第4話 殺意の邂逅
丸ノ内に本社を構える得意先の大城物産への訪問を終えたのは、午後五時。もう日も暮れて、吹きすさぶ風も一層冷たくなっていた。
「張さんの件、本当に残念です。御社とはこれからもお付き合いしていきたいと考えてますから、どうか今後とも、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
エレベーターホールでの見送りに、深々と頭を下げる。扉が閉まると頭を上げて、小さく息を吐いた。
張が殺された一件は当然のように客にも知られていて、商談は終始お通夜状態だった。幸いにして彼らは一般人で、事件の詳細までは知らされていないし、想像するほどの知見もないから、殺されたということだけしか知らないのがせめてもの救いだろう。
五時を過ぎれば直帰しても構わない、という社内の不文律に甘えることにした。東京駅近くの飲み屋で時間を潰して、十時を回ろうかという頃合いで、丸ノ内線に乗って茗荷谷駅まで向かう。駅から大学と反対方向に五分も歩けば、住まいのマンションに到着する。
酒には強いから酔ってもいない。火照った身体に秋の夜風はちょうど良い。思考が冴えると、香港にいる張の家族が気がかりになった。
母親と弟にはもう伝わったことだろう。母親の体調もそうだが、何より弟の方が心配だ。大学に行く頭もなく、飲んだくれては喧嘩に明け暮れていた、どうしようもない馬鹿。用心棒としてしか使えない単細胞が尊敬する兄の訃報を知ったら、仇討ちだと日本に来たがるに違いないが、殺しをやったこともない身綺麗なチンピラを面倒見るのは御免被る。
マンションの手前までやってきたところで、ワゴンが隣を横切った。数メートル先で停車して、後部座席のスライドドアが開く。二人降りてきて、次の瞬間腹と胸に激痛が走った。
強烈な衝撃に弾かれて、アスファルトの上に倒れる。甲高い金属音に一瞬の閃き。サイレンサーを取り付けた拳銃で撃たれたのだ。被弾した痛みがズキズキと明滅する中、足音が二つ近付いてくる。
「動くな!」
足音の反対方向から怒号。薄く目を開けると、作業着姿の二人組が拳銃を声の方へ向け、金属音を打ち鳴らす。
麗羽はポケットに左手を忍ばせて、得物のT字ハンドルを握り込む。そして襲撃犯の一人がすぐ傍まで近付くと、左手を出して足を突いた。
「いだっ!」
プッシュダガーの一突きに、短い悲鳴を漏らして崩れる。刃渡り7センチ、高炭素粉末ステンレス鋼で仕上げられたスピアポイント刃を引き抜くと、腰を軸に助走をつけて上体を起こし、襟を掴んで今度は首元に突き刺す。
もう一人の襲撃犯が異変に気付いて、銃口を向けてくる。事切れた男を盾に銃弾を受け止め、手から滑り落ちかけた拳銃を掴むと、腹に向かって三発撃ち込んだ。
急発進して、逃走を図るワゴン。後輪を狙って三発撃ち込み、二発当ててパンクさせると、ワゴンは電柱に衝突した。
「動くなっつってんだよ!」
背後からまた怒号。殺気と敵意を背中に感じる。銃口を向けられているのだろう。麗羽は静かに両手を挙げ、拳銃とプッシュダガーを地面に落とした。
「昼間の刑事?」
「そうだよ、古賀さん。あんたやっぱカタギじゃなかったね」
予想を当てた興奮と危険と隣り合わせの現状に息を乱しながら、白炭刑事が言った。
「あんたらがどこと揉めてんのか興味深いね。組対は根性なしばっかだから、あたしがやらなきゃ解決しないんだよ」
「刑事さん一人で解決できるのかな?」
「ものは試し、ってね。あんたを足掛かりにさせてもらうよ」
近付いてきて、手首を掴む。次の瞬間、麗羽は身を翻した。
「このっ!」
至近距離で下腹部に一発。激痛と衝撃で吐き気を覚えるが、生地は貫通していない。
麗羽は銃身を掴んで逸らすと、刑事の顔面に横から裏拳を叩き込む。受け流した刑事の握力が緩む一瞬を突いて、拳銃を剥ぎ取って投げ捨てる。
右手をポケットに入れて、予備のプッシュダガーを取り出す。地面を蹴り、よろめいた刑事まで間合いを詰め、切っ先を突き出す。
「ふっ!」
腹を狙った刺突。身を翻して躱され、振り向き様に刑事が襟を掴んできて、足をかけられる。
引きずり倒され、アスファルトに背中を打ち付ける。一瞬意識が飛びかけるが繋ぎ止めて、プッシュダガーを突き出す。
切っ先を首に刺しきる前に、こめかみに宛がわれた冷たい感触が理性を取り戻させた。銃口を押し当てられている。肩で息する女刑事と睨み合い、やがて目だけを銃に向けて、舌打ちする。
「警察がグロック持ってるなんて聞いてないよ」
「こりゃバックアップ用に自腹で買ったんだよ。ちゃんと実弾入ってるから、頭にプレート入れてなきゃ脳みそ吹っ飛ぶよ」
勝ち誇ったように笑って見せる女刑事。首筋のプッシュダガーを刺すより、引き金を引かれる方が早いだろうが、相手にも致命傷を与えられる自信はある。
「ここで死ぬか? 仇取れずに終わるけど、それでも良いってんなら刺してみなよ」
安い挑発ではない。引き金にかかった指には適切な力が入っている。こちらが少しでも殺意を見せれば、躊躇なく引き絞るはずだ。
こういう警察は香港でも見たことがある。正義感にただ突き動かされる手合いだが、その元々の根元は憎悪だ。
歪みから生まれたまっすぐな正義は恐ろしい。平気で人を殺すし、破滅させる。立ち位置が違うだけの同類だ。
しかし、だからこそ理解し合う余地がある。そういう組織にいるのだから。
「分かった。降参」
プッシュダガーを握る右手を開いて、地面に落とす。ようやく殺意から解放された刑事は、途端に息を吐き出し、深めの呼吸を繰り返す。
「あっちの車にはまだ一人乗ってる。そいつも捕まえた方が良いよ」
「指図すんな、人殺し」
「はいはい」
一気に滲んだ冷や汗を乱暴に拭い、手錠を取り出す。頭の上に両手を寝かせて協力の姿勢を見せるが、女刑事の態度は変わることなく、手錠をかけて引っ張られた。
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