怜悧な女は、咎めるような口調で流暢な日本語を紡ぐ。
「こんな子供を殺すのは私としても心が痛い。あなたにとってもかわいい妹を喪いたくはないはずです。どうですか、
画面の向こうにいる相手に、女は回答を求める。
『麗羽と話をさせてくれ。それから答える』
沈黙を破った相手に、女は応じる。こちらを向いて小さく頷いた。話して良い、という合図だ。
話したくなんかない。血が繋がっていることすら恥ずかしい、兄と思いたくない存在。だがそんなものにでも縋らなければ、命はない。
「輝覇さん」
いつものように、名前で呼びかける。何時間かぶりに喋るせいで、声が掠れてしまった。
『麗羽、すまんかったな』
初めてかけられた、謝罪の言葉。助かる。そう思った。
『古賀家のために死んでくれや』
「……は……?」
あっさりと。まるで新聞でも取りに行かせるかのような調子で告げられた言葉に、呆気に取られた。
『親父にはもう話したわ。別にええってよ。まぁお前、カキタレが勝手に孕んでできた愛玩用やったしな』
「な、何を、何を!?」
『それに俺、お前嫌いやねん。お前も俺のこと嫌ってたし、いっつも俺のこと見下してたやろ? カキタレの娘の分際で親父の金で飯食わせてもらって、それで親父がヤクザやってことは黙っとるくせに、ヤバなったら助けてほしいなんて、虫が良すぎるわ』
嘲りのような笑いすら漏らす兄。
歪む視界の片隅で、女が動きを見せた。奥に控えていた手下から、拳銃を受け取っている。
「ま、待って。待ってよ! 何で、助けて!」
『うっさいわ、ガキ。まぁ、そういうわけなんで。そのガキは煮るなり焼くなり好きにしてくださいや、
見捨てられた。組のために。金のために。その事実が激情を引き起こした。
「ざけんな……ざっけんなあああああ! このクズ! 外道! クソ野郎があああああ!」
涙を流し、唾を飛ばし、思い付く限りの罵詈雑言を画面に向かって浴びせかける。だがスピーカーから返ってくるのは、そんな麗羽を嘲る笑い声ばかり。
やがて茶髪の女が目の前を横切って手前に立ち、拳銃の銃口を向けてきた。
「残念ですね、輝覇さん。そこまで道を外した方だったとは、想定外でした」
『あ? 中国人が偉そうに任侠道のご指導か? んなもん要らんわ、ボケが』
吐き捨てるようにそう言って、そして忌まわしい兄は勝ち誇ったように続けた。
『東京はもうすぐ俺らのもんや。そしたらあんたは行き場なくすな? あんたべっぴんやから、特別に俺の女にしてやるわ。義理人情も分からん中国人風情が日本一の極道の女になれて、子供も産ませてもらえるんやから、光栄やろ?』
「結構です。では、さようなら」
銃声が響いて、胸に衝撃が叩き込まれる。呼吸ができないほどの激痛。全身が脱力し、意識が遠退く。
「っ……ぐっ、ゲホッ! ケホッ!」
痛みと圧迫感に咳き込み、意識が引き戻される。浅い呼吸を繰り返しながら顔を上げると、そこにはあの女が立っていた。
硝煙を燻らせる銃口。撃たれたのは間違いない。
「そのジャージ、防弾性だからね。弾は火薬の量を減らしてる。だから貫通してないし、多分骨も折れてないんじゃないかな?」
そう笑いかけてくる茶髪の女。
「どうして……?」
こんなに自分のことを思ってくれるのか。そう訊きたかった。
父親の組との取引材料のために拉致しただけの、愛人の娘。利用価値はもうないのに、この期に及んでまだ優しさを見せてくれる理由が、分からなかった。
「麗羽ちゃん、香港に来ない?」
疑問への答えの代わりか、女は提案した。
「麗羽ちゃんみたいな優秀な子が来てくれると、すごく助かるんだけど」
「あなた達の仲間になるってこと……?」
「そうだよ。麗羽ちゃんの特技を活かしてくれればそれで良い。だから、私達の仕事を手伝ってくれないかな?」
断っても、もう行く当てはない。あの男には捨てられたし、父親も了承している。母親にはどうすることもできない。
「我始終都唔能夠接受。最少要處理咗呢個女仔。到而家已經畀人殺咗幾多個……」
「你想殺個小朋友? 我從來冇諗過我會有咁殘忍嘅下屬」
「至少都應該先向幇主報告、再作決定、係唔係?」
「唔需要。呢個小朋友、幇主一定會原諒嘅」
中国語で部下とやり取りを交わした後、女はまた向き直って訊いてきた。
「麗羽ちゃんは何がしたい? 勉強できるみたいだし、大学にも通わせてあげられるよ。だから、言ってみて?」
絶望の中で響く救いの声。それは心の内から静かに沸き上がる感情を刺激した。
「あいつを、地獄に落としてやりたい」
心の中で軽蔑していた。それでも態度には出さないでおいた。あんなクズみたいな輩相手でも、言葉を選んで接してきた。
それでも見抜かれたのだから、自分は嘘が下手なのだ。それならもう、隠す必要もない。そう思ったら楽になれた。
「古賀輝覇を地獄に落としてやりたい。だから、そのための武器をちょうだい」
自然と吐き出せた黒い感情に、笑みがこぼれる。それを女は呆気に取られた後、同じように笑い返して受け入れてくれた。
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