第5話 バリキャリの裏の顔
手錠をかけてから本庁に連行する間、古賀は借りてきた猫のように大人しかった。取調室でもだんまりを決め込み、下を向いて何も話そうとしないと、係長への報告までの間を持たせてくれた刑事から引き継がれた。
「あんたのそのスーツ、防弾性か」
取調室に入った穂乃香は、向かいに座る古賀に言った。タートルネックの上に羽織った黒のジャケット。胸と腹の位置に弾痕が三つできているが、貫通はしていない。
「にしても至近距離で食らったら死ぬほど痛いもんだと思うけどね。平気な顔で刺しにくるからビビったわ」
「痛みは我慢すれば良い。子供でもできる簡単なことです」
涼しい顔で古賀は言った。ジョン・ウィックでも苦むような激痛だというのに、この女の神経は麻痺でもしているのではないか。
「あんたの会社のこと、色々調べさせてもらったよ」
スマートフォンを取り出して、画面に目をやる。
「平均年収1200万。あんたくらいの年齢で絞ると、おおよそ840万。同じ中国資本だと、ファーウェイとほぼ互角。このご時世勝ち組にもほどがあるね。あんたみたいなのをバリキャリっていうのかな?」
「成績最下位の常連で肩身が狭いですけどね」
「張課長にもよく叱られてたとか?」
古賀の顔が微かに強張った。刑事なら誰でも分かるような、不快感を覚えた時の反応だ。
天童会の事件に張は関わりがあるし、この女と張の関係は単純な上司部下ではない。会社で見せたあの露骨に逃げようとする物言いからそこまでは察していたが、さっきの大立ち回りを見せられて、直感に基づく仮説は修正を余儀なくされた。
「あんたはただの連絡係だと思ってたけど、そうじゃないな」
古賀が平静を繕うのを待ってやって、問い詰める。
「あんた
「陰謀論がお好きなんですか?」
ようやく口を開いた古賀は、小馬鹿にしたように言った。
「ピザ屋の地下で人身売買が行われてるだとか、アメリカ大統領はトカゲ人間だとか、そういう話を真に受けてそうですね。まぁ、MKウルトラ計画も実在したわけですし、一概に否定はできないですけど。会社員を捕まえてマフィアがどうとか、夢見過ぎでは?」
穂乃香はジャケットの襟を掴んで、古賀を引っ張り立たせる。至近距離で睨みつけて威圧するが、古賀は顔色一つ変えずに淡々と口を開く。
「組織犯罪対策部には、凄腕で凶暴な刑事がいると、客先の警察OBの方から聞いたことがあります。それ、あなたでしょ? 畑違いなのも無視してメキシコの組織を摘発して、しかも送り込まれた殺し屋を返り討ちにしたそうですね」
「組対の人間だなんてあんたに名乗った覚えはないけどね。その辺知ってるってことは、あんた
挑発的に笑って返してやると、古賀の薄気味悪い笑みが消えた。突き放すように襟を離すと、古賀はジャケットを着直して椅子に座る。
「あんた襲った二人は死んだ。どのみち今のあんたは、立派な殺人の容疑者だ。冷笑決めんのにも限度があるんだよ」
「あの状況なら正当防衛が成立しますよ」
「それを検証するのに二日はかかる。それまでじっくり話聞かせてもらうよ。あんたが何者なのか、ね」
相手から撃ってきたから正当防衛なのは知っている。だがそれを警察で認定するには早くても半日はかかるし、引き伸ばせば数日を要することができる。それまでにこの女の正体を突き止めれば、一連の事件の輪郭だけでも掴むことができる。
頭の中で皮算用を済ませ、着手しようとしたその時、取調室の扉が開いた。
「白炭、ちょっと」
係長の大沢からの呼び出し。こういう時はろくなことがない。古賀の方へ向き直ると、口許にうっすら笑みを浮かべて、下を向いていた。
用向きは案の定、不愉快な話だった。
「さっき、日防協の種島理事から連絡があってな。周囲の防犯カメラ映像を鑑定した結果、あの古賀って女は正当防衛だから解放しろだとさ」
「随分とまぁ、手が早い」
怒りを露にするのも恥ずかしくなる。一周回ってそう思えるくらいに予想通りの結末と想定外の対応の速さに、穂乃香は机に拳を叩きつけた。
日本防犯協会。通称・日防協。日本の警備会社や防犯サービスを提供する企業による圧力団体だ。全国の防犯カメラ映像の管理・解析を一手に担い、防犯鑑定士なる国家資格まで作り出した政治力を持つが、その理事には警察庁のOBが何人も名を連ねている。
この団体が組対相手に動く時は決まっている。幹事企業である芸予海運の意向だ。そして芸予海運の背後には、中四国を縄張りとする老舗ヤクザの
奴らが手を回したとなれば、やはりあの女はただのバリキャリではない。
「
「そいつを逃がすんですか?」
「仕方ないだろ。種島さんは組対のOBだ。部長も頭が上がらん」
大沢係長は薄い頭を掻いて言った。こういう時に警察の
「というか、王血幇は俺達の担当じゃないんだ。あんま深入りするな」
「関係ないでしょ。同じ組織犯罪なんだから」
「関係あるから課が分かれてるんだ、馬鹿野郎。
「あーもう、めんどくさい!」
柵の多さに苛立ち、また拳を叩きつける。あの女の薄ら笑いを思い出して、怒りが収まらない。
「あの女と何かあったのか?」
「は? 何で?」
「いつになく機嫌が悪い」
危なっかしいからと相方を付けてくれないだけあって、よく観察している人だ。
「あたし古賀って名前嫌いなんですよ。地元の腐れヤクザどもを思い出すから」
「あぁ、古賀組な」
係長はすぐに察してくれた。
「お前が中学生くらいの時には、東京進出だとかで神経使わされたもんだよ。組員一五〇〇〇人の巨大組織が、今じゃ十人いるかも怪しい有り様。そこまで一気に落ちぶれると、一周回って可哀想になってくる」
「冗談でしょ。一人残らずさっさとくたばれば良いんですよ、あんなクズども」
吐き捨ててなお、沸き上がった怒りは収まらない。
「まぁとにかく、あの女は一旦放流だ。
ごねてもどうにもならないことは分かっている。唇を噛みながら、穂乃香は頷いた。
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