第1話 品川のとある商社
品川駅からお台場方面へ歩いて五分ほどのところに建つ品川国際ビルは、地上二十三階、地下二階建ての、都心ではよく見かける高層ビルだ。
このビルを貸し切っているレガリア通商株式会社は、香港発祥の貿易会社で、取り扱う商材は健康食品から軍事兵器まで多岐に渡る。中国やロシア、インドやブラジル、東南アジアにアフリカ諸国といった新興国に強い伝を持つ企業とあって、日本の商社が持たない独自のルートから仕入れた良品を販売する商社として、この二十年順調な成長を続けている。
八階のフロアに入るセキュリティ事業部は、法人・個人向けの銃や刀剣、警備サービスの販売とサポートを担当する、会社の主力部門だ。パーテーションのない開放的な空間には縦長の島が並び、そこかしこで多様な言葉のやり取りが飛び交っている。社内公用語は特に定められていないが、香港から出向してきた管理職と、大口取引先のロシア企業との間を取り持つため、あらたまった場面では英語でやり取りが交わされる。
「APSの45口径対応モデルですね。弾は二十箱で。承知しました。本日中に注文書をいただければ、明日にはお届けできるよう手配いたしますので。えぇ、いつもありがとうございます。はい、それでは失礼いたします」
ガラス壁を背に通話を終えた
「今の電話、谷本さんから?」
隣の席の男が画面を覗き込みながら訊いてきた。同期入社の綾辻だ。スマートな長身に歯の浮くような台詞でもよく似合うイケメンで、独身貴族を謳歌するノンデリサラリーマン。
「先週あそこの警備員が強盗と撃ち合ったじゃん。それでAPSが大好評だったんだって」
「へぇ~。まぁ確かに、安いくせに使い勝手良いもんな」
綾辻は腕を組みながら納得したように頷く。そこへまた同期がやってきて、会話に加わる。
「古賀~。谷本警備さんから注文書送られてきたよ」
営業事務の星野だ。明るい茶髪に肌を白く見せる化粧を施した、長身モデル体型の美女。ライトグレーのスーツを着こなして、クリーム色のヒールもよく似合う。
「ありがと、ほし」
「ていうかさぁ、うちの旦那転職するとか言い出したんだけど、どうしたら良いかな?」
唐突な話題だが、これは星野の癖だから驚かない。結婚してから五年。週に一回は愚痴を聞いているが、今のところ夫婦関係は良好だ。
「旦那コンサルだっけ? 引き抜きなら良いと思うよ」
「引き抜きじゃないんだわ、これが」
「じゃあもっと頑張らせよう」
「うん、そうする。やっぱ古賀は頼りになるわ!」
「こんなちんちくりんのくせになぁ」
そこへ綾辻は空気を読まずに弄ってくる。
「あー、セクハラ。傷ついたわ~」
肩を抱いて身を丸くする麗羽に、綾辻と星野は二人して笑う。
「セクハラ気にするほど色気ないだろ。伊達眼鏡なんかかけてインテリ気取りやがって」
「眼鏡かけると偏差値三くらい上がる気しない?」
「しないし、気がしてもしょうがねぇだろ」
一六〇センチに満たない身長に、めんどくさいからと伸ばしている黒髪。それでいて前髪は自分で整えるためにバッサリと姫カットで決めていて、ついたあだ名は座敷わらし。ネジの緩んだ伊達眼鏡をバンドで固定して、黒のタートルネックと脛まで隠すプリーツスカートを履いた姿は、麗羽自身も色気がないと自覚している。
「でも谷本さんのおかげで古賀は今月ノルマ達成できそうだし、褒められんじゃん? 先月未達でめっちゃ詰められたんでしょ? 『パッションとロジックのコラボレーションよ、コガさん!』って」
トーンの似ている物真似に、綾辻も周りの同僚達も吹き出してしまう。
「ほんとどこからその情報仕入れてくるの?」
「レガリアのボンドガールを舐めてもらっちゃ困るよ」
得意満面の星野。出産までは売上上位の営業だっただけあって、この手の情報収集は趣味を兼ねた習性のようなものなのだろう。
営業成績を重視するのがレガリア通商の社風だ。営業職は与えられたノルマをこなせなければ上長との面談で叱咤され、原因分析と打開策の検討・実践を求められる。ノルマ未達が多ければ年次を重ねても昇進試験を受けられないから、TBS時代のベイスターズ並に成績が悪い麗羽は三十過ぎにして未だ下から二番目の職位だ。来年には課長代理試験を射程に捉える綾辻とは、職位で二つも離されているし、年収ではインセンティブを除いても数百万も低い。
「課長は褒めてくれるような人じゃないよ。矢野さんだってキレられてばっかなんだから」
「そうだよ。課長のへったくそな英語で怒られんの、キツいよ~?」
向かいの席に座る先輩社員が苦笑いで話に混ざる。
「コガさん!」
そこへ渦中の人物から名指しで呼ばれた。やたらフロアに通る高い声を上げたのは、課長の
「ちょっとキテ!」
「はい」
乱暴な手招きで、フロアの外へ向かう課長。フロア内の会議室を使わない時は、べた褒めされるか、マジギレされるか。綾辻と星野はどっちか分からず、ひきつった顔を麗羽に向ける。
「うちキレられるようなことしてなくない?」
「うん。でも、谷本さんのはそんな褒められるようなことでもない気がする……」
「古賀、がんば!」
同期に背中を押され、麗羽は社員証を手に席を立った。
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