第11話 小休止

「普通ご飯おごるって時にファミレス連れてくるかね」


 通された窓際の席で、古賀はそんな不満を漏らした。


「嫌なら水だけ飲んでな」


 穂乃香は突き放すように言って、タブレットを取る。店員を呼ばなくて良いし、平日のこの時間帯は空いていて助かる。


「うちチーズハンバーグセットね。ライスとサラダ付けて。ドリンクバーは要らない。あ、それとチョコレートパフェ」


「パフェは自腹な」


「うわ、ケチ」


「公務員にタカんな、ゴミが」


 吐き捨てるように言って、注文を済ませる。古賀の分に加えて、香はグリルチキンを注文した。


「初芝さん、お世話になってます。……そうなんですよ、今オフィス閉められちゃって。発注はこちらで手続きできますので、お手数ですがPDFで送っていただけますか? ……すみません、よろしくお願いいたします」


 いつの間にやら電話を取り、穏やかな物腰でやり取りを交わす古賀。相手は得意先だろう。


「見た目だけなら立派な会社員だね」


 皮肉を込めてそう言うと、


「中身も会社員だよ。成績は下から三番目だけど」


 自虐で応じて、古賀は水を飲む。


「新規開拓なんか上手くいかないんだよね。その辺張は上手かったんだよ。バリバリネトウヨの社長から大口契約取ったり」


「そりゃ大したもんだわ」


 思わず肯定してしまったが、マフィアの関係者でも真っ当な実力は認めてやるべきだろう。歪んだ愛国心と陰謀論に毒された老人に、中国人が営業をかけて契約を勝ち取るなんて、並大抵のことではない。


「昨日その会社に営業行ったけど、社長ショックで会社来なかったらしいからね。それだけ慕われてたんだよ」


 肩を落とす古賀。その姿を見ると、この女の本性を忘れてしまいそうになる。


「何であんた営業なんかやってんの?」


 疑問でならなかったから、この際訊いてみることにした。


「裏の仕事だけで金なら困らないでしょ。見た感じ腕は立つ方だろうし」


「色々と事情があるんだよ。殺し屋にも社会性が求められる時代だからね」


 それだけではないだろう。裏の仕事をこなすために、表の身分が必要なのだ。それがなければただの怪しい無職。社会的信用がなければ悪目立ちしてしまう。


「この一年で、薬の売人が随分と減ったって聞いたことがある」


 切り出してみると、コップを手に取った古賀はこちらへ向き直った。


「特に港区とか中央区辺りで売ってた奴らがいなくなったってさ。捕まったわけでも、ヤクザと揉めたわけでもない。なのに忽然と姿を消したって」


「来月には二十三区以外の場所で薬売ってる奴らもいなくなるよ」


 古賀はそう言って笑みを見せた。


「今蜂グループうちらの半分が東京に送り込まれてる。別にどこかと揉めてるからじゃない。組織の方針に従えないって連中を立ち退かせるためだよ」


 声を潜めて、古賀は言った。猫型の配膳ロボットが注文した品物を運んでくると、トレーから取り出す。


「売人どもを減らすために殺し屋軍団を差し向けるなんて、香港は随分と平和なんだね」


「東京よりよっぽど平和かな」


 皮肉に嫌味を返され、ムッとする。それを古賀は面白そうに笑って、ナイフとフォークを取る。


「売人どもにノルマでも背負わせてんの?」


「逆だよ。いくらまでしか売るなとか、どこでしか売るなって、制限をかけた」


「は?」


 配膳ロボットが、グリルチキンを運んできた。聞き咎めた穂乃香に代わって古賀が受け取り、それを手元に置いてくれた。


「売って良いのは身持ちが固くて源泉徴収が3000万超えてるサラリーマン、クリエイター、芸能人、政財界の偉い人とその配偶者と成人した子供だけ。値段はグラム当たり相場の倍額で、年間収益は全種類合計で1000万が上限。覚醒剤は販売禁止。この約束が守れないなら廃業しろって通達して、それでも止めなかったり他所の組織に助けを求めたりした奴らが、刑事さんの言う消された連中だよ」


 単価の無茶な引き上げに加えて上限まで設けられるとなると、売人としては嬉しい話ではない。反発した連中はそれなりに出たことだろう。


「天童会は政財界に伝があって、ノルマをきっちり守って常連も上手くコントロールしてくれてたから、頼りにしてたんだけどね。組長と若頭が殺されちゃったから、これからどうなることやら」


 憂鬱そうにため息を漏らす古賀。組織犯罪対策部には、天童会と王血幇の抗争を疑う者もいたが、そんな単純な話でないことは天童会を知っていれば分かることだ。


「あんたらからすりゃ、優良取引先が潰されたようなもんか。ざまあないね」


 天童会のような暴力性の弱いヤクザの裏稼業といえば、縄張りの揉め事処理を除けば、王血幇のような組織から下請けとして引き受ける麻薬の密売くらいのもの。今の日本で暴力団として認知されている組織は、どこもそうやって生き長らえている。


「そんな冷たいこと言わないでよ。色々と大変なんだよ? 組長の遺族は遺産でやっていけるけど、若頭の息子なんか三人兄弟で全員小学生だよ。近場の施設は埋まってるから埼玉に転校させるしかなくて、手続きが大変だったよ」


 王血幇がやっているという、児童養護施設の運営。汚い金に物言わせただけの自己満足の偽善だ。


「そこで組員の子供を鉄砲玉にでも仕立て上げんの?」


「そんなわけないじゃん」


 皮肉に対して至って真面目に応じられた。


「人殺してないんだったら、うちらは日の当たる道を歩ませるし、子供達を守るよ。加害者にも被害者にもさせない。それで真っ当に育て上げる」


 得意気な笑みで言って、切り分けたハンバーグを口に運ぶ。


「そんなことであんたらの罪が赦されるとでも思ってんの? 絶対ありえないから」


 そう吐き捨ててやると、古賀は肩をすくめた。


「前から気になってたんだけど、刑事さんのヤクザ嫌いって相当でしょ」


 フォークを突き立てたグリルチキンにかぶりついて、咀嚼する。


「凄い憎悪を感じるんだけど、組対の刑事ってそんなもんなの?」


 好奇心を露にした問いかけに、穂乃香は鶏肉を飲み込んでから答えてやった。


「あたしくらいだよ。ここまで露骨にあんたら嫌ってんのは」


「だよね。組対の人間は飴と鞭を使い分けるけど、あんたは鞭で死ぬまで痛めつけるタイプだ」


「ご明察だよ。協力者なんか作る気はない。あんたらは全員、刑務所か地獄に叩き落としてやる」


「そこまで嫌ってる理由は何? 縁日のくじ引きで騙されたとか?」


 笑いながら言って、ハンバーグをフォークで刺す。これ以上馴れ合わないために、食欲を失うのも厭わず、教えてやることにした。


「あたしの親友を死なせたからだよ。あんたらクソヤクザどもがね」


 古賀の顔から笑みが消えて、手が止まった。


「幼稚園からずっと一緒だった幼馴染みだ。中学の時、家が火事になって、一家揃って焼け死んだ。父親が無理心中を図って放火したんだ。会社の資金繰りに困って街金から金借りたら、そことつるんでるヤクザどもから毎日毎日嫌がらせされてたんだってさ」


「……………………」


「ヤクザどもは父親に保険かけてて、死んだら保険金で金を回収できるから自殺に追いやったんだ。毎日毎日、死ねだの自殺しろだの家に電話かけて、近所に触れ回って……たかだか300万ぽっちの借金のせいで、あたしの友達は殺されたんだ。あんたらみたいな連中にな!」


 感情を抑えきれず、テーブルに拳を叩きつける。店内が一瞬静まり返って、その中で古賀は目を伏せた。


「……そりゃあ、憎むね」


 沈黙を挟んで出てきたのは、沈んだような声だった。


「ごめん。刑事さんに嫌な話させちゃった」


 心底反省している。演技でもなさそうな落ち込んだ態度に、激情の残滓が行き場を失う。


 反論の一つでもするか、自分は関係ないとでも開き直ってくれれば良かったのに、古賀はナイフとフォークを置いて、まるで叱られた子供のように黙りこくってしまった。


「さっさと食べな。そろそろ本庁に戻るから」


 調子を崩されてしまった。ただ食事を進めろと促すのが、精一杯だった。

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