「夏侯霸從妹爲張飛所得」②
夏侯淵に「姪」がいる事は『魏略』の記述から確認できるが、では、この姪、「霸從妹」が張飛の妻となったというのは事実なのであろうか。少なくとも、『魏略』に於いては、そして、状況証拠としては充分にあり得る事と言えるが、他の史料が存在しない以上、明証と言えるものは無く、『魏略』の信頼性、及び『三國志』に見えない事が問題となる。
そこで、先ず先の逸話と同じくこれが『魏略』の創作、捏造であるという可能性であるが、夏侯淵の姪が張飛の妻となり、その女が蜀漢の皇后となったという虚構を作り出す必然性はあるだろうか。
先の「劉禪」と同じく、少女の数奇な運命への興趣は兎も角、「皇后」自身ならまだしも、その母が夏侯氏であるという事実無根の話を持ち出す必要性は無いと思われる。少なくとも、魏にとって何らかの益、或いは蜀漢にとって不利益があるとは考え難い。
であれば、最低限、張飛の妻、張皇后の母が「夏侯氏」であったという基盤があって、それを夏侯淵の姪、或いは行方不明となったその少女に結びつけて創作された、という可能性があるだろう。
因みに、劉備の周辺では、武帝紀に建安五年の東征で生け捕られたその「將」夏侯博、趙雲傳に引く『趙雲別傳』には博望で、劉備方に生け獲られた「雲鄉里人」夏侯蘭が見え、沛國ではなくとも夏侯氏が存在している。
ただ、その場合でも、夏侯淵が劉備によって戦死させられたという因縁があるにせよ、強いて夏侯淵と張飛を結びつける必然性は感じられない。なれば、この逸話は事実であり、それ故に裴松之も論評を加えていない、と考えられる。そう判断する傍証として、夏侯霸の蜀漢への亡命について考えてみたい。
夏侯霸が蜀漢へ亡命する契機となったのは、正始十年(249)正月の司馬懿による大將軍曹爽誅殺である。
明帝(曹叡)死後に輔政を担った曹爽が、同じく輔政を委ねられた司馬懿を排除せんとして、その反撃により殺害されたという事件である。これ以降、魏は徐々に司馬氏の専制下に置かれ、やがて、晉への革命に至る事になる。
夏侯氏は曹操の父嵩がその出であるとも云われる様に、魏の準宗室とも言うべき家系であり、夏侯霸の母であるかは不明だが、父夏侯淵の妻は曹操の內妹(母方のいとこ)であり、兄の衡も曹操の弟女を妻としている。
つまり、夏侯霸は異姓ではあるが、魏の帝室に極めて近しい立場に在り、それ故、曹爽を排除した司馬氏(司馬懿)の台頭は、彼の立場を危うくするものであった。そして、征西將軍として彼を統御していた夏侯玄(夏侯霸從子・曹爽外弟)が召還され、後任に不和であった郭淮が任じられた事で、亡命を決断している。
討蜀護軍(『魏略』:征蜀護軍)として關中に在った夏侯霸が亡命する先としては、鮮卑などが跋扈する北方の漠北や、西方の涼州、その更に西の西域などといった選択も考えられないでもないが、司馬氏の勢威が及ばない、ある程度安定した勢力という点で、蜀漢に勝る選択肢は無かっただろう。
ただ、蜀漢は魏を否定して設立され、夏侯霸自身、將として対峙してきた政権であり、父夏侯淵を戦死させた、公私共に仇敵とも言うべき國である。
そこへ、如何に他の方策が無いとは言え、庇護を求め降るという事への葛藤は、当然あったであろう。それを和らげるものとして、「從妹」、彼女が存命であったかは兎も角、その存在があったのではないか。
なお、夏侯淵が戦死した際、張飛の妻、乃ち「霸從妹」はその葬儀を請うているので、魏の側にも彼女の存在は既に知られていたと考えられる。
無論、これはこの逸話が事実であったという前提での推測である。だが、夏侯霸が蜀漢に亡命し、受け入れられたのは事実である。『魏略』に依れば、道を失い困窮した夏侯霸へ使者を派遣して迎え入れ、「厚く爵寵を加」えたと云うが、蜀で彼がどのように処遇されたのかを確認してみたい。
と言っても、『三國志』本文で、亡命後の夏侯霸の動向が知れる記述は後主傳の「(延熙)十二年春正月、魏誅大將軍曹爽等、右將軍夏侯霸來降。」という、夏侯霸の来降を伝える記事以外には、姜維傳(卷四十四蜀書十四)の「後十八年、復與車騎將軍夏侯霸等俱出狄道、大破魏雍州刺史王經於洮西、經眾死者數萬人。經退保狄道城、維圍之。魏征西將軍陳泰進兵解圍、維卻住鍾題。」と、陳泰傳(卷二十二魏書二十二陳羣傳附)の「淮薨、泰代爲征西將軍、假節都督雍・涼諸軍事。後年、雍州刺史王經白泰、云姜維・夏侯霸欲三道向祁山・石營・金城、求進兵爲翅、使涼州軍至枹罕、討蜀護軍向祁山。」の二つしかない。
しかも、陳泰傳の「(郭)淮薨」というのは正元二年(255)正月の事であり、姜維傳の「十八年」、蜀の延熙十八年と同年である。また、陳泰傳には「後年」とあるが、魏の正元二年八月に「蜀大將軍姜維寇狄道、雍州刺史王經與戰洮西、經大敗、還保狄道城。」、蜀の延熙十八年夏に「復率諸軍出狄道、與魏雍州刺史王經戰于洮西、大破之。經退保狄道城、維卻住鍾題。」とあるので、この二事は同一事である。
從って、『三國志』本文からは来降(亡命)から六年後の正元二(延熙十八)年に夏侯霸が車騎將軍として、大將軍姜維と共に魏に侵攻し、雍州刺史王經・征西將軍陳泰等と戦ったという事が知れるのみである。
この他、『三國志』中では鍾會傳(卷十三魏書十三鍾繇傳附)の裴注『世語』及び『漢晉春秋』に「鍾士季」、乃ち鍾會を警戒する様に述べた逸話と、張嶷傳(卷四十三蜀書十三)の同じく裴注『益部耆舊傳』に、車騎將軍夏侯霸が張嶷へ交誼を求めた逸話があるのみである。
つまり、『三國志』中での夏侯霸への記述はごく僅かであり、これは陳壽の夏侯霸への関心の低さを表すものと言えるが、後主傳の評に陳壽が「國不置史、注記無官、是以行事多遺、災異靡書。」とする様に、蜀における記錄の不備も想像される。
なお、この事が、先の劉禪の「兄」や張飛の妻に関する記述が無い理由とも言える。
ともあれ、夏侯霸は亡命後六年で車騎將軍に至っており、『魏略』に依れば「爵」を与えられ、趙雲傳に「夏侯霸遠來歸國、故復得諡。」と、死後に諡号も贈られている。
趙雲傳の記述に依れば、「初、先主時、惟法正見諡。後主時、諸葛亮功德蓋世、蔣琬・費禕荷國之重、亦見諡。」と、元来、蜀で諡されたのは劉備代の法正、後主代の諸葛亮と、その後繼の宰相である蔣琬・費禕、そして、「寵待、特加殊獎」であった陳祗のみである。
劉備の創業を扶けた關羽・張飛等ですら、蜀漢末期の景耀三年(260)九月に至り、漸く馬超・龐統・黃忠、そして、翌四年(261)三月の趙雲と共に追諡されている。
漢の後繼を以て任じる蜀漢としては、形式的にはその德を慕って来降した夏侯霸を、来降者自体の稀少さも相俟って、厚遇すべき事情があったにせよ、その殊遇には彼自身の事情が影響しており、それが張皇后との関係とも考えられる。
また、夏侯霸への殊遇の一つとして、彼の地位、車騎將軍も挙げられる。
車騎將軍は『續漢書』百官志の將軍条の本注に「比公者四:第一大將軍、次驃騎將軍、次車騎將軍、次衛將軍。」とある様に、「公」(三公)に比せられる將軍の最高位の一つであり、西漢末以来、多くは外戚が任じられ、輔政に当たってきた地位である。
因みに、曹操も丞相と為る以前は司空行車騎將軍として輔政に当たり、後には女を獻帝に納れて外戚となっている。從って、車騎將軍に任じられる事自体が、最高級の待遇を受けている証であり、その立場は外戚を想像させる地位であるとも言える。
蜀に於いて車騎將軍に任じられたのは、夏侯霸以外では、張皇后の父である張飛(張飛傳:「章武元年、遷車騎將軍、領司隸校尉、進封西鄉侯。」)、劉備の皇后である吳氏の兄吳壹(先主穆皇后傳:「壹官至車騎將軍、封縣侯。」)、魯國の人劉琰(卷四十蜀書十劉琰傳:「後主立、封都鄉侯、班位每亞李嚴、爲衛尉中軍師後將軍、遷車騎將軍。」)、義陽新野の人鄧芝(卷四十五蜀書十五鄧芝傳:「延熙六年、就遷爲車騎將軍、後假節。」)の四者及び、左右車騎將軍とされた犍爲武陽の人張翼と襄陽の人廖化のみである。
左右に分置された張翼・廖化や、鄧芝はやや異なるが、張飛は後主、当時は皇太子劉禪の、吳壹(吳懿)は先主(劉備)の外戚であり、劉琰は「先主在豫州、辟爲從事、以其宗姓、有風流、善談論、厚親待之、遂隨從周旋、常爲賓客。(劉琰傳)」とある様に、劉備古参の隨從者であり、「宗姓」、広義の宗室として扱われる人物である。鄧芝や張翼・廖化も当時の最有力な將領であったと言える。
なお、延熙十四年(251)に卒した鄧芝は夏侯霸の前任者であったと思われ、張翼・廖化は『華陽國志』卷七劉後主志の景耀二年(259)六月条に「以征西張翼爲左車騎將軍、領冀州刺史。廣武督廖化爲右車騎將軍、領并州刺史。」とあるので、この年までに夏侯霸は卒していると考えられる。
因みに、最高位の將軍である大將軍に次ぐ驃騎將軍は、蜀では馬超・李嚴・胡濟(右驃騎將軍;『華陽國志』:驃騎將軍)の三者のみが確認でき、馬超はある意味では劉備とも同格とも言うべき客將、李嚴は「三年、先主疾病、嚴與諸葛亮並受遺詔輔少主;以嚴爲中都護、統內外軍事、留鎮永安。(卷四十蜀書十李嚴傳)」と、諸葛亮と共に劉備の顧命を受けた人物である。
こうした馬超・李嚴に準じ、張飛や吳壹と同格である地位に任じられた夏侯霸は、単なる降將ではなく、貴重せらるべき人物であったと言え、その背景に皇后の母族に当たるという事情があったと見るのは妥当と考える。
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