②傾向と対策

 えらいことになった。

 みっちゃんはやるときはとことんやる性格だと、昔から親戚の間で評判だった。なのでやった。先っちょからお尻まで徹底的に。万札握りしめていつもの美容院に突撃して、結果私は初めて美容院の何が〝美容〟たるかを知った。

 今日の今日まで、思春期特有(らしい)の「変にオシャレするのは恥ずかしい」という謎の自意識から、恋人ができてさえ「いつも通りで」を貫いてきた。自らに課したその禁を破り、緊張で顔じゅう汗だくにしながらの「可愛く! して! ください!」に、美容師のお兄さんは優しく微笑んで「任せとけ」と——そう言いたかったらしいのだけれど普通に失敗して「ブッフォア」って噴き出した。この野郎。

「いや違うんよ。だってみっちゃん、『金に糸目はつけない!』なんて言うんだもん。何その悪の成金みたいな」

 でもサーセンした、ガチで反省してます——謝り方がどうにも軽い気がするのは、この人の性分もあるから大目に見る。あるいは職業柄ってやつだろうか? 大人にしては明るすぎる髪色に、軽妙かつ砕けた話し方。なにより肌が浅黒くて全身ムキムキのマッチョマンだ。ごつい。

 小さな頃からずっとここに通っているから(近所なのだ)、私は美容師とはこういうものなのだと思っていた。実際は知らない。高校に進んで、友達とちょっと話す機会があったのだけれど、写真を見せたら「違う」「あってるけど違う」「これはやりすぎ」みたいな反応だった。わからん。どこがあっててどの部分がやりすぎなのだろう?

 知らんところで勝手に品評みたいなことをした、その業が返ってきた。そう思ってさっきのブフォアは水に流すことにした。なんかお詫びに秘密の特別サービスもしてくれるっていうし。

 ——結果。

 なんか、ものすんごいことになった。

 今まで、モッサモサの伸ばし放題だった髪。それをバッサリやられたのは、もとよりそのつもりだったから構わない。わからないのはその先の何かだ。なんかいろいろ塗られて放置もされて、気づけば髪の色がなんかどうにも、なんとも言いようのない感じになっていた。

「染めるのオッケーだったっしょ、校則。まあインナーカラーだからそこまで目立たないし」

 いやこれだいぶ目がチカチカしますけど? とも言えない。頼んだのは自分だ。それに、不満があるわけでもない——というか、まずこれが可愛いのかそうでもないのか、それを判断するだけの審美眼がない。でもその道のプロたるこの人が「完璧、カワイイ、宇宙一」と太鼓判を押してくれるなら、私はそれを信じて突き進むのみだ。

 例の特別サービスもされた。奥の小部屋に連れ込まれて、そこで私が何をされたか、とてもじゃないけど言葉にすることができない。端的に言うなら「マツエク」「ネイル」ってことになると思うのだけれど、でもそのマツエクネイルが一体なんなのか、この身に実装したはずの今ですら理解できない。語りえぬものには沈黙せねばならない。

 服も買った。奥のサロンの担当は美容師さんの奥さんで、乗りかかった船ってことで手伝ってくれた。ご夫婦のお買い物に連れ添う形で、いい感じの服を見繕ってもらう。いい感じというのはつまりいい感じだ。地雷系? バンギャ風? わかんないけど全身バチバチにキメたエグいイカツい格好になって、完全に生まれ変わった私の向かったその先は。

 もちろん、愛する彼、青木の元。

 一応、これには狙いがあった。私だってただの意地や思いつきで、ここまでの大改修をやったわけじゃない。

 私の恋人。ただのクラスメイトだった頃からずっと、「青木」と呼び続けてきた彼。

 内心、ずっと悩んできた。

 このままでいいのか? 普通、世のラブラブなカップルというのは、恋人に対してもっとそれらしい呼び方をするものではないのか? 例えば下の名前とか、なんならあだ名とかでもいいけど、それを私だけずっと「青木」というのは、あまりにも。

 一度決まった呼び名というのはなかなか変えづらいもので、足りないのはたぶんきっかけだ。なら、自分で作ればいい。折りしもその日は特別な一日、高校に入って一丁前にもバンドなんか組んじゃった青木が、初めてライブとかいうやつをやるっていう夜。

 チケットは買った。そりゃ恋人だから買うけど内心「無理です」って思った。私はバンドマンの世界について全然明るくないけど、でもライブハウスというのはまず頭モサモサのメガネ芋女が居ていい空間ではないという予感があって、だからどのみち変身は急務だった。いずれにせよ避け得ぬさだめであるなら、それを逆手に取るより他にない。

 ——これは、きっかけだ。神の与えたもうた試練にして好機。

 かくして、私はそのようにした。綺麗になって見返す。前髪一センチで足りないなら全身丸ごと変えて、彼の「あれっ、髪切った?」からの「そりゃ気づくさ。きみのことなら、全部」を引き出す。それで私は彼のことを「かずまくん」って呼んで、そしてふたりは幸せなキスをして終了——。

 なんて。

 このとき。私は一旦立ち止まって、冷静に見つめ直すべきだったのだ。

 近代改修を終え、ギラギラに強化された今の私。

 青木の目には、はたしてどう映るのか?

 個室での秘密のサービスを受けて、先っちょからお尻までまったくの別人に変えられてしまった自分の彼女。それが客席(ちなみにこの後知ったけど席はなかった。客床?)から、浅黒いムキムキの男と一緒にステージ上の自分を眺めている——という状況。

 なんで浅黒いムキムキの男がいるかといえば、私が無理矢理誘ったからだ。チケットの手売りは大変みたいで、となれば彼女の私がそれを手伝うのは当然のこと。学校外の知り合いで、気軽に誘えるのはこの人くらいだ。実際来た。奥さんの分までチケット買ってくれたし、でっかい車で送ってくれさえした。ありがたい。田舎は電車の本数が少ないから普通に助かる。

 この黒いムキムキと奥さんが隣にいてくれたおかげで、完全アウェーの空気にもまったく物怖じせず済んだ。ひとりだったら店の入り口で「ギバーップ!」って叫んでたところだ。急病による欠席。実際、こないだまで風邪ひいてたから嘘じゃない。おかげでここ何日か会えていなくて、きっとそのせいもあったのだろう。

 ——やっと会える。

 それしか頭にない恋する乙女に、どうしてよそごとを気に掛ける余裕があろう。

 はたして、生まれ変わった元芋女は向かう。

 彼の待つ約束の地、ライブハウスという名の戦場へ。

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