第2話 不吉な四階、不穏な会話
四階と十三階は縁起が悪いということで、どの事業部も使っていない。売れ残った在庫や使い道のなくなった備品を置く倉庫と、あまり嬉しくない面談のための小さな部屋がいくつも設けられているだけの共用フロアだ。
四階の奥にある面談室に入ると、麗羽は上座に座る。扉を閉めて施錠し、下座に着席した張課長は、早速広東語で用向きを告げた。
「御徒町のガンショップ・サマンサから連絡がありました。警察が来たそうです」
声を潜める張に、麗羽は眉間に皺を寄せる。
「警察? 何で?」
「天童会の件で店に来たそうです。あの店で売った銃が使われたということで」
「じゃあ組対の刑事が来たの?」
「えぇ。白炭とかいう女刑事です」
噂には聞いたことがある名前だ。ヤクザ相手に関係構築もせず、暴力も脅迫も平気でやってのける狂犬。あまりに酷くて相方を付けられず、一人で勝手に動き回る例外中の例外だとか。
「やたら高圧的に迫られて、やむを得ず卸元の業者リストを見せてしまったと」
銃砲店と風俗店は、ただでさえ警察に逆らえない。組織犯罪対策部の悪名高い暴力刑事が相手ならなおさらだ。責めるべきではないだろう。
「天童会の件、警察が本格的に動き出しているようです。どうしますか?」
張からの問いに、麗羽は足を組む。それを合図に、張は懐から板ガムを取り出し、麗羽に差し出す。
「組対がごちゃごちゃやってるだけなら気にしなくて良いけど、その刑事面倒だね。多分令状取らずにここまで来るよ」
板ガムの包装を取って、口に含む。マスカットの風味を噛み締めながら、麗羽は思案する。
「消しますか?」
張の提案に、小さく首を振る。
「警察殺るのはダメだって。主席からグーパンチ飛んでくるよ。まぁあんたが殺られたらそんなの気にせず行くけどさ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑みをこぼす張。その顔を部下の前でやれば良いのにと、いつも思う。
「調べられてるから殺すとか、うちはメキシコの下品なカルテルじゃないんだからさ。良い感じに誤魔化せば良いんだよ」
「分かりました。では、一旦対処は保留ということで」
相談したいことは終わったらしい。一応体裁としては叱られているか褒められている最中だから、あまり早く戻っても良くないし、話を合わせておく必要がある。
「最近うちの成績どうよ?」
「谷本警備から追加注文が来てましたね。おめでとうございます」
「何かもっと褒められることないの?」
訊き直すと、張は困り顔で首を傾げた。何もないらしく、肩を落とす。
「じゃあうちを呼び出した理由は成績悪いのを詰めるためで、それで谷本さんとこの追加注文聞いて手を緩めてくれた、ってことにしとこう」
「はあ……」
「にしてもそんなに褒めるとこないかなぁ……」
「だって、今月の成績下から三番目ですし……そうでなくても未達常連ですし、半分以上最下位ですからね」
そこを突かれると痛い。
「部長からもあの数字はさすがに不味いと言われています。三十過ぎて主任止まりも、そうそういませんよ?」
「そんなことないでしょ。二〇〇〇人もいるんだからそのうちの一割はうちの同類だって」
「日本であなたと同年代の営業で主任なのは六人です。あまり言うのは良くありませんが、あなた以外全員、傷病による休職歴持ちです」
つまりは配慮を要する者ばかり。ハンデを抱えながら必死に前線で戦う果報者達。そんな労るべき彼らと肩を並べる健常者……どうして花形事業部に営業として籍を置けているのか、自分でも不思議に思えてきた。
「まぁ普通の神経してたら、三年で主任から上に上がれなかったら辞めますからね。解雇規制に守られてるだけで。香港だったらとっくにクビですよ」
そうでしょうねと納得してしまった。
「今の言われたってことにしとくわ」
「それは止めてください。部下から恐がられます」
「あんたそんなの気にしてたの?」
「してますよ! いつも気を遣っているんですよ。日本語は難しいし英語も得意ではないからもう大変で……」
気持ちは分かるだけに、同情する。
「じゃあ止めとくわ」
「そうしていただけると助かります」
胸を撫で下ろす張。雑談がてら、ついでに一つ訊いておく。
「あんたのお母さん、手術どうだったの? 先週でしょ?」
「上手くいきましたよ。まぁ手術といっても、ただの痔ですからね」
先月の面談では不安そうにしていたくせに、などと冷やかすのは止めておこう。無事なら何よりだ。
「年末に帰ったら、親孝行してやりますよ。兄弟揃って迷惑かけてきた、ろくでなしですからね」
「そうしてやんな」
味のなくなったガムを包装に吐き出して、面談は終わった。
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